世界を驚かせた奇怪、猟奇的な殺人事件の数々、そしてその犯人。科学では解決できないミステリー現象。それらを紹介していくブログです。

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拝啓 親愛なる我が友、ミスター・レッサーへ。

「人間を更正させるには殺すしかないと、俺は信じている」 (カール・パンズラム)

カール・パンズラム
幼少の頃から過酷な虐待、裏切りを受け続けてきたカール・パンズラムは、人と社会の全てを憎み、それに危害を加え続ける事に生涯を賭けた。
拘置所に入ってもそれは変わらず、常にいざこざやトラブルを起こし、看守たちの手を煩わせ続けた。
しかし、1人の心優しき親切な看守が、パンズラムの心を開いた。
その看守の「友情」に感謝し、パンズラムが書き綴り渡した半生記には、驚くべき内容が記されていたのである。

告白:親切な看守
1928年の夏も真っ盛りな8月16日。ある大柄でがっしりとした体格の男が、ワシントンDC地方拘置所に拘留された。
8月のワシントン州は凄まじく暑く、30度を超える事もまったく珍しくない。拘置所の中は、囚人たちの汗と消毒薬の臭いが充満していた。
その囚人は20日の昼下がり、5ヶ月前にこの拘置所に赴任したばかりの若い看守、ヘンリー・レッサーに強烈なインパクトを与えた。
レッサーは房の扉の上のネームを確認すると、そこにはC・パンズラム、と記されていた。
見ると、パンズラムは鉄格子をその大きな手で握り締めている。レッサーは、何気なく訊いてみた。
「……あんたの裁判は、いつから始まるんだ?」「11月だ」パンズラムからは、そう返ってきた。
その燃えるような黒い瞳には凄みがあった。レッサーはパンズラムをきっとマフィアかギャングの大物に違いない、と思った。
「あんた、塀の外ではどんな仕事をしていたんだ?」「人間の更正だよ」すると、同じ房の2名の囚人たちが笑い出した。レッサーには意味が判らなかった。

貧しい家庭に育ったユダヤ人青年のレッサーは人当たりがよく、偏見を持たずに囚人たちに接していたため、囚人たちの評判も良かった。
そのレッサーの雰囲気が、ひょっとしたらパンズラムにも伝わったのかも知れない。
翌日、再びパンズラムが拘留されている前を横切ったレッサーは、またパンズラムに話しかけた。
「なあ、パンズラム。あんたが昨日言ってた人間の更正って、何だ?」するとパンズラムは無表情に答えた。

「人間を更正させるには殺すしかないと、俺は信じている」

だが、パンズラムの容疑は窃盗だった。歯科医の家に侵入してラジオを盗み、職務質問で堂々と「泥棒だ」 と答えて捕まったのだ。
そのことを問いただすと「そうさ。ケチな容疑さ。俺は何人も殺しているから、どおってことねえよ」
レッサーは直ちに所長のウィリアム・L・ピークに報告したが、ピーク所長も、警察も、検事も、パンズラムのハッタリだと信じていた。
「あいつはああやって他所の州での立件不可能な犯罪をでっち上げ、逃亡犯罪人引渡しで時間稼ぎしようとしてるんだろう」
実際、パンズラムは過去に何度も服役していたが、容疑はいずれも不法侵入や窃盗だった。
パンズラムの心を開いたヘンリー・レッサー
10月22日、パンズラムの房が抜き打ちで検査された。コンクリートに埋め込んでいる鉄格子の1本が緩められている。
こんなことを出来る腕力の持ち主は大男のパンズラムしかいない。
直ちに懲罰室に連行され、柱を抱く格好で縛られ殴る蹴るの暴行を加えられた上に、吊るし刑に処された。
両手を背中で縛られて手首から吊るされた状態で12時間も放置されたのだ。
心配したレッサーが様子を見に行くと、床に倒れていたパンズラムは「よぉ、お前さんかい」とレッサーに声をかけた。
見ると手首の皮膚が裂け、血が滲んでいる。「大丈夫か?」とレッサーが尋ねると「ああ、これぐらいは慣れっこよ」と答えた。
ところが別の看守が房を覗き込むと、パンズラムは口汚く罵った。たちまち4人の看守によってたかってリンチにかけられた。
不憫に思ったレッサーは、信用できる囚人に1ドルを預け、パンズラムに渡すように頼んだ。「これで何か美味い物でも買うように伝えてくれ」
1ドルあれば、追加の食料とタバコが買えるのだ。金を受け取ったパンズラムは最初、ジョークかと思った。
しかしレッサーの本心だと知った時、パンズラムの両目からは不覚にも涙が溢れた。25日、パンズラムの房の前を通りかかったレッサーに、パンズラムは話しかけた。
「ありがとうよ、他人に親切にされた事なんて、生まれて初めてだ。お前さんにだけは、俺のしてきた事を教えてやろう。
紙と鉛筆を差し入れてくれないか? そうすれば書いて教えてやれる」

囚人に紙を鉛筆を差し入れるのは、厳密には規則違反だった。囚人は書ける手紙の枚数には規制があり、そして必ず検閲される。
しかしレッサーには、そうすることでこの男が救われる、と思えたのだ。
翌日、レッサーは房の中のパンズラムに話しかけるふりをして、鉄格子の隙間から紙と鉛筆を差し入れた。パンズラムはそれをそっとマットレスの下にしまい込んだ。
10日ほどたった11月のある夜、レッサーはパンズラムの房にこっそりと近づいた。パンズラムはレッサーの姿を確認すると、鉄格子の間から1束の原稿を渡した。
そして少し会話をしたレッサーは、パンズラムが粗暴だが知的な精神の持ち主である事を悟った。愛読書はドイツの哲学者、アルトゥール・ショーペンハウエルの本だという。
パンズラムの裁判が始まるころ、レッサーはパンズラムの手記を一心に読みふけっていた。
だが、まさかパンズラムのいう「俺のしてきた事」が恐るべき大量殺人だとは、レッサーはこの時は夢にも思わなかった。

過去:典型的な厄介者
カール・パンズラムは1891年6月28日、ミネソタ州で小さな農家を営んでいたジョン・パンズラムの4人目の子供として生まれた。
父親のジョンは暴力的な男で、カールが7歳の時に家出した。
カールが初めて警察のお世話になったのは僅か8歳の時だった。酒を飲んで補導されたのだ。そして11歳で少年院に入れられた。
「俺はそこで、人が人に対して行ういたぶりについて、徹底的に教わることとなった」
体罰と称して殴つ蹴るの暴行を受け、裸で縛りつけられたこともあった。社会に対する激しい憎悪の萌芽がこの時に芽生えた。
その後も窃盗を繰り返し、シャバと刑務所を何度も往復することになっったカールは、1910年の釈放時に自身を「典型的な厄介者」と評した。
そして1915年、カールはその生涯を決定づける出来事に遭遇する。
サンフランシスコで逮捕された時、担当検事から「盗品の隠し場所を自供すれば求刑は最低刑の懲役1年にする」という司法取引を持ち掛けられたのだが、
それに応じても検察側は裁判で最高刑の7年を求刑してきたのだ。

「俺はちゃんと約束を守った。でも、判事も検事も約束を反故にし、たっぷり7年もの懲役を喰らわしやがったんだ。
ブタ箱に戻った時、看守どもは俺を嘲笑った。堪忍袋の緒が切れたとはこのことだぜ。
俺は房から抜け出すと、他の房の鍵穴をすべて埋めてから、辺りのものを手当りしだいにぶち壊した。
そして、ガラクタを積み上げてバリケードにすると火を放ったんだ。だが、奴らが突入してきたんで消されちまった」


23歳の時のパンズラム
それからのカールは事あるごとに反抗し、その度に「穴ぐら」と呼ばれる懲罰室に放り込まれて殴る、蹴るの暴行を受けた。
しかし、それでも彼は反抗を止めたりはしなかった。
看守の顔に便器の中身をぶちまけたり、食料庫に侵入して盗んできたアルコールを囚人に振るまって騒ぎを起こした事もあった。
囚人仲間の脱獄を手助けをし、その追跡の際にミント刑務所長が銃撃されて死亡した。カールは狂喜したが、新任の所長は彼を「消火ホースの刑」に処した。
(筆者注:我が国でも2001年、名古屋刑務所の刑務官4人が受刑者を死亡させた体罰である)
それでもカールは耐え抜いた。そして、この体罰が州知事の耳に入り、新所長は免職された。

1917年、チャールズ・A・マーフィーがオレゴン州立刑務所長が就任した。
彼は元陸軍大尉にしては珍しくリベラルな人物で、凶悪な囚人でも人として対等に接すればそれに応えてくれる筈だと信じていた。
彼と出会ったことでカールの人生に陽が射したかに思えた。ところが、結果としてこのことが裏目に出てしまうのである。

転機:リベラルな新所長
マーフィーの方針はそれまでとはまったく違っていた。これまでの所長と違い、残虐さなど微塵もない。懲罰も独房に入れられるだけで、ベッドと3度の飯が与えられた。
ある日、鉄格子を切っているのを見つかったパンズラムは捕まった。報告を受けたマーフィーは看守に訊ねた。
「パンズラムはこれまで何度穴ぐらに入れられたんだね?」
「8回です」と看守が答えると「ふむ、では穴ぐらに入れても効果はない、という事だな」そしてマーフィーは次のように指示を出した。
「明日からパンズラムの食事の量を増やしてあげなさい。それから、字が読めるようだったら、本も差し入れなさい」
「は、はあ…分かりました」

懲罰室
数週間後、パンズラムはまた脱獄を試みようと糸のこを持ち込んだのを見つかってしまった。
報告を受けたマーフィーは、所長室にパンズラムを呼んだ。
「君はこの刑務所で一番の厄介者だそうじゃないか」パンズラムは黙って頷いた。ここでマーフィーは信じられない提案をしてきた。
「君がもし『脱獄しない』と名誉にかけて約束するならば、君は刑務所の外に出て何処に行ってもいい。但し、夕食の点呼までには戻ってくるんだ」
パンズラムはしばらく考え、そして、名誉にかけて脱獄しないと誓った。もちろん、内心は脱獄するつもりでいた。
ところが、夕食の時間が近づくにつれて、後ろ髪を引かれる思いに駆られた。気がついたら、パンズラムは刑務所に戻っていた。
「ムショに戻ると、仲間たちから『どうかしてる』と口々に云われた。
俺もそう思ったから『俺が狂ってないかどうか診察してくれ』と刑務所医に頼んだが、狂ってはいなかったそうだ」

あんなに凶悪だったパンズラムが模範囚になって行った。着実に刑務所改革が進められた。
体罰はなくなり、食事は改善され、囚人による自主管理も行われるようになった。
全てが好転したかに思われたが、それをすべて御破算したのは他ならぬパンズラム本人であった。

事が起こったのはその年の9月のことである。いつものようにぶらりと外に出掛けたパンズラムは近所の病院へと向った。
今や模範囚の彼はそこの看護婦たちと文通をしていたのだ。ところが、その晩はいささか飲み過ぎて、夕食の点呼の時間を過ぎてしまった。
パンズラムの脳裏にふたたび「脱獄」の文字がよぎった。
パンズラムは1週間後に捕まったが、その際逮捕しようとした保安官代理を殺そうとしたため、マーフィーの面目は丸潰れだった。
彼の采配は全米からの注目を集めていたというのに、結局ダメだということが実証されてしまったのだ。
散々批判されたマーフィーは更迭され、刑務所も元のような豚小屋レベルに戻ってしまった。
パンズラムはこれまで他人と社会は憎んでいたが、己れは憎んでいなかった。
ところが、今回はかつて自分との約束を反故にした判事や検事と同じ事を、自分がマーフィーにしてしまったのだ。
「マーフィーは理想主義者だった……彼は俺を信じてくれたのに、俺は彼の信頼を裏切ってしまい、抜き差しならない状況に追い込んでしまったんだ」
マーフィーの信頼を裏切ってしまったパンズラムは自分自身を嫌悪し、完全に自暴自棄になった。

殺人:モンスターへの変貌
自分を含め、地球上のあらゆるものを憎悪するモンスターと化してしまった彼は、殺人にのめり込むようになる。
1918年5月、まんまと脱獄に成功したパンズラムは、ニューヨークで船員の免許を取った。
南米からヨーロッパに入り、英国で盗みを働いていたが捕まって、グラスゴーにある拘置所でしばらく過ごしている。
ニューヨークに戻った彼は、従軍時代に懲役3年の刑を命じた当時の陸軍長官、ウィリアム・ハワード・タフト(のちの第27代アメリカ大統領)の家に入り、3000ドルを盗んだ。
その3000ドルでヨットを買うと、船乗りの追い剥ぎ稼業を始めた。
船乗りを雇って沖に繰り出し、夜に酒をたっぷり飲ませ前後の区別もつかないくらい酔わせると、殺害して所持金を巻き上げるのだ。
これで少なくとも10人は殺した。さらに2名を雇ってまた殺そうとしたが、ヨットが座礁してしまったため、この2名にはちゃんと金を払って解雇した。
その後ベルギー領のコンゴに渡り、6人の現地人を雇うとワニ狩りに出掛けた。
「ワニは腹ペコだったみたいだから、俺はエサをやることにした。6人の黒人全員を撃ち殺して海に投げ込んだ。死体はきれいに平らげてくれたよ」
現地の少年を強姦して、頭を砕いて撲殺したこともあるという。(パンズラムは両刀使いだった)。
どこまでが本当なのかは判らないが「ヘンリー、お前さんにだけは教えてやる」という手記なのだから、嘘やハッタリを書くとは考えがたい。
おそらく、全てが真実なのだろう。最後の中国人を含め、犠牲者は20人にも及んだ。
その後、ニューヨークに戻ったパンズラムは運送会社に侵入して逮捕された。
尚、この件の裁判でもパンズラムは検察に司法取引の約束を反故にされている。
有罪を認めれば求刑は最低刑にする、と約束していたにも関わらず、裁判では最長刑の5年を求刑されたのだ。
そして5年後、出所した彼は歯科医の家に忍び込んでラジオを盗み逮捕され、ワシントンDC地方拘置所に拘留されたところでレッサーと知り合う事になる。

パンズラムの手記をすべて読み終えたレッサーは、戦慄を覚えたが、同時に深い感銘を受けた。刑務所の現在の制度を痛烈に批判する行には、知性すら感じた。

「俺がどうしてこんな人間になってしまったのか、知りたきゃ教えてやろうか?
俺は好き好んでこんなケダモノになったわけじゃない。奴らは俺を捕まえて、ムショで散々虐待してから釈放するんだ。それの繰り返しだった。
例えば、お前さんが虎のベイビーを飼っていたとしよう。こいつを虐待して獰猛で血に餓えた怪物にしてから、世に放ったとする。
そいつは手当たり次第人間に襲いかかり、町はたちまち地獄絵図を化すだろう。それと同じことがこの国のムショでは行われているんだ」


1928年11月12日、パンズラムに判決が云い渡された。
何とこの裁判での検察は、パンズラムに司法取引の申し出を断られた事に怒ったのか(パンズラムにしてみたら当然の対応なのだが)、
25年という窃盗では有り得ないような懲役刑を求刑してきたのである。
怒り狂ったパンズラムは検察、判事、陪審団に怒鳴り声で悪態を突きまくり、判事や陪審団に「俺はもう何人も殺してるんだ!」と言い放った。
結果、判事と陪審団の心象をこれ以上ないくらい悪くしてしまい、パンズラムは国内で最も過酷と云われているカンザス州リーブンワース刑務所に、
求刑通り25年間服役する事になってしまった。
レッサーはパンズラムになんと声をかけていいのか分からなかった。少なくともパンズラムが怒り狂った理由は、レッサーには理解できた。
確かにパンズラムは窃盗犯だ。とはいえラジオを盗んで懲役25年はあんまりだと思った。
レッサーはパンズラムにタバコを1箱余分に差し入れることで、自分の気持ちを表した。

パンズラムが入っていた房
年が明け、パンズラムが移監される日が近づいてきた。レッサーは上司からパンズラムの独房の鉄格子の点検を命じられた。
レッサーは鉄棒を手にパンズラムの独房へと向った。鉄棒を確認したパンズラムは全身に緊張をみなぎらせてレッサーを見据えた。
レッサーは「大丈夫、何もしやしないよ」という意味を込めて微笑み、パンズラムの背後にある鉄格子の窓を指差した。
「なあ、カール。あんたはあんなに綺麗な夕日を見たことがあるかい?」その瞬間パンズラムは後ろに飛び退き、そしてレッサーに訊ねた。
「どうして俺を振り向かせようとするんだ?」レッサーは鉄棒に眼をやりながら云った。「ああ、これかい? あの窓の鉄格子を点検しなきゃならないんだ。ただそれだけさ」
パンズラムはレッサーの真意を吟味しているようだった。そして、結論が出たのか、次第に緊張が解れていった。
「以前俺を振り向かせて、振り向いた瞬間に鉄棒で殴った奴がいたんだ。だからお前さんもそうするのかと思ってな」
「ははは、私はそんなことはしないよ、絶対に」レッサーは窓に近づくと、鉄格子を1本ずつ鉄棒で叩いてグラついていないかを調べ始めた。
その背後でパンズラムがにじり寄ってくる気配を感じた。それでもレッサーは点検を続けた。
「夕日なんかに関心を向けようとしてすまなかった。あんたは今、とてもそんな気分になれないよな」レッサーはゆっくりと歩いて房を出ると、ドアに鍵をかけた。
「お前さんは勇気があるな」パンズラムが低い声で云った。「だがな、あんな風に俺に背中を向けちゃいけない。もう2度とするな」
レッサーは微笑みながら答えた。「勇気とかじゃないよ。あんたが私に手を出さない事を知っているだけさ。友達じゃないか」少し沈黙が続いた後、パンズラムは答えた。
「ああ。お前さんだけは殺したくはないぜ。だがな、気をつけろよヘンリー。今の俺はひどく不安定で、どんな事でもしてしまいそうなんだ」

死刑:最初で最後の公平な正義
1929年2月1日、リーブンワース刑務所に移監されたパンズラムは、その後もレッサーと文通を続けていた。
しかし6月20日、彼を虐待し続けていた作業監督のロバート・ウォーンクを金てこで撲殺、1930年4月15日、死刑を宣告された。
ウォーンクは地元のKKK(クー・クラックス・クラン)のメンバーだった。
KKKは白人至上主義有色人種差別の他に「刑務所に入る奴は悪い事をしたからだ、酷い目に合って当然。優しくしてやるなど言語道断」という超保守思想団体でもあり、
そのメンバーでもあるウォーンクが、パンズラムのような男とはソリが合う訳がなかったのだ。
拘置されている間、パンズラムはまた看守たちにリンチを受けるんではないかと思ったが、しかし、そのような事は一切なく、単に反省室に閉じ込められただけった。
パンズラムはレッサーへの手紙に「驚いたぜ、まさか何もされないとはね。最初からこういう扱いを受けていたら、俺は歪まなかったかも知れん」と書いている。
この手紙を読んだレッサーは「私はあんたが根っからの悪人じゃないと思っている。あんたは更正出来る筈だ。必ず減刑を勝ち取って見せる」と返事を書き、
そしてそのために尽力したが、パンズラムからの返事の手紙は以下のようなものだった。

「坊や、いい加減に目を覚ませよ。俺は善人になろうなんてこれっぽっちも思ってないんだぜ。俺がこうなるまでに30年以上もかかったんだ。
それなのにどうしてお前さんは俺が善人に生まれ変わるなんて信じているんだい? 黒はいきなり白になったりしねえんだよ。
しかし不思議なもんだな、ヘンリー。お前さんほどの善人が、俺みたいな極悪人を好いてくれるなんて。俺ですら、俺自身を心から憎んでいるってのによ!」


パンズラムは死刑判決に「不満はない」と答え、上訴はしない事を公選弁護人に伝えた。
折しも米国では死刑反対運動が高まっており、カンザス州はその流れをいち早く汲んで死刑を廃止していた。にも関わらずパンズラムには死刑判決が出たのだ。
当然のように死刑反対論者たちは激怒し、パンズラムに面会を申し入れ助命請願者への署名を求めた。
だがパンズラムは怒鳴り、卑猥な言葉を浴びせて彼らを追い返すだけだった。
死刑反対団体からの「どうして死刑を逃れたいとは思わないのか?」という質問に対し、以下のように答えている。

「今回の俺に対する死刑判決は、俺が生きてきて初めて見た、
最初にして最後の『公平な正義』だと思っている」


時の大統領ハーバード・フーバー「どうか俺の死刑を延期したり中止しないようにしてくれ」と直訴の手紙も送った。
パンズラムの意思が固いと知るや、レッサーにはもうどうする事も出来なかった。
今、彼に出来ることは手記を世間に広め、現在の刑務所制度が抱える問題とその改善を促す事だけだった。
1930年9月5日、早朝6時になろうとするころ、パンズラムの死刑は執行されようとしていた。
立会い人に2名の牧師がいるのを見て彼は激怒し「聖書を盾にした偽善者なんて追っ払ってくれ」と刑務所長に訴えた。
抗議が認められると晴れ晴れとした表情をし、こう言った。「さあ、さっさとやろうじゃないか。何をもたもたしてやがんだ」
絞首刑台の上で死刑執行人に「最後に何か言い残すことはあるか?」と聞かれると、彼はこう答えた。

「ああ、あるね。さっさとやれよこの田舎者、お前がノロノロしている間に俺なら10人は絞め殺してるぜ!」

その数秒後、絞首刑台の床板が開き、パンズラムの首の骨が折れた。
パンズラムの裁判で精神鑑定を担当したカール・メニンガー博士は、数年後、パンズラムをこう語った。
「彼はその獰猛さと気性の激しさ、そして激しい憎しみをもっているという点で、非常にまれな男だった。
我が合衆国の刑務所制度が抱える問題から今後も第2の彼が生み出されるかも知れない。その意味でも私は生涯、パンズラムを忘れることはないだろう」


パンズラムがレッサーに宛てた半生記
パンズラムの手記には多くのジャーナリストや作家が感銘を受けた。
しかし衝撃的な内容と、KKKのような超保守思想派の反対により、その出版は困難を極めた。
パンズラムが処刑されてから40年後、この手記は『 Killer, A Journal Of Marder 』というタイトルで1970年、ようやく発刊に至った。
その間、看守の職を辞め衣服品のセールスマンに転職したレッサーは、亡き「親友」のため、ずっと尽力し続けたのである。

『 Killer, A Journal Of Marder 』は日本では扶桑社より『全米メディアが隠し続けた第一級殺人』というタイトルで発売されている。
残虐ではあったが、実は高い知性の持ち主でもあった大量殺人者の心理を研究したこの本は、犯罪研究家の必読の書である。
興味を持たれた方は、ぜひ一度目を通すことをお勧めする。

参考文献
全米メディアが隠し続けた第一級殺人 (扶桑社)
週刊マーダー・ケースブック31 憎しみの殺人者たち(デアゴスティーニ)
参考サイト
+ M O N S T E R S +
殺人博物館

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テーマ:衝撃 - ジャンル:サブカル

英国版「疑惑の銃弾」 真犯人は姉か?弟か?

「一見折り目正しく洗練された態度とは裏腹に、あなたには若さに似合わない狡猾でいびつで、凶悪な精神が潜んでいます」
(ドレイク判事、ジェレミー・バンバーに終身刑判決を下した裁判官)

ジェレミー・バンバーは少年のようなおとなしそうな外見とは裏腹に、酒とドラックと女をこよなく愛し、力のない者にイジメ行為をしてそれを面白がっている、
今の我が国でいう典型的なDQN男だった。
ジェレミー・バンバー
将来は大農場の地主としての地位が約束されていたが、周囲には「両親が死ぬまで待てない、今すぐ遊ぶ金がほしい」と公言して憚らなかった。
そして「精神異常の姉がライフルを手に暴れている」と警察に通報。駆けつけた警官隊が見たもの、それはバンバー家の人間たちの変わり果てた姿だった。
当初は姉・シーラの無理心中と思われていた事件は、事件そのものを疑問視していた遺族と1人の刑事の手により、急展開を見せていく。

発端:農場での惨劇
1985年8月7日水曜日未明、イングランド東部のエセックス州にあるチェルムスフォード警察の電話が鳴り響いた。
通常、警察への直通番号999番(日本でいう110番)はコンピューターに自動的に記録されるが、その電話はチェルムスフォード警察への直接電話だった。
その時、夜間宿直の警官が時計を見た際、午前3時26分だったのを確認している。
通報者はジェレミー・バンバーと名乗った。自宅に父親から異常な内容の電話があった、と興奮気味に語った。

「姉さんの頭がおかしくなった! 銃を持ち出している! すぐに来てくれ!」

そこで父親からの電話は切れ、すぐさま掛け直したが、話し中の信号音が聞こえるだけだった、という。
最初はイタズラ電話かと思っていた宿直の警官だったが、次第に電話の主の真剣な訴えに事の重大さに気がついた。
ジェレミーの父親だというネビル・バンバーの名前には当直の警官も聞き覚えがあった。この辺では有名なホワイトハウス農場のオーナーだったからだ。
当直の警官は通報者であるジェレミーに、父親の農場に行き、警察の到着を待つように指示した。
バンバーは「分かりました」といって電話を切った。ただちに40名の対凶悪犯用武装小隊に出撃命令が下った。
ネビル&ジェーン夫妻

急行した40名の武装警官が農場の母屋を包囲すると、間もなくそこに通報者のジェレミー・バンバーが到着した。
ジェレミーのいう「頭がおかしくなった姉」の名はシーラ・キャフェル。普段は「バンビ」の愛称で呼ばれていた。
ジェレミーより3歳年上の27歳で、2人ともバンバー家の養子だった。
シーラはかなり以前から精神に異常をきたしており、美しい外見からモデルをしていたこともあったが、その病状ゆえに長続きしなかった。
その年の3月に入院し、退院後は双子の息子ダニエルニコラスを連れてホワイトハウス農場に身を寄せていた。夫のコリン・キャフェルとは別居中だった。
ジェレミーは姉をこう語った。「姉は頭がおかしいんです。というか、以前からとうに狂ってしまっています」さらに念を押すように、こう証言した。

「いつ暴れ出すか判らないんです。実は以前にも暴れたことがあるんです」

「いくら精神に異常があるからといって、姉をここまでボロカスに言うか普通? しかも家族が一大事の時だっていうのに」

事情聴取を担当した警官は、多少疑問に思ったという。
武装小隊が何度か拡声器で投降を呼び掛けたが、返事はなかった。狙撃担当がキッチンの窓に狙いを定める中、最後の説得が行われたがやはり返答はなし。
午前7時30分、ハンマーでドアを破壊し、まず突入した10名の武装警官たちは、想像を絶する惨状を目の当たりにし、思わず息を飲んだ。
まず、リビングの電話器のすぐ側には家主でもある61歳のネビル・バンバーが倒れていた。
頭に4発、首に2発、肩に1発、腕に1発、計8発の銃弾を受けていた。争ったあとがあり、頑強な農夫であるネビルの顔には激しく殴られた傷が残っていた。
2階に上がると、ネビルの妻ジューンが7発撃たれていた。うち1発は眉間に命中。床の上には聖書が投げ捨てられていた。
シーラの双子の息子、ダニエルとニコラスも、就寝中に殺されていた。
ダニエルは5発撃ち込まれながらも、口に親指をくわえたままだった。ニコラスは3発撃ち込まれていた。
あまりに痛ましい光景に、目に涙を浮かべている警官もいた。
そして、シーラも血の海の中に倒れていた。1発は喉に、もう1発は顎を貫通して脳を破壊していた。胸の上には22口径のライフルが乗っていた。
階下に降りた警官は、皆殺しの旨をジェレミーに告げた。彼は表に飛び出すと、その場で嘔吐した。

過去:両親に対する憎悪
元英国空軍のパイロットでもあり、ショットガンを肩に大型犬を連れて散歩をするのが日課の、典型的なイギリスの地方郷士だったネビル・バンパー。
そして慈善事業に生きがいを見出していた妻のジューンの、バンバー夫妻の悩みは子宝に恵まれなかったことだ。
そこで児童協会を通じて1957年にシーラを、1961年にはジェレミーを養子として迎え入れた。
養子を迎える養父母は、家系に悪い血が混じることを恐れるあまりに、養子に対して厳しくなりがちである。バンバー家もそうだった。
ジェレミーは全寮制の学校に入れられ、厳しく育てられた。
厳格なバンバー夫妻はジェレミーに優れた人物になって欲しい、という願いからそうしたのだが、しかし、ジェレミーはそのようには受け取らなかった。

「わざわざ養子に迎えておいて、手放すのか?」

この思いはやがて、養父母に対する憎悪へと発展した。そしてこの憎悪は、彼の人格形成そのものにも影響を及ぼす。
学校では常に上から目線の尊大な態度で「弱い者イジメをして喜んでいるような最低な男」だったという。
そして姉のシーラの頭もおかしくなっていた。ことさらに養父母に逆らってモデルとなり、未婚のままに双子を産んだ。
その奇行はエスカレートしていく一方で、地元ではシーラは「ちょっと、どころか『かなりおかしい』女の子」として有名だった。
シーラ

近所の学生はシーラをこう語っている。
「彼女の目つきは異常でした。完全に狂っているか、そうでなければ何かが憑いているとしか思えない目つきでした」
「大声で叫び回って近所を叩き起こすんですよ。『世界は悪に満ちている! お前らは悪魔だ!』って」


成人して姉は精神異常、弟は良心の欠片も持たない精神病質者(サイコパス)という、のちのトラブルを暗示させる姉弟となっていく。

疑惑:浮かび上がる不審点
しかし、一見シーラの無理心中かと思われたこの事件、おかしな点がいくつかある。それは事件を担当していたスタン・ジョーンズ巡査部長も感じていた。
まず、シーラの死に方である。彼女がバンバー家の4人を殺害した後、ライフルを己れに向けて自殺したとして、2発も撃てるだろうか?
至近距離で喉を撃った1発目の時点で普通は大ダメージを受けて、ライフルを手にする事など出来ないだろう。しかしシーラは2発目を撃ち、脳を破壊している。
次に、ジェレミーは999番ではなく、現場から少し離れたチェルムスフォード警察に直接電話しているのだ。これは明らかに不自然だ。
(我が日本でも、緊急の場合の警察への通報は110番である。個別の警察署に電話なんてしない)
ジェレミーは裁判で「あまりにも気が動転しすぎて、逆に999番のことが頭から消えていた」と弁明しているが、これは誰が聞いても言い訳としては苦しい。
おそらく、裁判でも検察に指摘されたが、警察に「キミが今いる自宅に迎えを寄こす」と言われるのを避けたかったのだろう。
当然ながら、999番電話は最寄りの警察に繋がる。つまり、ジェレミーは自宅からではなく、殺人現場から電話したのではないかという推測が成り立つのである。
また、ネビルは殴り倒され気絶させられてから、頭部に4発撃ち込まれている事が鑑識結果で明らかになったが、ネビルは元英国空軍パイロットの大男なのだ。
年老いたとはいえ、シーラと乱闘し殴られ気絶するとは考えにくい。しかもシーラには「乱闘の形跡は一切なかった」という鑑識結果が明らかになっている。
さらにジェレミーは通報の際「父からの電話が途中で切れたのでかけ直したが通話中だった」と証言しているが、もしネビルが襲われて受話器を落としたのならば、
電話が切れるはずがない。
受話器を元に戻すか、この時間帯では10分経たないと切れた状態にはならない。かけ直したとしても、「通話中」の状態になどならないだろう。

こう考えると、通報の時点でジェレミーも十分に怪しく、容疑者候補に挙げられてもおかしくはない。
ところが、鑑識に入ったロナルド・クック警部補は現場を見て、ドアやリビングの窓などにも鍵がかかっていたことから、

「外部から侵入した様子はないし、押し込み強盗なら寝ている幼き子供を撃ったりはしないだろう。
24発もの発砲は精神異常者の所業としか思えない」


とシーラの無理心中と決めつけて、捜査を進めてしまった。
クック警部補率いる指紋採集チームは、ライフルの回収に手袋をはめなかった。ジェレミーを含めたバンバー家の人間の指紋の採取もしなかった。
しかもジェレミーに同情していた捜査チームは「事件の痕跡を見るのは幸せだった日々を思い出して忍びない、全て運び出したい」というジェレミーの主張を認め、
血のついたカーペットや電気毛布などを運び出すのを許可しているのだ。
そのあと、ジェレミーの彼女だというジュリー・マグフォードが現場に到着した。2人は何かひそひそ話をしていた。
葬式でのジェレミーとジュリー
巡査部長は事件直後のジェレミーに殆ど悲しみが見られなかったことも不審に思った。
そして、葬儀の席でわざとらしく大げさに泣き崩れるジェレミーを見た時、不審は確信に変わった。
さらに葬儀の最後の方で悲しんでいたはずのジェレミーが「いつまで続けてるんだよこんな茶番。もういいだろ、早く帰せってんだ」とジュリーに毒づいてた、というのを、
ジェレミーの従兄弟であるデヴィッド・ボウトフラワーから聞いていた。

再燃:執念の捜査
完全に先入観に沿って捜査を進め、シーラ無理心中説を頑なに信じていたトム・ジョーンズ警部は、デヴィッド・ボウトフラワーと姉のアン・イートン

「24発もライフルを撃って、銃声が近所に1発も聞こえない、なんてことがあるんですか?
発射時には明らかにサイレンサー(消音装置)がつけられているはずです。
でもシーラはサイレンサーのつけ方も外し方も知りませんし、そもそもライフルを撃ったことも一度もないはずです」


という指摘に対し、声を荒げて「捜査しているのは我々警察だ! シーラが銃の扱いを知っていたかどうかは我々が判断する!!」と釘を刺し、
この事情聴取は喧嘩別れのような形で終わった。
しかし、このやりとりを聞いていたスタン・ジョーンズ巡査部長は内心「その姉弟の指摘通りだろうに」と思い、顔をしかめた。
ダーシー村の地主も「ネビル・バンバーのような狩りの経験が長い男が弾丸の入ったライフルをそこらに放置しておくなんてありえない」と証言している。
不審に思っているのは従兄弟のデヴッドも同じだった。上記の彼の証言どおり、シーラは銃を撃ったことなど一度もないのだ。
ジョーンズ巡査部長の立ち会いの下、デヴィッドはガン・キャビネットの中から問題のサイレンサーを発見した。血が付着していた。
これで犯行時にはサイレンサーを使用していたのが立証できた事になり、死んだシーラがキャビネットにサイレンサーを戻せるわけがない。
さらにデヴィットの姉のアンは、キッチンの窓を留め金を上げたまま開けて、強い衝撃を与えると留め金が落ちて窓も閉まり、密室に出来るのを発見した。
そして、キッチンの窓にも血が付着していた。
これは何者かがあらかじめ開けておいたキッチンの窓から侵入し、サイレンサー付きライフルで一家5人を殺害、サイレンサーを外してキャビネットに置き、
シーラの無理心中に見せかけ、家中の鍵をかけて密室状態にしてから台所の窓から逃げ出した、という結論しか導けなかった。
もはや犯人はジェレミー以外に考えられなかった。とはいえ、目撃証言も物的証拠も何一つない。
しかし、事態は思わない展開を見せる。ジュリー・マグフォードの友人というリズ・ライミントンと名乗る女性から警察に電話があった。
ジュリーはジェレミーの殺人計画を最初から知っていて、それを全て話したいと希望している、というのだ。
裁判所から出るジュリー

裁判:誰が嘘をついているのか?
ジュリーは良心の呵責に耐えられなくなった、そしてジェレミーが昔の彼女と未だに付き合っていると知って、人間的にもジェレミーを信じられなくなった、
と出頭した理由を説明した。
1985年10月1日、ジェレミーは殺人容疑で正式に逮捕された。1年後の1986年10月2日、ドレイク判事を裁判長として英国中が注目する中、裁判が始まった。
シーラの無理心中を主張し続けたトム・ジョーンズ警部は英国中からバッシングを受け、ほどなく閑職へと追いやられた。事実上の左遷である。
(皮肉にもジョーンズ警部はジュレミー裁判が始まる5ヶ月前に、ハシゴから落ちて頭部を強く打ち、それが原因で死亡している)
もちろんジェレミーは全面無罪を主張。焦点は「元々恋人同士だったジェレミーとジュリー、ウソをついているのはどちらか?」だった。
ジェフリー・リブトン勅撰弁護人は警察が証拠保全をほとんどしなかった不手際を指摘し「ジェレミー・バンバーを有罪にするのは無理がありすぎる」と陪審団に訴えた。
これに対し検察サイドは「サイレンサーを付けて寝そべったあの体勢からではシーラの指は引き金に届かない」と反論した。
陪審団が評決に入る前に、ドレイク判事は事件の3つのポイントとして

・ネビル・バンバーは事件の夜にジェレミーに電話をしたと思いますか?
・事件はシーラ・キャフェルの無理心中ではない、と確信できますか?
・ジェレミーとジュリー、どちらの証言に信用をおきますか?


とアドバイスを告げた。
12人の陪審団の意見は別れ、ドレイク判事は多数決による評決を採用すると宣言。10対2でジェレミー有罪の評決となった。
ドレイク判事は判決を言い渡す際、次のように宣言した。

「遺産目当てに自分の家族5人を殺害した被告の行為は極めて凶悪、と断言せざるを得ません。
一見折り目正しく洗練された態度とは裏腹に、あなたには若さに似合わない狡猾でいびつで、
凶悪な精神が潜んでいます」


そして「2人の子供を就寝中にライフルで射殺するような男は、最低25年は仮釈放権を与えるべきではない」との意見を添えて、終身刑判決を言い渡した。
判決を宣告されたジェレミーは、「ノー、ノー、ノー…」とその場で泣き崩れた。
有罪判決を受け刑務所に移送されるジェレミー

1992年2月、時の内務大臣が「ジェレミー・バンバーの刑務を仮釈放権無しの終身刑に変更する」との決定を下した。
ジェレミーだが、彼はいまだに再審を争い、なんと公式サイトまで作って無罪を訴えている。
状況的に見ても、彼が犯人である可能性はかなり高い………と殺人博物館の館長・岸田氏のようにこの記事を締めくくりたかったところだが。
2011年、ジェレミーの無罪を示す新たな証拠が見つかり(英語の読める方は彼の公式サイトを参照)、今イングランド国内では「ジェレミーは無罪では?」という論議が、
非常に加熱してきているという。
また、有罪の決定的証拠とされたライフルのサイレンサーに関してもジェレミーの主張通り、従兄弟のアンソニー・パージェターのものであった事が確認されたそうである。
もっとも第三者である米国の弾道学の権威、ハーバード・レオン・マクダネル博士によると
「シーラの寝そべった体勢では、あのライフルの長さではサイレンサーがなくてもシーラの手は引き金には届かない。
シーラは何者かに殺害された、という結論しか私には出せない」
そうであるが。

さらにジェレミーは他の囚人たちと一緒に「仮釈放権無しの終身刑は欧州人権条約に違反する」と訴え、違反であるという判決を勝ち取っている。
52歳になったジェレミー

仮釈放ない終身刑:英制度廃止へ 欧州人権裁「非人間的」

一体事件の真相は? シーラの無理心中なのか? それとも真犯人はやはりジェレミー・バンバーなのか?
とうの昔に決着したかと思われていた英国版「疑惑の銃弾」事件だが、全ての真実が明らかになるのにはもう少し時間がかかりそうである。

参考文献
週刊マーダーケース・ブックNo.15 疑惑の遺産相続殺人事件 (デアコスティーニ)
参考サイト
+ M O N S T E R S +
殺人博物館
ジェレミー・バンバー公式サイト

テーマ:衝撃 - ジャンル:サブカル

18年間、妻を、家族を騙し続けた男

「ごめんなさい。ごめんなさい。小さな不公平が狂気を招く」(無理心中を図った直後、ロマンが残していたメモ)

ジャン=クロード・ロマンはWHO(世界保健機関)に勤務するエリート医師だった。
WHOは地球規模で人類の健康を管理する国連の専門機関。本部ビルはスイスのジュネーブにある。ロマンは毎朝車でフランスの国境を越え、スイスへ通っていた。
ここで働く医師たちは、新しいワクチンの研究などに、日々情熱を注いでいた。ロマンもそこの研究医師。
本部の一階には銀行、旅行代理店、そして図書館がある。ロマンは、暇さえあればこの図書館で時間の許す限り、医学の勉強に没頭していた。
そんな勤勉で真面目な彼の姿を数多くの人が見かけていた。
偽エリート医師ロマン
そして、家庭では家族をとても大切にする優しいパパ。しかし彼は、何故か家族に仕事関係の人間との接触をさせなかった。
妻フロランスには「医者は緊急な手術がある」「出張が多い」など言って、WHOへ連絡を入れることを固く禁じていたのだ。
そう。彼がWHOに勤務する医師などとは、真っ赤なウソだったのだ。

発端:火事から助け出された男
1993年1月9日。フランスの首都パリから南へおよそ400キロ、スイス国境に近いのアン県プレヴサン市。静かな住宅地で、悲劇的な事件は起きた。
明朝4時ごろ、炎に包まれたのは近所の人々からの信頼も厚く「ドクター」と呼ばれ親しまれていたWHOの勤務医であるジャン=クロード・ロマンの家だった。
夫のジャン=クロード、そして妻のフロランス、7歳の娘キャロリーヌ、5歳の息子アントワーヌが家の中にいた。
幸い通報が早かったおかげで約1時間後に火は納まったが、そこには最悪な事態が待っていた。
焼け跡から発見されたのは2人の子供たちと、そして妻フロランスの遺体だった。
夫のジャン=クロード・ロマンだけが奇跡的に助かった。ロマンは当初「覆面をかぶった強盗に襲われた」と証言した。
しかし、その後の警察の調べにより、子供たちを撃った銃はロマン本人のライフルであることが判明。
さらにロマンの両親も射殺死体で発見され、そしてこちらも凶器に使われた銃がロマンのライフルなことも分かった。
警察の厳しい追及により、ロマンはついに自供を始めた。事件は人々の想像を絶する展開を見せていく。

過去:思わぬつまづき
1954年2月11日。
ジャン=クロード・ロマンは公務員の父と、理想を押し付ける厳格な母の間に産まれた。一人っ子だった彼は、両親に溺愛されて育てられていった。
そしてジャン=クロードも、幼い頃から両親の期待に応えようと、何でもうまくこなす賢い子を演じるようになった。
やがてフランスで、パリ大学につぐ名門リヨン大学の医学部へ進んだ。すべてが順調だった彼の人生。
しかし転機が訪れた。ジャン=クロードは当時フロランスという女性と交際してたが、フロランスは勉強を理由にジャン=クロードと連絡を取らなくなる。
これを「フロランスに振られてしまった」と思い込んだことから、彼の歯車は狂い始めた。
ショックで勉強が身に入らず、マンションに引き篭もる日々。とうとう大学の進級試験も受けられず、留年してしまったのだ。
息子の進級が気になっていた母が試験の結果を聞いてきたが、ジャン=クロードはこれに「無事進級出来たよ」と答えてしまう。
両親に心配をかけまいと思っての嘘。しかしこの嘘が、彼ののちの人生を大きく狂わせていく。
それからというもの、ジャン=クロードは講義にだけ顔を出し、順調に進級をしているフリをし続けた。
そして卒業の季節がやってきた。進級していないジャン=クロードが就職できるはずがない。
ここで彼は、さらに人生を狂わす大嘘をついてしまうのだ。彼が周囲に答えた就職先は、なんとWHO(世界保健機関)
周囲から見れば文字通り「絵に描いたようなエリートコース」で、この嘘で彼はフロランスを心を再び射止め、卒業を待たずに2人は結婚する。
しかし、嘘をつき続けるために用意した嘘のために、ジャン=クロードはその後、ずっと嘘をつき通さなくてはならなくなった。

工作:偽りの日々
「出勤」してから家に帰るまで時間をつぶすのに、本は欠かせなかった。そして目立たぬよう、カフェを転々とし読書をして時間をつぶした。
また、大型スーパーマーケットや高速道路の駐車場は人目につかぬ恰好の場所。車の中で一日中読書にいそしむこともあった。
森林を散歩して一日を過ごすこともあったという。
ジャン=クロードはよく家に電話をした。家族を愛する男。しかし、実は自分の嘘がばれていないかを確かめるものだったのだ。
WHOに行くと、必ずここの銀行で金を引き出していた。それは出入記録に残り、いかにもここで働いているかのようだった。
そして図書館に行って、医者を装うための医学知識を身につける。帰りには、置かれている無料パンフレットを必ず持ち帰る。
家族にWHOに勤務している医師という嘘をつくための小道具として。彼の嘘は完璧だった。
(筆者注:WHOの1階は一般人もある程度は自由に出入りできる)
フランス人のバカンスは家族そろって過ごすことが多い。その為にバカンスの予約もチケットの手配も、必ずWHOの中にある代理店で行った。
さらにWHOの医師は国際会議のための海外出張が多い。それは世界各国で行われた。
その度に彼は、出張を装っていた日本で会議が行われた時、ここで便名や出発時間を確認した。
出張を偽るたびに身を寄せたのは、空港近くのビジネスホテルだった。ここに何日も泊まり決して外出はしなかった。
出張先の国の話を家族にするために、ガイドブックを買って覚えこむ。空港で「お土産」を買うのも忘れなかった。そして、家族への電話。
こうして20年近くも嘘に嘘を重ね、家族をだまし続けた。

搾取:資金源
ロマンは逮捕されるまで、仕事についた事はない。無職の彼は、家族を養う多額の金をどこから調達していたのか?
それはWHOに就職が決まったと嘘をついた時から始まった。
まず彼は学生時代に両親に買ってもらったマンションを勝手に売却。30万フランを手に入れ当面をしのいだ。次に資金源となったのは、自分と妻の両親だった。
エリート医師という信用を武器に「スイスの銀行に預けると年利16%で資産運用出来る」と金を騙し取った。
その中から、適当な金額を給料として生活費にあてていたのだ。
フロランスの父が亡くなった時は、すぐにその家を売却し約130万フランの金を手に入れた。
こうして手に入れた総額360万フラン(当時のレートで約8,280万円)で愛する家族をだましていたのだ。
妻フロランスと。

ある日、ロマンは知人からコリンヌという女性を紹介された。彼女はとても魅力的だった。彼にとって妻以外で心ときめく初めての女性だった。
そして彼女もエリート医師という肩書きに惹かれた。やがて2人は深い関係になった。愛人との時間が安らかで、そして何より都合のいい時間つぶしとなった。
ただ、彼は分かっていた。彼女は「WHO勤務の医師」としての自分を愛していることを。
ロマンは彼女の気持ちを必死につなぎとめるため、高級ホテルに泊まり、高価なプレゼントを贈り続けた。
親や親戚から集めた「生活費」はどんどん無くなっていった。
そしてロマンはコリンヌにも投資の話を持ちかけて金を騙しとったが、そんな金は一時しのぎに過ぎなかった。
さらに両親からの「例の運用の話はどうなってるんだ? 私達のお金はいつ戻ってくるんだ? 絶対に儲かるんじゃなかったのか?」という催促。
しかしすでに、そんな金はなくなっている。
やがて銀行から1通の手紙が届いた。それは「預金残高がほとんどない」という通知だった。ロマンはいよいよ追い込まれた。
苛立ち、焦りを隠せないロマンに妻フロランスは心配する。何か重大なことを隠しているような夫の態度。こんな夫の姿を見るのは初めてだった。

「夫の苛立ち、焦りの原因はなんだろう?WHOの人間なら何か知っているかも…」

さらに新しく出来た友人の夫が偶然にもWHOに勤務しており「クリスマスパーティーには勤務医の家族も参加できる」と教えられた。
しかしそんなパーティーは夫から一度も聞かされた事はない……。
ついにフロランスは固く禁じられていたWHOへの電話をした。そして真実を知ってしまう。
ジャン=クロード・ロマンという人間は、現在、いや過去もWHOに勤務していない、と。

殺人:全ての破綻
一方でロマンは絶望感に襲われていた。銀行にはもう金がない。かといって両親や親戚からこれ以上、引き出せる金もない。嘘で作り上げたすべてが終わってしまう。
さらにコリンヌからも「預けた金を返せ」と迫られていた
その夜、打ちひしがれた状態のロマンは家に帰った。しかし、いつも笑顔で迎えてくれるはずの妻の姿がない。
フロランスは明かりもつけずキッチンの隅に座り込んていた。手には酒瓶。そう、今まで全く飲んだことのなかった酒を飲んでいる。
彼女はロマンを見るなり泣き叫んだ。

「あなたを心配して禁止されてたWHOへの電話をしたわ! そうしたら『ジャン=クロード・ロマンなんて人間はWHOに勤務していない』って!!
あなたは一体誰なのよ!?」


ロマンはさらなる絶望に襲われた。嘘をつき続けていたことが、ついにバレた…
愛する妻に、子供に、そして両親にも最低・最悪の男と思われてしまう。彼は無意識のうちにこん棒を掴み、妻を撲殺した。
偽エリート医師ジャン=クロード・ロマン。彼が嘘で塗り固めた世界は、音を立てて崩れ去った。
しかしそれでも、嘘で人生を固めた男の目は覚めなかった。
ロマン一家

母親の死も、いや、父の正体も全く知らない2人の子供たち。この子たちに母親の死と、自分の本当の姿をみせることができるだろうか?
無邪気に笑う子供たちに「これまでの幸せの日々は全部偽りだった」とはとてもいえない…わが子があまりにも可哀想すぎる。この歪んだ思いやりがロマンを支配した。
そして彼は、さらに最悪な行動に出た。長女キャロリーヌをライフルで殺害。続いて長男、アントワーヌを殺害したのだ。
ロマンはその足で両親の家に向かい、両親と飼い犬も射殺した。自分が愛した者全ての命を奪った。
自宅へ戻ってくると、ロマンはある決断をする。子供たちの遺体を夫婦の寝室に運んだ。用意したのは睡眠薬だった。家に火を放ち、睡眠薬を飲んだ。
仮面がはがれた男は、全てを焼き尽くし、嘘で塗り固められた自分の人生を消し去ることを選んだ。
だが、火事の通報は早くロマンは生き伸びた。彼は遂に警察に対し、狂気の殺害理由と重ね続けた嘘の数々を自供したのである。

1996年から始まった裁判に出廷したロマンには、WHOの医師として振舞っていた頃の自信に満ち溢れた表情は、欠片も残っていなかった。
ロマンは法廷で「失望される恐怖に襲われた」と供述した。家族の命を奪った後、遺書代わりとも思えるメモを残していた。

「ごめんなさい。ごめんなさい。小さな不公平が狂気を招く」

と書かれていたメモは、警察の捜査でダッシュボードから発見された。
ロマンは最低収容期間22年の無期懲役刑を言い渡された。これは死刑のないフランスでは最大量刑となる。

参考文献
嘘をついた男 (河出書房新社)
参考サイト
ザ!世界仰天ニュース エリート医師 衝撃の正体

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