世界を驚かせた奇怪、猟奇的な殺人事件の数々、そしてその犯人。科学では解決できないミステリー現象。それらを紹介していくブログです。

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ドロシーおばあちゃんの自慢のガーデン

本名ドロシア・モンタルボ・プエンテ 通称ドロシア・プエンテ

「川のそばに1人 ベッドの上に1人 庭に7人 頭の無いのが1人 みんな死んだ」
(プエンテの裁判で陪審員長を務めたマイケル・エスプリンが事件について述べた詩)

心優しき老婦人。貧しき者達のマザー・テレサ。近所で彼女の悪口を言うものなど1人もいなかった。
浮浪者、精神障害、病気、身寄りのない老人。下宿人たちはいつでも、女将(おかみ)のドロシーおばあちゃんを頼りにしていた。
彼女もまた「サクラメントのマザー・テレサ」としての自分の評判、立場を楽しんでいた。
恐るべき老婦人、ドロシア・プエンテ
しかし1人の下宿人の失踪から、ボランティア団体の職員であるジュディは疑惑の目をこの老いた大家に向けるようになる。
そしてドロシーおばあちゃんの自慢の庭から警察が次々に掘り出したもの。
それは───腐敗しきった死体の数々だった。

発端:面倒見のいい下宿屋の女将さん
コスタリカ人の路上生活者、アルバーロ・ホセ・ラファエル・ゴンザレス・モントーヤ、通称バート・モントーヤは変わり者でエキセントリックな性格だった。
時々霊が語りかけてきてるなどと突拍子のない事を言い出し、知能指数も平均以下なのは明らかで、母国語がスペイン語のため口数も少なかった。
それでも彼は「他人を陥れるウソ」をつくような男ではなく、ユーモラスでどこか憎めないタイプだったためVOA(ボランティア・オブ・アメリカ)の職員たちにも好かれていたし、
担当ソーシャル・ワーカーであるジュディ・モーイズも、彼の力になりたいと思い下宿を見つけ出した。
プエンテの被害者、バート・モントーヤ
やがてバートはこの地区では有名な、ドロシア・プエンテという女性が経営している下宿に入居する事になった。
F通り1426番地の、青と白のヴィクトリア朝様式の清潔そうな大きな家には部屋がいくつもあり、プエンテは一部屋月350ドルで貸し出していた。

「新しい入れ歯が出来てなくてすみませんね」プエンテはバツ悪そうに説明したが、歯が無くてしゃべる事には不自由しているようには見えなかった。
「今年で70になりますのよ」ジュディには、歯がないために実際にプエンテが70歳くらいに見えた。

「下宿屋をやって長いんですよ。F通り2100番地ではもっと大きな下宿を経営していましたし。でもお金のためにやってる訳ではありませんの。
今まで恵まれた暮らしをしてきたので、何か恩返しが出来ればと思ってやっているんです」


ジュディはこの銀髪の女将の話を、真に受けた訳ではなかった。
一見善人を気取っているが、人はボランティア精神で下宿なんて経営しない。言葉の節々から無駄なくらい高いプライドが見え隠れしている。
とはいえ、バートにとってここは待ちに待った居住で、彼女は家主、女将さんなのだ。ジュディは嫌味の一つも言いたい気持ちをグッと堪えて相槌を打った。
1988年2月。バートはプエンテの下宿に入居した。

少し経って、ジュディは2人の先輩ソーシャル・ワーカーから嫌な忠告を耳にする。
あのドロシア・プエンテが、ドロシア・ヨハンソンという極悪女ではないか、というのだ。
そのドロシア・ヨハンソンは当時詐欺で有罪になっており、殺人の嫌疑も掛けられていた。生きていれば50代後半の筈だ、と。
ジュディは「あぁ、それじゃあ違うわ。ミセス・プエンテは70だそうだから」とその場を愛想良くいなしたが、彼女の心に疑惑の種は蒔かれたのだ。
後日ジュディはプエンテに「ドロシア・プエンテって結婚後の名前ですよね?その前は何という姓だったんです?」と尋ね、
「ドロシア・ヨハンソンよ?」と答えたプエンテに、ジュディは目の前が真っ暗になる感覚を憶えた、という。
プエンテが運営していた下宿
バートはプエンテを「ママ」と呼んで大層慕っていた。
自称メキシコ人(もちろんウソである)で、スペイン語がペラペラなプエンテも、どこに出かけるにもバートを連れて行った。
しかし6月30日、バートはVOAの施設に戻ってきた。仲の良かった職員ビル・ジョンソンがその訳を聞くと、ドロシアの所にはいたくない、という。
「もうドロシアの『薬』は飲みたくない」というのだ。
プエンテが「出て行きたいなら出て行けばいい」と癇癪を起こし、結局バートは引き続きドロシアの下宿に滞在することになったが、
のちにビルは「バートの意思を尊重すべきだった」と激しく後悔する事になる。

10月初め、ジュディは「バードはメキシコに出かけた」とドロシアから聞かされた。
確かにプエンテは以前「近々親戚に会いにメキシコに旅行にいく。バートも連れて行くつもり」と言っていた。旅行には実際に行き、プエンテだけが戻ってきたという。
「今向こうにいる私の親戚の世話になっているそうですが、向こうの田舎暮らしが大層気に入ったそうです。タバコもやめたそうですよ」
「はぁ?」ジュディはさらにこの老いた女将に疑惑を感じた。バートはジュディに「田舎より都会の方がいい」といつも言っていたのだ。
その後もプエンテは「連絡があった、その内帰ってきますよ」を繰り返すばかりだった。
その親戚とやらと連絡を取れるのはプエンテだけだし、私も心配していると涙ぐみ、バートのためにクリスマスプレゼントまで買ってある、
とまでいうプエンテをジュディは信じるしかなかった。
11月7日、ミゲルと名乗るバートの義理の弟から電話がかかってきた。「義兄と一緒にユタ州にいる」という。バートに義理の弟なんて聞いた事がない。
しかもこの義理の弟とやらは最初はミシェルと名乗り「随分フランス風のお名前なんですね」とジュディが突っ込みを入れたところ、
慌ててミゲル、と名乗り直しているのだ。

「絶対におかしい。これは旅行などではない。失踪だ。バートは帰らない、のではなく明らかに『帰れない』のだ。
あのドロシア・プエンテは『重大な何か』を隠している」


ジュディがプエンテに出会った時から感じていた「引っ掛かるもの」が一気に大きくなったのを感じた。
さらに「ミゲル」から「今度クリスマスに義兄とコスタリカに行く事になりました。義兄がそちらに戻る事はないと思います」という内容の手紙が届き、
ジュディの怒りは決定的になった。
(筆者注:この手紙でジュディは完全に疑惑を深めた訳だし、裁判で偽装工作の重要な証拠として提出されたのだから、ヤブ蛇とはまさにこの事である)

発覚:悪夢のF通り1426番地
ジュディはプエンテの下宿にいき、警察に捜索願いを出す旨を告げた。
プエンテは平静を装いながら「そんな事をしなくても私が心当たりを当たってみる」と暗にジュディに通報を止めるように伝えたが、彼女の決意は固かった。
これまで何度も路上生活者の失踪捜索などから警察の捜索願受付番号を完全に暗記していたジュディは、即座に警察に通報。
サクラメント市警のジョン・キャブレラ刑事が捜査に着手する事になった。
プエンテの経歴を調べ、彼女が詐欺罪でこれまで何度もシャバと刑務所を行き来しており、そして現在も仮釈放中の身である事を知ったキャブレラ刑事は、
同僚のテリー・ブラウン刑事、連邦仮釈放許可会委員のジュームス・ウィルソンを連れて、11日の午前プエンテの下宿を訪ねた。

「お邪魔してすみません、ミセス・プエンテ。失踪したミスター・バート・モントーヤの事で2、3ほど伺いたい事がありまして」

愛想よく3人を出迎えたプエンテは例によって、バートは義弟とユタ州にいった、バートからも電話があったばかりだ、と繰り返した。
ウィルソン委員は話が一段落したところで

「あなたはこの屋敷で下宿を運営している事も、それで収入を得ている事も我々に知れせていませんね?
これは違反行為です。残念ですが、あなたの仮釈放の権利は取り消されます」


と告げた。プエンテも、それは仕方ない、と理解を示した。

「ミセス・プエンテ、一応この建物の内部も調べさせてもらいたいのですが。
尚、我々は現時点で捜査令状を持っていないので、当然あなたには拒否する権利もあります」


多分断られるだろうと思っていたが、プエンテは「ええ、全然構いませんよ」とあっさりと許可した。
2階を調べたキャブレラ刑事は、空になった薬ビンを見つけた。処方箋にはドロシー・ミラーと書いてあった。
「こちらのドロシー・ミラーという方はどなたですか?」「親戚ですよ。数日前まで家にいましたの」キャブレラ刑事は、薬ビンを証拠として押収した。
もはや、家の内部で調べていないのは庭だけである。
すでにキャブレラ刑事たちは、下宿人のジョン・シャープからベンことベンジャミン・フィンクという下宿人も突然失踪していること、
プエンテがボランティアで派遣される刑務所の受刑者に庭に良く穴を掘らせていたこと、その翌日に凄い悪臭が1階全体に拡がった事がある、という証言を得ていた。
悪臭についてジョンは「あれは死体の臭いだ、自分は死体置き場で働いた経験があるから分かる」と断言している。
さらに前年にモリス・ソロモンという連続殺人犯が、町のあちこちに女性の死体を埋めているというサクラメント始まって以来の事件をおこしている事もあり、
キャブレラ刑事はスコップ2丁、長靴、作業服は用意してきていた。
「ミセス・プエンテ、大変恐縮なのですが、庭をスコップで掘っても構いませんか?」
もちろん、これも令状はないのであなたには拒否する権利がある、とキャブレラ刑事は付け加えたが、プエンテはこれまたあっさり許可した。
作業服に着替えた3人は汗まみれになりながら交代で花畑や菜園に穴を3つ掘ったが何も出て来なかった。
4つ目の穴を掘る段階で疲れきったウィルソン委員は「今日はこれぐらいにしませんか?」とキャブレラ刑事に持ちかけたかった。
しかしキャブレラ刑事はそんな許可会委員を尻目に4つ目の穴を50cmほど掘り始めると、白い塊が出てきた。
スコップで砕いたそれを指にとり臭いをかいでみた。石灰である。
石灰に死体の腐敗、分解を早める効果があるのはウィルソン委員も知っている。彼は俄然やる気を取り戻し、一心不乱に掘り続けた。
やがてスコップの先端が布に包まれた何かに当たった。3人は交代で、丁寧に周りを掘り下げていった。先端からは木の根のような棒が出ている。
全員顔を見合わせた。キャブレラ刑事が穴に下りて、根のような棒をグイッと引っ張った。
キャブレラ刑事が手に持っていたのは人間の足の骨だった。
次々に運び出される遺体
キャブレラ刑事から人骨が出たと聞かされたプエンテは「私の庭から人骨が!? まぁ、何ということでしょう!?」と白々しい演技をした。

過去:嘘と見栄と犯罪にまみれた人生
ドロシア・モンタルボ・プエンテ、旧名ドロシア・ヘレン・グレイは1929年1月9日カリフォルニア州のサンベルナンディノ郡レッドランズで、
ジェシー・ジェイムス・グレイトルーディ・メイ・イェーツの娘として生まれた。
両親は綿摘み職人だったが、父ジェシーはマスタード・ガスの後遺症で、その後寝たきりとなってしまう。母トルーディは酒に溺れ、家事をほとんどしなかった。
ドロシアは兄と一緒に弟、妹の面倒を懸命に見る。
しかし父はドロシアが8歳の時に結核でこの世を去り、翌年には母もオートバイ事故で亡き人となる。
当然グレイ家は一家離散、兄弟と散り散りとなる。施設に預けられたあと、ドロシアは親戚に引き取られる事になった。
ドロシアは注目されるため、関心をひくため、学校でもどこでもウソをつき、ホラを吹き続けた。
女が(いや、男も)見栄のためにホラを吹くのは決して珍しい事ではないが、あまりに酷い内容に当時の学校の担任は
「娘さんに精神カウンセリングを受けさせるように」と養父母にアドバイスを送っているほどだ。
16の時に彼女はシェリという偽名でアイスクリーム・ミルクセーキパーラーで働いているところから、学校は辞めているようである。

ドロシアは友人と下宿をルームシェアし、売春で生活立てていたが、17歳の時にベトナム帰還兵のフレッド・マクフォールと結婚。
二児にも恵まれたが、フレッドはドロシアの虚言癖に耐えられなくなり1948年に離婚。ドロシアは未練があったのか、しばらくは夫の姓であるマクフォールを名乗っている。
もっともカリフォルニアに戻った彼女は、夫は心臓発作で死んだ、とウソをついているが。
この後は男をとっかえひっかえ貢くんにしているが、どれも彼女のブランド品嗜好を満足させる収入はなかったようだ。
テナントから盗んだ小切手で偽造を始めた。すぐに逮捕されて懲役1年の実刑を喰らう。

23歳の時にアクセル・ヨハンセンと再婚する。以後14年間嵐のような結婚生活が続くが、その間にドロシアは売春をしたり、浮気をしたりとやりたい放題だった。
何度も別れてはまたヨリを戻したりしていたが、37歳の時に離婚。
2年後、サマリタンという看護施設の経営を始め、ロベルト・ホセ・プエンテと再婚する。ドロシアの犯罪人生はこの頃から本格的になっていく。
彼女は自分は昔は医師をしていた、看護婦の経験があると周囲に言いふらした。
この結婚は1年ほどで終わり、離婚後ドロシアは今度は老人ホームも経営する。彼女自身も看護助手として老人たちの世話をし、この事業はこの後拡大をする。
1976年、第2の施設の運営を開始、その時に入所者のペドロ・アンゲル・モンタルボ(51歳)と結婚。
この結婚もまた3年もたずに終わってしまい、ドロシアは小切手を偽造してまたも逮捕され、5年間の執行猶予判決を受けた。
40代までは結構太っていたようだ

リンク先である殺人博物館の館長岸田氏、そして当ブログのような、この手のサイト及びブログを運営している管理人各氏もコメントしているように、
ドロシアは人生において真実を語っている方が少なかったようである。 
カメレオンのようにいくつもの名前と経歴を使い分け、お金を手にするやブランド品で身を固め、優雅に振舞い、そして慈悲深い女性を演じていた。
タクシーに乗れば運転手に気前よくチップをはずみ、バーに飲みに行けば見知らぬ人にも平気で奢った。
逮捕後の精神鑑定でもドロシアはソシオパス(社会病質者)と診断されているが、少女時代の惨めな思いや屈辱がトラウマになっているのか、
「他人に立派な人と思れたい、見下されたくない」という気持ちが人一倍強いように思う。
無論ドロシアは快楽殺人犯ではないが、ジョン・ゲイシーと非常に共通するものを感じる。

捜査:犠牲になったシャドー・ピープル
ブラウン刑事は急いで車に戻った。
そして無線で本署に「F通り1426番地の下宿の庭から人間の遺体と思われるものを発見しました。大至急応援をお願いします」と要請した。
正式な捜査令状をもった数人の刑事、法的病理学者、鑑識課の職員、さらに大きく穴を掘るために市の作業員とショベル重機も到着した。
重機での本格的な作業が始まると、キャブレラ、ブラウン両刑事、ウィルソン許可会委員はタオルで汗をぬぐいながら3人で話し合った。

「あの骨が履いていたスニーカー、少々小さくありませんか?」
「確かに。話に聞いたモントーヤの身長からすると、靴のサイズももう少し大きいと思うが…」
「何より死んだとしてもまだ1ヶ月そこらだろう。あんな早く白骨化はしない」


3人の予想通りだった。胎児のようなポーズをとらされ、ビニール、シーツ、カーペットに包まれた遺体が次々に発見された。計7体。
その内の1体は胴体だけで首、手足が切り落とされており、鑑識官は青ざめた。
この胴体だけの死体は1986年8月19日を最後に行方不明となっていた、ベティ・パーマー(77歳)のものと判明した。
べティ失踪の2ヶ月後にプエンテは彼女の年金需給用IDカードを州から受け取っている。名前はベティ・パーマーだが写真は自分にして。
そう、プエンテは自分に口答えをするような「従順ではない入居者」にダルメーン、コデイン、バリウムの三種の薬を飲ませて意識不明にして殺害し、
年金や生活保護費をかすめ盗っていたのだ。
犠牲者はいずれも浮浪者、身よりもない老人、病人。いわゆるシャドー・ピープルと呼ばれる人たちだった。
(筆者注:余談だが、発掘作業の最中に警察は自分を法的に逮捕してはいないと知ったプエンテは、外出するフリをしてまんまと逃亡している。
もっとも逃げ延びた先の酒場で知り合った男性に通報され、すぐにカリフォルニアに連れ戻される事になるが)

逃亡先で御用となり連れ戻されるプエンテ
1982年4月、プエンテの食堂の共同経営者で、2階建てのアパートで彼女と一緒に暮らしていたルース・モンロー(61歳)が薬剤過剰摂取で死亡している。
当時のプエンテは「彼女の夫が末期患者だったので、それを悲観しての自殺ではないか」と証言していた。
しかし警察はルースが「食堂の共同経営はエキサイティングでとてもやる気に満ちている」と夫に手紙を書いていたこと、
行き着けの美容室で「私死ぬかも…」と漏らしていたこと、ルースの子供たちが見舞いにいった際に元看護婦を自称するプエンテが、
「お酒なんて飲まない母に『体にいいから』とお酒を飲ませていた」という目撃情報を掴んでいた。
さらに子供たちからの「母の貯金が空っぽになっている、かなりの宝石類が無くなっている」という訴えもあり、警察も殺人ではないかと睨んでいたが、
当時は証拠不十分で殺人での起訴に踏み切れなかった。
しかし子供たちの再度の訴えもあり、警察は8件目の殺人として今回、正式にカウントした。

ルース死亡の1ヶ月後、4人の入居者に例の睡眠薬、麻酔薬を飲ませて現金や指輪を盗んだとして逮捕、懲役5年を宣告されることになる。
模範囚人として過ごしていたおかげで1985年に仮出所したプエンテは、オレゴン州に住む77歳のエヴァーソン・ギルマウスと交際を始めた。
エヴァーソンは女性囚人に手紙を書くことを趣味としており、それで2人は知り合ったのだ。
彼は妹のリーバ・二クラウスに「凄くいい人と文通している」と話したが、リーバは「兄さん、いい人が刑務所に入ると思う?」と注意を与えている。
(リーバの注意はまったくその通りだと思う)
2人の仲は急速に進展し、11月にはエヴァーソンはリーバに「結婚するかも」と手紙を書いている。
銀行に共有の口座も開設し、後は式の日取りを決めるのみだった。
翌1986年元旦、猟師が川のコーナーバンクに約3フィートの木箱を発見。中には腐敗の進んだ老男性の死体が入っていた。
もっともこの腐乱死体がエヴァーソンと判明したのはプエンテの逮捕後である。
事件の報道を見たオレゴン州サッター郡警察は、木箱に入っていた腐乱死体がプエンテの庭から掘り出された遺体と同様のポーズで布に包まれ、
しかも布の結び目までまんま一緒だった事からすぐに調査を開始、エヴァーソンと判明したのだ。
プエンテは妹のリーバにはエヴァーソンのフリをして「ドロシーとはとても上手くいっている」「いつもお前のこと思っている」と手紙を書いている。
彼女が欲しかったのはエヴァーソンの貯金と年金だった。だから、生きている事にしておかないと不味かったのである。
プエンテは共有口座に振り込まれる彼の年金をモノにし続けていた。
ティム・フローリー検事はエヴァーソン殺害の件も追加し、プエンテは合計9件の殺人で起訴される事になった。

プエンテの下宿の近所の多くのメキシコ系アメリカ人は朝のニュースを見て、ラ・ドクトーラ(スペイン語で医者の意味)と呼んで親しんでいたあのドロシーばあちゃんが、
恐るべき連続殺人鬼でしかも70近いと教えられていた年齢が実は59歳と分かり、コーヒーを噴き出しそうになったのは言うまでもない。

9人の犠牲者の中にバートがいたと知ったジュディは涙を流した。プエンテの下宿にバートを紹介した自分を激しく責めた。「何の罪もない、バートをどうして………」
しかしこれは、警察にも疑問だった。バートは障害者の社会保護費を受給している。死んだり連絡が途絶えれば、当然それはストップされてしまう。
事実、プエンテはバートの受け取り代理人として彼の社会保護費を横取りしていた。しかも知能指数が平均以下のバートは、横取りされている自覚がまったく無かった。
殺してプラスになるメリットがほとんどないのだ。
にも関わらず、プエンテがバートの命を奪った理由とは一体何なのか。ここでジュディの頭には、恐ろしい想像が浮かび上がった。

「バートは殺人の現場を見た、もしくは死体を埋める手伝いをしたので、口封じに殺されたのでは…?
ゴミを埋めるからといって、その時に死体の手か足がひょっこり見えたとしたら…?
間違いない、6月にボランティア施設に戻ってきたのは、逃げ出してきたんだわ……」


ジュディの想像はビンゴだったようで、プエンテは留置場に拘留されている間に同部屋の女囚人に
「バートは知恵遅れだから、ゴミを埋めるといったら疑いもなく手伝ってくれたわ」とうっかり漏らしてしまっている。
(この女囚人は裁判で検察側の重要証人として証言した)

裁判:無表情な殺人鬼
逮捕から4年以上を経て1993年、マイケル・J・ヴァーガ判事を裁判長としてようやくドロシア・プエンテの裁判は開始された。
この裁判で名前を売ろうという野心を秘めていた公選弁護人のケヴィン・クライモは張り切っていた。
同じく弁護を担当する事になったピーター・ヴローティンと連日綿密な打ち合わせをした。
連続殺人鬼モリス・ソロモンの裁判ではジョン・オマラ検事にしてやられているヴローティン弁護士も、リベンジに全力を注いだ。
反対にオマラ検事にとって、この裁判は非常に難しいものだった。プエンテが殺人を犯した場面を目撃した者や、物的証拠が何もないのだ。
検察も弁護も、今回の裁判の戦略は明白だった。
オマラ検事は路上生活者のような底辺の、一般人の同情を集め辛い人達───被害者であるシャドー・ピープルに、いかに陪審員の同情を向けさせるか。
クライモ、ヴローティン両弁護士はちっこく、か弱そうに見えるおばあちゃん───自分達の依頼者であるドロシア・プエンテに、いかに陪審員の同情を向けさせるか。
両陣営とも、ここに腐心することになった。裁判は初日から長い一日となった。
プエンテは死亡した人達は全て自然死だ、と完全無罪を主張。
両弁護士も「我々の依頼人が死んだ方々の死亡を届けられなかったのは、仮釈放許可委員会に下宿経営の事を知られたくなかったからだ」と盛り立てた。
オマラ検事も130人以上の証人を呼んでこれに対抗した。裁判中プエンテは押し黙り、無表情なままだった。

陪審団の評決は長引いた。
何度も評決不可となり、ヴィーガ判事は「互いの考えを尊重し、もう一度話し合いを持つように」陪審団に指示した。一時は「プエンテ無罪か?」の空気も漂った。
結局プエンテに9件の起訴のうちレオナ・カーペンターへの第二級殺人、ドロシー・ミラーベンジャミン・フィンクに対する第一級殺人罪、
計3件の殺人で有罪を言い渡した。  
傍聴席からざわめき、さらには「んな馬鹿な!?」という驚きの声が上がった。
「バートの件が一番計画的犯行だろ」「べティ殺しを無罪って言った奴イカレてるでしょ!?」傍聴席からの怒声に対し、ヴィーガ判事は静粛にするよう一喝した。
陪審団の決定を尊重し敬意を払うように、そして今後大声を上げて審理をストップさせた者は退廷してもらう、と警告を発した。
評決に関して陪審員長を務めた郵便局員のマイケル・エスプリン「本当に苦い決断だった。9人が『殺害された』事は明白だった」とのちに振り返っている。

「でも12人の陪審員の内1人だけ
『証拠不十分』『医薬品が毒になるとは思えない』と弁護側の主張を支持して譲らない方がいてね……。
判事の再度の話し合いの指示で、7度目でようやく3件についてのみ賛成してくれたんだ…」


オマラ検事にとっても、ヴローティン、クライモ両弁護士にとっても、これは勝利であり、敗北だった。
例えるなら「最低でも80点以上狙っていたテストで31点しか取れず、かろうじて赤点(30点以下)だけは免れた」ようなものだった。
物的証拠も目撃証言も何もなく、全てが状況証拠でしかない。準備期間も足りないそんな状態で3件でも有罪に出来たのは、検察サイドとしては上出来かも知れない。
しかしオマラ検事は心の中で「反対した奴は誰だ!? バートの件が無罪だ!? べティはバラバラ死体で発見されたんだぞ!? ふざけんなっ!!」と憤慨していた。
また、事態を楽観視していたヴローティン、クライモ両弁護士もうなだれた。9件の内6件も無罪に持ち込めたのだ。弁護側の観点では大勝利に近い。
だが言い返せば「3件は有罪になった」という事である。しかも陪審員の12人中11人はプエンテにシリアル・キラーの印象を持っている、のが判明したのだ。
自分達の弁護依頼者には極刑が言い渡されるかも知れない。
量刑決定前の最終弁論では両弁護士は証人にプエンテの生き別れの娘などを呼び「彼女は生き延びる価値のある人間である」と繰り返した。

死刑か、仮釈放権無しの終身刑か。またしても陪審員達の評決は割れ、ヴィーガ判事は審理無効を言い渡した。
検察側は量刑再審請求をしない事を決定し、プエンテは自動的に仮釈放権無しの終身刑となった。
彼女はチャウチラにある、女性用刑務所としては米国内最大級である中央カリフォルニア女子施設(CCWF)に収監された。
2006年に撮影されたプエンテ
プエンテは収監後も「あそこで発見された人間は全員自然死である」と無罪を訴え続けてきたが、2011年3月27日、老衰のため自分が自然死。
82歳だった。

参考文献
死体菜園 (翔泳社)
参考サイト
殺人博物館

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テーマ:衝撃 - ジャンル:サブカル

ブラック・パンサー 人間の心を失った殺人マシン

「もし強盗に襲われたら『お金は二の次、命だけは大切にしよう』と私達はいつも話していました。でも犯人はそのチャンスすら与えてはくれませんでした」
(ブラック・パンサーの犠牲者シドニー・グレイランドの妻マーガレット)

全身黒装束で夜の闇に紛れ、簡易郵便局を次々に襲撃した冷酷無比な強盗殺人犯。
イングランド国民がブラック・パンサーと呼んで恐怖したその男は、1975年、レスリー・ホイットルという17歳の少女を誘拐。
事件は最悪の結果を迎え、11ヶ月後、ついにブラック・パンサーは捜査網に追い詰められた。
ブラック・パンサーことドナルド・ニールソン
ここまで紹介しているシリアル・キラーは、いわゆる快楽殺人犯、セックス殺人犯に分類されるものであったが、このブラック・パンサーことドナルド・ニールソンは、
金の為にいくつもの殺人を犯した、強盗及び誘拐殺人犯である。
しかし犯行理由が異常性欲でないとはいえ、その深層に根ざしていたのは、明らかに精神病質者(サイコパス)特有のものだった。

誘拐:闇に紛れてきた黒豹
誘拐されたレスリー・ホイットル嬢
1975年1月14日未明、イングランドの中西部シュロップシャーに住む17歳の女学生レスリー・ホイットルは、何者かに荒々しく体を揺すぶられ、目を覚ました。
黒覆面の黒装束の男がベッドの横に立っており、レスリーの眉間に切り詰めショットガンを押し当てた。
男は事前に用意した3本のダイモ・テープを残し、そのままレスリーを誘拐。レスリーに盗難してきたグリーンのモーリス1300のトランクに入るように指示した。
そのまま100kmほど車を走らせ、今回『隠れ家』に選んだキッズグローブに近いバスプール公園に辿り着いた。
そして下水道の中央管に繋がるマンホールの蓋を開け、点検用はしごを使って下まで降りるように命じた。
2人はやっとの事で3つあるプラットフォーム(踊り場)の一番下まで降りると、そこにはスポンジのマットレスと寝袋が置いてあった。
誘拐犯はレスリーに服を脱いで全裸になるように命じ、はしごに縛ってあった1.5mのワイヤーの先端を首輪状にし、レスリーの首にくくりつけた。
事前にその前に保護のために首には医療用テープが巻かれたが、男は金属製のワイヤークリップをスパナで締めつけ首輪を固定し、レスリーが逃げられないようにした。
レスリーが捕らえられていた下水道の見取り図

14日朝、母のドロシー・ホイットルは娘がいない事に気づき、家中の探したがどこにも見当たらない。
ドロシー夫人は息子でレスリーの兄のロナルド・ホイットルと、ロナウドの嫁であるゲイナーに確認したが、2人ともレスリーには会っていない、という。
そして3本のダイモ・テープを見つけ、ドロシー夫人は娘が誘拐された事を知るのである。テープには以下のメッセージが残されていた。

警察 呼ぶな 身代金 50,000ポンド 用意して スワン・ショッピング・センターの 
電話ボックスで 午後6時から 午前1時までの間 待て もし 電話 なければ 次の夜 もう一度 来い 
電話を取ったら 名前だけを名乗って よく聞け 文句を言わず 指示通りにしろ 
電話を 受けた時から 秒読みは 始まっている 警察や 小細工は 死につながる


スワン・ショッピング・センター キダーミンスター 白い スーツケースに 50,000ポンド 用意しろ

50,000ポンドは 全部 古い札 1ポンド札で 25,000ポンド 5ポンド札で 25,000ポンド 
人質は 引き換えには 帰さない 50,000ポンドを 受け取って その後に 解放する


レスリー・ホイットルは3年ほど前に父を亡くし、その遺産82,500ポンド余りを相続し、それが大々的に新聞『DailyExpress』で報道されたことがあった。
誘拐犯はこの記事を読み、おそらくかなり前からレスリー誘拐を計画していたのだろう。
(さらにこの記事が掲載された月にアメリカでは同じく巨額の遺産を相続した少女バーバラ・マックルが誘拐されている。ニールソンは明らかにモデルにしている)

父から英国中部最大のバス会社を譲り受け、それを経営する兄のロナルドは警察に通報。そして自分の会社の取引銀行に、50,000ポンドを用意するよう手配した。
知らせを受けたボブ・ブース警視正は、身代金要求のテープが用意されていた事と、ホイッスル邸の電話線が切断されていたと聞き、直ちに現場に向かった。

過去:イジメられっ子は社会への復讐を誓った
ドナルド・ニールソンは1936年8月1日、ウェスト・ヨークシャーのリーズ南郊に生まれた。
父親はしがない工場労働者で、家族は食うか食わずかのギリギリの生活を強いられていた。
彼の本名はドナルド・ナッペイといい、発音がナッピイ(おむつ)に似ているところから、虐められ、馬鹿にされて育った。
この事はドナルドの心に深い屈辱を刻み込む事になる。
1955年、ダンス・パーティーで知り合った2歳年上のアイリーン・テイトと結婚する。
アイリーン・テイトとの結婚式
その直前にニールソンはヨークショーの近衛連隊に入隊。軍隊生活はドナルドの水に合っていたようで、のちに「人生で一番幸せな時期だった」と答えている。
ドナルドはジャングル戦闘訓練のために6週間ケニアで過ごした。
この時ドナルドに与えられたのは33口径のジャングルライフルで、外見が銃身を切り詰めたショットガンに酷似し、のちに起こる何かを暗示しているようにも思える。
その後ドナルドは中東のアデンで約2ヶ月を過ごし、さらにキプロスでの兵役に赴任した。
陸軍時代のニールソン
上等兵で兵役を終えたドナルドは、妻アイリーンの待つウェスト・ヨークシャーに帰郷した。
ドナルドは軍隊生活で大きな自信をつけ、虐めに怯えていた登校拒否児だった彼が社会への復讐を考え始めたのはこの頃である。
自信をつけたドナルドはタクシー会社や警備会社を興そうとするが、どれも上手くいかなかった。
彼はまたも社会に対する恨み、つらみを募らせていった。

暗礁:度重なる捜査ミス
スコットランド・ヤードから誘拐事件の専門捜査官12名も応援に駆けつけ、ブース警視正はホイッスル邸の電話と指定された公衆電話に盗聴器を取りつけた。
だが、ここで重大なトラブルが発生してしまう。この事件を嗅ぎつけたフリーのジャーナリストが、夜のニュースでスッパ抜いてしまったのだ。
「ホイットル家の人間が通報したとバレたも同然」と判断した警察は、なんと21時30分にロナルドを引き揚げさせてしまう。
これは明らかに警察の早急すぎる判断であり、のちに誘拐犯は午前0時にちゃんと電話をかけていたことが判明している。
警察の盗聴担当者も電話が来たのが分かったが、当然電話ボックスにはその電話を受ける相手はいなかった。
レスリーが囚われていた踊り場

翌日15日の夜も、ホイットル邸にかかってきたイタズラ電話を誘拐犯からの指示を思った警察は、ロナルドを電話ボックスに待機させなかったのだ。
そのためにロナルドはデタラメの身代金受け渡し場所を求めて、一晩中ドライブすることとなるのである。
一方で誘拐犯はというと、身代金受け渡し場所として予定していたダンドリーの貨物ターミナルの下見をしていた。
そこを警備員のジェラルド・スミスに見つかってしまい、6発も発砲すると一目散に逃げ出した。
(撃たれたスミスは瀕死の重症を負い、14ヶ月後の翌年3月に死亡してしまう。もっともこの件でニールソンが殺人に問われる事はなかった)
その翌日、誘拐発生からは3日後となる16日の23時45分、ロナルドが経営するバス会社の輸送部長レナード・ラッドが誘拐犯からの電話を受け取った。
録音されたレスリーの声で、身代金を持ってキッズグローブの電話ボックスで待機しているよう指示された。
ロナルドはブリッジノーズ警察に出向き指示を仰いだ。が、ここで警察はまたもミスを犯してしまう。
捜査員達は身代金の紙幣すべての番号をマイクロ写真に収めるのに手間取り、ロナルドが出発したのは午前1時30分を過ぎてからだった。
(このナンバー控えはブース警視正には知らされておらず、のちに警視正は『この遅れがなければ少女は助かったかも知れないのに…』と強く批判している)
しかも、ロナルドは途中で道を2度も間違えたために、指定の電話ボックスに到着した頃には午前3時を回っていた。
更に彼は隠されたメッセージを見つけるのに手間取ってしまい、ここでも30分が浪費された。ようやく見つけたテープにはこのように書かれていた。

エスカーズ・ヌックの 標識まで 道に 沿って 進め 
ボートホース・ロードを 進み 遊歩道の 突き当たりを 右折しろ
進入禁止の サービスエリアに 入って 堀を 通り過ぎ ヘッドライトを 点滅させて 懐中電灯の 光を 探せ 
懐中電灯の 所に 指示がある 家に 戻り 電話を 待て


誘拐犯が移動に擁する時間を事前に調べていた事などもちろん知らないロナルドは、指示のままにヘッドライトを点滅させたが、懐中電灯の光は遂に見つからなかった。
そう、遅すぎたのだ。電話があってから4時間以上も経過していたのだ。
実は午前2時30分頃、事件とは何の関係もないカップルの乗った車が待機場所に止まったのだ。犯人は必死で懐中電灯を振るが、当然何の返答もない。
警察は頑なに否定しているが、このカップルは「公園内で警察のパトカーを見た」と証言している。
さらに上空には警察のヘリが飛び回っており、双眼鏡でこの様子をずっと監視していた誘拐犯は、「ホイットル家の人間は警察に通報した」
そして「自分を逮捕する為に警察が罠を張っている」、と確信した。
激怒した誘拐犯はバスプール公園の下水道に戻り、レスリーをプラットフォームから突き落とし、その場を立ち去った。

逮捕:最悪の結果に
誘拐犯からの連絡がピタリと止まった7日後の23日になって、犯人が乗り捨てたと思われるグリーンのモーリスが現場付近から見つかり、
中からレスリーのスリッパをはじめ、誘拐犯のものと思われる遺留品が大量に出てきた。
このモーリスは盗難車と判明し、さらに弾道検査の結果警備員スミスを撃った銃が、警察やマスコミがブラック・パンサーと命名していた、
強盗殺人犯のものであることが判明した。
ブラック・パンサーの名は黒覆面に黒い作業つなぎと全身黒装束で犯行に及ぶ事から由来しており、コンビニや新聞店と併合したいわゆる簡易郵便局を19件襲撃し、
その内郵便局長を含む3名を殺害している。被害総額は20,000ポンド以上に及んでいた。
レスリー誘拐犯とブラック・パンサーが同一犯と分かり、イングランドのみならずスコットランド、ウェールズ、アイルランド、旧大英帝国圏の各国が騒然となった。
警察が着て再現して見せたパンサーの『仕事姿』

事件発生から40日が過ぎようとしていた3月6日、最後の身代金受け渡しに指定された場所の付近で遊んでいた近所の小学生が、懐中電灯を見つけた。
それには「スーツケースを 穴に 落とせ」と打たれたダイモテープが貼られていた。
翌日に付近一帯と件の下水道の大捜索が行われ、下水道の中で宙吊りになったレスリーの全裸遺体が発見された。
懐中電灯の光の中に浮かび上がったレスリーの変わり果てた姿は捜査陣の希望の全てを打ち砕く、衝撃の、そして最悪の結末だった。

「未成年の女の子にあんな真似をするなんて、思ってもみなかった」

とブース警視正は後日語っている。
検視医によるとレスリーには迷走神経の抑制が生じており、死因は「極度の恐怖によるショック死」と説明がされた。
スコットランド・ヤードからまた応援が駆けつけたが、しかしブラック・パンサーの行方は依然として不明だった。
レスリーを捕らえていたワイヤー

事件から11ヶ月経った12月11日、金曜日のことである。
23時すぎ、ノッティンガムシャーのマンスフィールド・ウッドハウスで、パトカーで巡回していたスチュワート・マッケンジー巡査トニー・ホワイト巡査は、
「フォー・ウェスト・パブ」の前で、大きなカバンを持ってウロウロしている不審者を見つけた。
ドナルド・ニールソンだった。両巡査は不審な男にパトカーの助手席に乗るように指示し、職務質問を始めた。
男は最初親しげに応じていたが、書類に名前と住所を記入するように命じられると、突然、手提げ袋の中から柄のないショットガンを取り出した。
そして運転席のマッケンジー巡査に車を走らせるように命じたが、後部座席に座っていたホワイト巡査が、自分から視線をずらした隙にショットガンを掴んだ。
暴発し、ホワイト巡査が怪我を負ったが、パトカーはチップ&フィッシュ店の前で止まり、その音で野次馬が群がってきた。
ニールソンは警官2人を相手に凄まじい抵抗を見せてたものの、その日夕食をとろうとたまたまチップ&フィッシュ店にいた2人の客、
ロイ・モーリスキース・ウッドも捕り物に加わり、ニールソンは最終的には寄ってたかってフルボッコにされ、近くの手すりに手錠で繋がれた。
(特に空手の達人でもあったキース・ウッドには空手チョップを首筋に食らい動けなくなるなど散々やられたそうである)
110kmほど離れたキッズグローブに護送されたニールソンは、最初は殺人博物館様の項目にも書いてあるように黒人かカリブ訛りのようなたどたどしい口調で
「わたし、やってないよ?」などとシラを切り続けていた。
しかし、12時間にも及ぶ取調べの末ついに観念し、自身がブラック・パンサーである事を白状したのである。
連行されるニールソン

裁判:殺人マシン
ニールソンの恐るべき『商売道具』の一部
裁判の前に行われた精神鑑定で、ニールソンは「精神病質者(サイコパス)の特長をほとんど持っている」と診断されている。
軍隊仕込みの計画的で合理的な行動をとれるが、一旦パニックになると前後の見境がつかなくなるのは、その代表例だそうである。
あと、「他人が幸せそうにしているのが我慢ならない、足を引っ張って不幸な目に陥れてやりたい」と願う、いわゆる他人の不幸でメシウマタイプで、
これはジェラルド・スタノエド・ケンパーあたりの快楽殺人鬼とも共通する、サイコパスにありがちなパターンである。

1976年からマース・ジョーンズ判事を裁判官として行われた裁判において、ニールソンはレスリーの死は偶発的なものだと主張した。
縛りつけておいた下水道のプラットフォームから、彼女が過って落ちたために死んだのだ、と言うのだ。
しかし陪審員を納得させることは出来ず、この期に及んで反省した表情も見せず、自身の行為の正当性を淡々と主張するニールソンの態度は、
逆に陪審員の神経を逆撫でした結果となった。

「良心の呵責を感じず簡単に人を殺せる殺人マシン」

ブラック・パンサーに対し、陪審員たちが持った印象だった。
ニールソンは「レスリーを最初から開放するつもりだった」と主張したが検察は

「君はダイモ・テープのメッセージに『警察や 小細工は 死に繋がる』と脅しを書いてるじゃないか。
誘拐が失敗したら、いや、たとえ成功しようと最初から口封じにミス・レスリーの命を奪う気だったのだろう?」

「君は犯行が失敗し怒りとパニックに駆られ、それで衝動的にミス・レスリーを突き落としたのだろう?」

とバッサリ切って捨てた。
陪審員達も検察のこの意見には全面的に賛成した。裁判中は淡々と無表情だったニールソンだが、この時は取り乱す寸前になっている。
同様に簡易郵便局での3件の殺人においても、陪審員を納得させる事は出来なかった。
裁判中のニールソンのスケッチ
ブラック・パンサーは4件の殺人と1件の殺人未遂、1件の暴行で有罪になり、終身刑を云い渡された。
ジョーンズ判事は、仮釈放権が発生する最低収容期間を設置しなかった。これは死刑のないイギリスでは最大の量刑となる。
(筆者注:この7年後に逮捕される『英国史上最悪の連続殺人鬼』と言われるデニス・ニルセンの終身刑ですら、25年の最低収容期間がついている)

ジョーンズ判事は終身刑を宣告する際、ニールセンにこのように言い渡した。

「被告の終身刑に保釈権は永久に発生しない。すなわちもう一生塀の外には出られない、と理解していただきたい。
もし被告が万が一釈放される事があるとしても、それは高齢か疫病により服役に耐えられなくなった場合に限られる」


裁判中もほとんど無表情だったニールソンは、この判決を聞いても顔色一つ変えなかった。
被告席で回れ右をし、英国犯罪史上もっとも残虐な殺人犯の1人として、ぎこちなく法廷を後にした─────
新聞の見出し。『パンサー生涯禁固刑』

2008年からニールソンは呼吸困難の症状を訴えるようになった。運動ニューロン疾患と診断され、その後状態が一気に悪化。
ノリッジ刑務所からノーウィッチ大学病院に移送された次の日の2011年12月17日、早朝に死亡が確認された。 
恐るべし殺人マシン『ブラック・パンサー』の精神構造はついに解明されないまま、75歳でニールソンはその生を終えた。

参考文献
週刊マーダーケース・ブックNo.13 殺人マシン ブラック・パンサー (デアコスティーニ)
連続殺人紳士録 (中央アート出版社)
現代殺人百科 (青土社)
参考サイト
殺人博物館

テーマ:衝撃 - ジャンル:サブカル

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