世界を驚かせた奇怪、猟奇的な殺人事件の数々、そしてその犯人。科学では解決できないミステリー現象。それらを紹介していくブログです。

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恐怖の学園都市 ゲインズビルの切り裂き魔

本名ダニエル・ハロルド・ローリング 通称ダニー・ローリング

「奴は外ではいい人ぶってるが、家に帰ると恐るべき悪魔に変貌する。奴の不条理な怒りや暴力の的にされるのは、いつも俺やお袋だった」
(ダニー・ローリング、父親について)

よく、男性は幼少期に見た父親の背中を無意識に追いかける、と言う。
しかし、自分を虐待してばかりいた父親に、そのような感情は持てなくなるのは当然かも知れない。
ゲインズビルの切り裂き魔ダニー・ローリング
微罪を繰り返し刑務所とシャバを行ったり来たりしていた男は、「ゲインズビルの切り裂き魔」として平和な学園都市を震え上がらせた。
ダニー・ローリングのその凶行は、自分を不条理に虐待してきた父親への無言の復讐だったのだろうか。

発端:学園都市を襲った恐怖
1990年、8月下旬のフロリダ州の北部にある学園都市ゲインズビル。
新入生達は来月から始まる新しいキャンパスライフへの、期待に胸を膨らませてアパートや下宿への入居を続々と終えており、街全体活気に満ち溢れていた。
1990年8月20日発売の「ザ・マネー」誌の特集「アメリカで住んでみたい13都市」の一つに選ばれたほどの美しい街並みと、学生たちの活気で街は賑わっていた。
しかしその一週間後、そんな華やいだ空気をどこかに吹き飛ばしてしまうような猟奇殺人事件が起きるとは、住民たちは知る由もなかった。

最初の事件は8月26日に起きた。
9月から新1年生となるクリスチーナ・パウエル(17歳)とルームメイトのソーニャ・ラーソン(18歳)の両方の母から、
「いくらコールしても娘が電話に出ない」との通報を受けたアパートの管理人が合鍵を使って部屋に入ったところ、血まみれで死んでいた2人を発見。
管理人は慌てて警察に通報した。
早速駆けつけた警察が捜査を開始したところによると、2人とも死因は鋭利な刃物による刺殺で、1人は全裸で、1人は半裸だった。
2人とも顔面から体中に至るまでズタズタに切り裂かれており、1人は乳首を噛み切られるか切り取られており、仰向けでドアに向かって大きく足を拡げられており、
部屋に入った人間には、わざと性器が丸見えになるようになっていた。
犯人は何のために、死体に恥辱的なポーズをとらせたのか。
ある捜査員は「犯人は病的な変質者か? あまりにもショッキングな犯行だ」と青ざめて語った。
翌27日、今度はクリスティア・ホイト(18歳)がこれまたアパートの自室で、死体となって発見された。
犯人は彼女をレイプしたあと、鋭利な刃物で胸から腹部までを一文字に切り裂いて殺害。彼女の死体には首と乳房がなかった。
彼女の切断された生首は、何と化粧台の上においてあったのだ。
犯人は部屋に入った人間に生首が見えるように、わざわざ化粧台の上にキチンと置いていた。
さらに異常な工夫までしていた。化粧台の三面鏡を開いており、そのため部屋のいたる場所から生首が見えるのである。
もし誰かがカーテン越しに部屋を覗いても、生首が見えるようにしてあった。犯人のあまりに異常な行動に、捜査員たちは言葉を失うばかりだった。
警察はアパートの他の住民の指紋も採取するなどして必死に調べたが、犯人の手がかりは掴めなかった。

殺人:さらなる犠牲者
次に切り裂き魔の犠牲となったのは4年生のトレーシー・パウレス(23歳)と彼氏のマニーことマニエル・タボータ(23歳)だった。
将来結婚を誓い合った2人の仲はトレーシーの両親も認めており「背も高くガッシリとしたアスリートのマニーと一緒なら、痴漢や強盗の類が侵入しても安心だ」
と同棲を許可していた。
マニーの友人の1人であるトミー・キャロルは、日曜に何度もマニーに電話をし、留守電にまでメッセージを入れたが1度も反応がなかった事に心配していた。
トミーは火曜の登校前に2人のアパートのドアを叩いた。しかし返事がない。
例の切り裂き魔事件の事もある、と心配になったトミーはアパートの管理人を呼び、合鍵を使って部屋の中に入った。
そこでトミーと管理人が見たものは、上半身をメッタ刺しにされたマニーの遺体と、レイプされたトレーシーの遺体だった。
どうやらマニーは寝ている最中に切り裂き魔に襲われたようで、30ヶ所以上も刺されていた。
トレーシーは足を大きく開かれた状態で、やはり首は切断されていた。トレーシーの首は本棚の上に置いてあった。
部屋に踏み込んだ警官はトレーシーの生首と目が逢い、戦慄したという。
第4及び第5の遺体の発見により、ゲインズビルはアメリカ中のメディアの別の意味でのスポットライトを浴びる事となった。
5人中4人が若い女子大生という事もあり、1970年代にやはりフロリダ州で連続強姦殺人を犯した凶悪連続殺人鬼テッド・バンディを重ねる人も多かった。
メディアはバンディの事件と今回の事件を比較しながら、このアメリカ版切り裂きジャックをゲインズビルの切り裂き魔と名付け、新聞や週刊誌は飛ぶように売れた。
5人の犠牲者への哀悼の意を表した34thストリートのボード

警察は公表していなかったが、ゲインズビルの切り裂き魔の犯行に共通する部分を見つけ出していた。

1.被害者をレイプする際に口にガムテープを貼って口封じをし、犯行後にそのテープをはがして持ち帰っている。
2.血まみれの死体を綺麗に洗い流し、指紋などが一切つかないようにしている。
3.被害者をレイプした後、膣や直腸内を漂白剤で洗浄し、精液が残らないようにしている。


しかし、切り裂き魔は近代アメリカ警察の鑑識能力を甘く見すぎていたようだ。
犯行現場にわずか残っていた精液をDNA鑑定したところ、ダニー・ローリングという強盗常習犯のそれと一致することが分かった。
すぐに逮捕されたローリングは、5件の殺人と3件の強姦罪を全て自供した。しかし、あの残虐な犯行の動機については、沈黙を守るだけだった。

過去:父との撃ち合い
ダニエル・ハロルド・ローリング、通称ダニーは1954年5月26日、ジェームス・ローリングと妻クラウディアの間に生まれた。
ダニーは警察官だった父ジェームスに虐待されて育った。少年時代をこう語っている。

「親父の事を話していると気分が悪くなってくる。友達は家に遊びに来るのを禁止されていたし、お袋の家族すらもだった。
自分の妻の家族すら訪れるのを禁止とか、こんな馬鹿な話があるか。
普通の家庭なら楽しみにするクリスマス休暇だが、俺は毎年嫌で嫌で仕方なかった。理由は親父がずっと家にいるからだ。
親父がいると家の中に重く嫌な空気が充満してしまう。クリスマスツリーは飾り付けるし、プレゼントもある。七面鳥の丸焼きもケーキもある。
でも親父がいるせいで台無しだった。俺とお袋はいつも薄氷を踏む思いでビクビクと生活していた」

(母クラウディアは『ダニーは思い悩み10代の時に自殺を試みた事もあった』と証言している)

ダニーは高校に卒業したあと、職についてもすぐに辞めてしまった。
1971年に空軍に入隊するも、重篤な薬物やアルコールの問題で退役している。 ダニーはどんな仕事でも最長で2ヶ月しか続かなかった。
仕事にもつかずブラブラしている内に強盗を働いて捕まり、ミシシッピー州刑務所に服役したのが始まりだった。
釈放されると、すぐにまた強盗を働いては捕まり、また刑務所に送り込まれる。こうして南部4州の刑務所を出入りしている内に15年が過ぎた。
在りし日のローリング家

1990年5月、36歳になったダニーは何を思ったのか、突然家にひょっこり帰ってきた。警察官だったダニーの父はもう定年退職していた。
数日は何事もなく過ぎたが、その内ダニーは父と言い争う事が多くなった。
ある日ダニーと父は些細な事から口論になり、西部劇のように互いに射ち合うという、最悪の事態となってしまう。
ダニーはその時の事を、次のように供述している。

「激怒した親父は銃を俺に突きつけ、俺を家から追い出しドアに鍵をかけた。
俺は家に残されたお袋の事が心配になった。親父は昔から何かあるとお袋に暴力を振るったからだ。
非道い目になっていないか不安だったので、俺は車に隠していた38口径の拳銃をもって、ドアを蹴破って中に入った。
親父は即座に3発撃ってきたが全て外れた。元警官にしては下手な腕だ。
俺も3発親父に撃ち返したら、最初は外れたが次の1発は奴の腹に命中した。3発目は奴の眉間に当たった。
俺はてっきり親父を殺したと思ったら、奴は不死身だった。片方の目と耳がダメになったが、まだ生きていやがった」


ダニーはその場から逃走し、瀕死の状態だった父は病院に運ばれ奇跡的に助かった。そのままダニーはフロリダまで逃げ延びた。
彼は追い詰められていた。今度捕まれば殺人未遂でもう一生シャバに出られる事は出来ないだろう。親父を殺すことが出来なかったのが悔しい。
お袋が心配だが、もうどうする事も出来ない………。
それから3ヶ月後の8月下旬、ダニーはゲインズビルで狂乱の猟奇殺人事件を起こした。

審判:ローリング家の葛藤
1994年3月17日、スタンレー・R・モリス判事を裁判長として開始されたゲインズビルの切り裂き魔裁判は、全米中の注目を浴びる事になった。
以前はただの「ケチな強盗常習犯」だったローリングは、一気にその名を全米に知られる事となった。
裁判で明らかになった事実は翌日即座に記事になるような感じだった。ローリングは次のように証言した。

「俺の親父は二重人格者だ。警察官を22年間勤め上げ、今は退職している。今でも胸に輝くバッチを憶えている。
しかし家に帰って制服を脱いだ途端、別人になる。妻と息子に暴力を振う恐ろしい悪魔に変わるのだ」


ローリングはメディアのマイクに対しても、父親に対する怒りをブチまけた。

「親父は人を愛する事を知らない人間だ。外ではいい人ぶってるが本性は氷のように冷たい人間なんだ。
親父は足のトゲが刺さった老いて凶暴になった大熊だ。いつも怒りに燃えている。悪い事にその怒りの的にされるのは、いつも俺とお袋だった」


ジョン・J・カーンズジム・ニルソン両公選弁護人が弁護側証人として裁判に呼んだローリングの母クラウディアも、夫への恨みを口にした。

「ダニーはずっと夫から虐待されてきたのです。夫は何故か息子のダニーに嫉妬していました。
私が子供だったダニーを抱くと激怒するので、夫がいる時はダニーへの愛情を示す事が出来ませんでした。
ダニーが物心つく頃には『お前は15になるまでに刑務所に入っている』とか散々な事を言ってダニーの自尊心を傷つけまくりました。
幸せな日なんてただの1日もありませんでした」


こうしてローリング家の恐るべき葛藤が全米に明らかになったが、結局ローリングの真の動機は分からずじまいだった。
ローリングは事件をセンセーショナルにしようとして病的変質者の仕業に見せかけたのか?
それとも警察への挑戦だったのか? あるいは父への復讐のため、連続殺人を起こしたのだろうか?
犯罪ライターのサンドラ・ロンドン女史に語ったところによると「エクソシストⅢを見て、被害者を切り刻む事を思いついた」そうだが…。
「殺しは弱い者を徹底的にいたぶりたいと願うもう1人の自分、ジェミニの仕業」と主張するが、当然このような主張は受け入れられなかった。

事件から約4年後の1994年9月、5件の殺人と3件の強姦罪でローリングに5回連続の終身刑が言い渡され、マリオン刑務所に入った。
しかしその後、1989年11月4日にルイジアナ州シュリーブポートで起きたウィリアム・グリソム(55歳)と娘のジェリー(24歳)、孫のショーン(8歳)が惨殺された事件で、
ジェリーがレイプされた後に膣内を洗浄され、切り刻まれ屈辱的なポーズをとらされてたなど、ゲインズビルの事件と多くの共通点があったことから、
シュリーブポート警察は「グリソム一家殺しもローリングの犯行では?」とフロリダ警察に事件の詳細を問い合わせて、ローリングを正式に逮捕。
ローリングは今度は死刑判決を受けた。
ローリングはバンディやジェラルド・スタノも過ごしたフロリダ州立スターク刑務所に送られた。刑務所内で悪魔や被害者の絵を描いて暮した。
ローリングが刑務所内で描いた絵
ローリングは反省の念を示さず、最後まで犠牲者の家族らに謝罪を口にする事はなかった。
土壇場で刑に異議を唱えて控訴するも、米連邦最高裁判所によりあっさり却下された。
2006年10月25日22時13分、薬物注射による死刑が執行され、ゲインズビルの切り裂き魔は52歳でその生を終えた。

余談だが、グリソム一家殺しに関しては一貫して容疑を否認し続けていたローリングだが、死刑執行直前この事件も自身の犯行だった事をカミングアウトしている。

参考文献
快楽殺人者の異常心理 (KKベストセラーズ)
参考サイト
CrimeLibrary
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テーマ:衝撃 - ジャンル:サブカル

「一緒にいてほしかった」死体を友とした孤独な公務員

本名デニス・アンドリュー・ニルセン 通称デニス・ニルセン

「私は自分のした事で眠れなくなる事もなければ、悪夢にうなされることもありません」(デニス・ニルセン)

「彼」は真面目で、とても仕事熱心な公務員だった。
職場である職業安定所に仕事を探しにきた人に、常に真摯な態度で接し、就職を斡旋していた。
しかし、同性愛者である彼は、常に孤独感に苛まれていた。
英国史上最悪の殺人鬼デニス・ニルセン
孤独だった彼、デニス・ニルセンはやがて───新しいルームメイトを見つけた。それは死体だった。彼は死体と同居生活を始めたのだ。
そして英国犯罪史上最悪と言われる猟奇連続殺人鬼が誕生。犯行はどんどんエスカレートしていった。

発覚:下水に詰まっていた物
1983年2月8日。ロンドン郊外北部のマスウィル・ヒルにある閑静なフラット(アパートと共同住宅の中間のような賃貸宅)は、5日前からトイレが詰まって使えなくなっていた。
知らせを受けて呼ばれた配管工マイケル・キャトランは、住民達から状態を聞いて「ああ、それは下水の詰まりですね」とすぐに原因を特定。
フラットの住民の1人ジム・オールコックが協力を申し出て、2人でフラットの横にある下水の蓋を開けた途端、凄まじい悪臭に思わず顔を背けた。
トイレ関係といえば排泄物の詰まりも付き物だが、この臭いはそれとは明らかに違う。まるで何かが腐っているかのような悪臭だ。
キャトランは下水をオールコックに上から懐中電灯で照らしてもらいながら、恐る恐る下まで降りてみた。
ドロリとしたオートミールのような大量の肉片が、まるでヘドロのように浮いて強烈な腐臭を放っている。
そして横の排水管からは、ドロドロのピンク色の肉汁のようなものが滴り落ちていた。
キャトランは吐き気を堪えて上司に連絡した。その際「詰まっているのは人肉かも知れません…」と報告している。
キャトランはオールコックや他の住民に『これまで自分が経験した通常の詰まりとは明らかに違う』と説明し、翌朝一番に作業員数を増やして対応すると回答した。
ところが、である。翌朝9時15分、キャトランらが下水の蓋を開けてみると、例の不気味な「オートミールのような肉片」はきれいになくなっていたのだ。
どうやら何者かが夜中にこっそり処分したらしい。それでも横の排水口を探ってみると、いくつかの細かい骨と、肉片が残っていた。
キャトランらと大家は、大至急警察に通報。午前11時、ホーンジー警察からピーター・ジェイ警部マホンジー警部補バトラー巡査を引き連れ到着。
警察の鑑識で細かい骨は男性の指の骨、肉片は男性の首の部分であるのが確認された。
フラットの住人の証言によると、夜中に足音が階段を何度も往復しているのを聞いた、という。その足音は最上階の屋根裏部屋にまで続いたというのだ。
「最上階の屋根裏部屋に住んでいるのはどなたです?」「デニス・ニルセンという、37歳になる公務員です」
午後5時40分ごろ。ニルセンは職場から帰宅した。
「はじめまして、ミスター・デニス・ニルセン。私はホーンジー警察署のピーター・ジェイ警部です」ジェイ警部はニルセンを引き止め、下水管を調べている旨を告げた。
「下水管が詰まったぐらいで警察が来るとはおかしいですね。警部の隣のお2人は保健所の方ですか?」
ジェイ警部は2人も警官だと答え、4人はニルセンの部屋の前まで向かった。そして昨日の夜に下水から解体された人間の死体の残骸が発見された事を告げた。
「まさかそんな事が…なんという恐ろしい事でしょう……」ニルセンの態度にピンと来たジェイ警部は落ち着くようになだめながら、しかしキッパリと言った。
「………ミスター・ニルセン。つまらない芝居でとぼけるのは、もうそこまでにしていただけないだろうか。
我々は死体の残りが何処にあるのかを教えていただきたいのです」

この瞬間、ニルセンは「警察は自分のした事にとっくに気づいている」と悟ったのだろう。顔を上げると、表情を変えずに答えた。

「ポリ袋2つに詰めて洋服ダンスにしまってあります。お見せしましょう」

玄関を入ってすぐ隣の部屋に入ると洋服ダンスを指差し、ニルセンはジェイ警部に鍵を手渡した。
部屋には防臭剤を置いてあったがまったく効果はなく、腐敗臭はむせ返りそうになるほどだった。扉を開けることを躊躇った警部は、ニルセンに尋ねた。
「死体の残骸の他に、何かあるのかね?」この言葉を待っていたかのように、ニルセンは答えた。
「はい。しかし長い話になります…。ここではなく、警察内部でお話したいのです」
件のタンス。買い物かご4つにバラバラ死体が入っていた。

同行していたマホンジー警部補とバトラー巡査は規約により身柄を拘束するとニルセンに伝え、彼に手錠をかけた。
署に向かうパトカーの中でジェイ警部は、これからのあなたの発言は全て証拠として採用される旨、黙秘権を行使出来る旨をニルセンに告げた。
連行されるニルセン
パトカーは署に到着し、取調べはジェイ警部とマホンジー警部補がそのまま担当することとなった。まず、マホンジー警部補が質問をした。
「まずこれを確認しておきたい、ミスター・ニルセン。あなたが殺害したのは1人か? それとも2人か?」
ニルセンから返ってきた答えはジェイ警部、マホンジー警部補の予想をはるかに上回るものだった。

「1978年から数えて、15人か16人になります」

「ちょ、ちょっと待ってくれ。あなたは何か? 今まで15人か16人殺した、という事なのか?」ジェイ警部は驚愕し、今度は自分が質問した。
「そういう事です」ニルセンは再び答えた。「今のフラットで3人、以前住んでいたクリックルウッドのメルローズアベニューのフラットに住んでいた時に12、3人です」

過去:死の世界に憧れていた内気で孤独な少年
デニス・アンドリュー・ニルセンは1945年11月23日、スコットランド東部のフレーザーバラという漁村に生まれた。
父親オラフ・マグナス・ニルセンはノルウェーの元兵士で、デニスが3歳の時に母べティと離婚している。
また、母方の親類に精神異常者や自殺者が多いことも指摘されている。閉鎖的なこの漁村では、近親婚が当り前のように行われていたらしい。
(筆者注:この事が彼のその後の連続殺人と因果関係があるかは不明である)
6歳の時、父親代わりだった祖父アンドリュー・ニルセンが他界した。母親はデニスに祖父の遺体を見せ「おじいちゃんに最後の挨拶をしなさい」とだけ告げた。
この時、デニス少年の中で、初めて愛と死が結びついた。大好きな祖父に会うために、自分も死にたいと願う程だった。
元々内向的だったデニスは、ますます孤独になっていった。1人海を見つめながら、ぼんやりと過ごす毎日だった。
しかし、小学校では動物の世話を進んで買って出る、心優しい少年だったという。

若き日のニルセン
デニスは15歳で軍隊に入隊し、調理担当となった。調理用ナイフや肉切り包丁で上手く肉を捌くのを憶えたのは、この頃である。
そしてすでに自分が同性愛者である事を自覚し、自己嫌悪に陥っていた。
デニスは退役近くの年の夏、部下の青年に恋をした。その青年もデニスを兄のように慕い、2人で映画作りに熱中した。
青年を死体に見立てた戦争映画を良く撮影した。
その後、「血の日曜日事件」がきっかけで軍に不信感を抱き、1972年、27歳で軍を退役した。
除隊したデニスは、ロンドン警視庁のヘンドン警察学校に入学。16週間の訓練で適正とみなされ、無事にウエルスデン・グリーン警察に巡査Q287号として配属された。
ところが、軍隊と警察では勝手は違った。軍隊は若者ばかりで強固な連帯意識、仲間意識があったが、警察は年寄りばかりでそれがなかった。
デニスはまたも警察内部で孤独感に襲われ、しかも同僚警官の容疑者に対する手荒な扱いにもなじめなかった。
左翼的思想のデニスには、警官は向かない職業だったのだ。
ただ、警察では新米警官を死体に慣れさせるために死体置き場に連れて行くものだが、解剖途中の死体をみて密かに興奮を覚えたという。
そしてこの頃からデニスは、自らの裸身を鏡に映し、自分の肉体を死体だと空想するという、奇妙な真似を始める。
これらの事は彼が内気な反面極度のナルシストであり、死体愛好者(ネクロフィリア)であった事を示している。
結局わずか1年あまりで警官を辞職して、職業安定所の職員になった。
1975年の中頃からメルローズ・アベニューのフラットでデヴィッド・ギャリハンという若者と同居生活を始めた。デニスは10歳年下のこの若者と暮らすだけで満足していた。
ところが、ふとしたことから口論になり、1977年5月にギャリハンが出て行くと、デニスは圧倒的な孤独感に打ちのめされた。
以後、自分には他人と暮す資格がないと思い込み、孤独感と絶望感に支配されていった。

殺人:寂しいから殺した
スティーブン・シンクレアのバラバラ死体
ニルセンによると、彼が最初の殺人を犯したのは1978年12月31日だという。
クリスマスも寂しく1人で過ごしたニルセンは、せめて大晦日と新年は誰かと一緒に過ごそうと、夜の街に繰り出した。
パブで知り合った18歳のアイルランド人少年(氏名不詳)と意気投合し、一緒に部屋に帰ってきた。
2人とも酔っぱらっておりベッドに入って眠ったのだが、3時間もするとニルセンは目が覚めてしまった。

「少年が目を覚ましたら、この部屋から帰ってしまう」

「もう孤独は、1人ぼっちは嫌だ…」ニルセンは手元にあったネクタイを少年の首に巻きつけ、馬乗りになって思い切り絞めあげた。
目を覚ました少年は必死に抵抗し、2人ともベッドから転がり落ちたがニルセンがなおも絞め続けると、やがて少年はグッタリとし動かなくなった。
しかし手を離したと思った途端、少年は息を吹き返し始めたので、今度はバケツに水をくんできて少年の顔を水の中に突っ込んだ。
少年は手足をバタつかせてもがいたが、1分ほどすると完全に動かなくなった。ニルセンはついに殺人を犯してしまったのだ。

少年の死体を抱えて風呂まで連れて行ったニルセンは、死体の服を脱がせて浴槽に入れ、洗い清めた。
石鹸とシャンプーで綺麗に洗い、タオルで拭き、ベッドに横たえた。
ニルセンはこの後、遺体を切断して処分することを考えた。金物店にいき電動包丁と大きな鍋を買ってきたが、そんな事は出来ないと分かった。

「部屋に戻ってあの素晴らしい肉体を見た時、そんな真似は出来ないと思った」

死体に衣服を着せ、共にテレビを見て、夜になると添い寝し、時には愛の行為さえ試みた。
そう、ニルセンの新しいルームメイトは、死体だったのだ。
どこの世界でも、生と死は明確に区別されている。しかし、ニセルンは人類のタブーを破ったのだった。彼の中に、生と死の境は存在していなかった。
一週間死体との同棲生活を楽しんだニルセンは、部屋の床の板を剥がして、少年をその中に押し込んだ。
ニルセンは、今日にでも警察が自分を捕まえにくるのではないか、と内心心配だったが、そのまま8月になった。
どうやら少年には行方不明になっても、身を案じるような人間は1人もいないのであろう。
さすがに腐臭が凄まじく、床板を剥がして死体を庭に運び出し焼却した。ニルセンは、これでようやく安心した。

それから約1年後の1979年12月3日。ニルセンは2度目の殺人を犯す。
今度の犠牲者はカナダからの旅行者ケネス・オッケンデンだった。1年前の少年と同じように夜の街で出会い、彼の部屋へと連れて来た。
すでに明日でカナダに帰国する事を宣言していたオッケンデンに対し、ニルセンは1年前の少年を殺害した時と同じ心境になっていた。
2人で一緒に酒を飲んだ後、ヘッドホンで音楽を聴いていたオッケンデンを、ヘッドホンのコードを使って絞め殺した。
殺害した後は、またもや服を脱がせ、下着を取り替えたり、いろんなポーズを取らせてカメラで撮影したり、自分の上に乗せたり、一緒にテレビを見たりもした。
死体の隠し場所はまたもや床の下だった。2週間に渡り、何度も床下から死体を引っ張り出しては、一緒に生活を楽しんだ。
3人目も、同じく夜の繁華街で誘って、部屋に連れこんで正気を失うほど酒を飲み、頃合を見計らって首を絞めたがそれだけでは死ななかったので、
台所に連れていって水の中に顔を突っ込んだ。
後は同じように服を脱がし、死体に口付けし、抱きしめ、一緒にシャワーを浴びたりした。
しばらくしたら死体が膨れてきたので、またも床板をはがし、先に殺していたのオッケンデンの横に押し込んだ。
その後ニルセンは、台所で2人の死体の解体作業を始めた。バラバラに切断し、それを2個のスーツケースに入れて庭の物置小屋に隠した。
死体の強烈な腐臭が漏れるのを防ぐために、夏の間はひっきりなしに消毒液を吹きかけた。

前居住の庭の捜査。「少なくとも8人の遺体がある」と確認された。
この後もニルセンは殺人を続け、犠牲者も6人まで増えていった。死体の取りあえずの置き場所は床の下である。だが、だんだんここもいっぱいになってきた。
死体は腐敗がどんどん進み、床の下ではハエが大量に発生し、ウジ虫もはいずりまわっている。物置のスーツケースの中からはドロリとした液体がしたたり落ちている。
さすがにそろそろ焼却処分せざるを得ない。

「死体を丸ごと燃やしても見つかって通報される恐れがある。
バラバラにした方が燃えやすいだろうし、見つからないだろう」


かくしてニルセンは、腐乱した死体をバラバラに解体するという、世にも恐ろしい作業を開始した。
ラム酒を2杯飲んで気を大きくしてから床板をはがした。もう何度も床板をはがしていたので釘穴がゆるくなり簡単にはがせたという。
一番近くにあった死体の足を掴み、引っ張りあげた。まずは頭を切断し、手、足、と切り取っていく。腹を切り裂いて内臓を取り出す。
それぞれ適当な分量に分けてカーペットの切れ端に包んだ。
次の死体にはウジ虫が湧いていたので、まずは塩を振りかけて金ブラシでこすり落とした。そして最初と同じように次々と切断していく。
いかに死体慣れしたニルセンといえどこの作業は流石に苦痛だったようで、作業中には何度も吐き気を催し、ラム酒を大量に飲みながら作業を続けたという。
結局4体の死体全てを解体し終えて、更に浴びるようにラム酒とウイスキーを飲んだ。
目が覚めてからまだ朝日の昇らないうちに、裏庭で焼却作業を開始した。ポプラの丸太を積み重ねて、キャンプファイヤーの要領で火をつける。
火の勢いが増してきたところで、カーペットやカーテンの切れ端に包んだバラバラ死体を徐々に焚き火に放り込んでいった。
先ほどの4人分の死体と、最初のころに解体してスーツケースに詰めておいた2人分の、合計6人分の死体である。
死体を焼く臭いを誤魔化すために古タイヤも投げ込んだ。朝から夕方までかかって、何とか焼却を終えることが出来た。
燃やしている最中、近所の子供たちが面白がって寄ってきて焚き火を囲んで歌まで歌い始めた。ニルセンは内心ヒヤヒヤしたが、バレることはなかった。
燃やし終わると頭蓋骨が丸のまま残っており、ニルセンは慌てて火掻き棒で砕いた。
内蔵の方はフラットと隣の家の塀の間にブチまけたところ、2、3日でなくなった。虫、野良猫、鳥などの「夜の住民達」がキレイに食い尽くしてくれたようだ。

転落:死体を友とした男
ニルセンは、これで殺人から足を洗い、まっとうに生きる気でいた。だが、そう思い殺人を止めたのはつかの間だった。
もはや殺人は常習となり、純粋に「生きる上での目的」となっていた。
気がつくと部屋の床下に、8人、9人とまた死体が増えている。そしてニルセンの解体の腕も上がってきた。
それに伴い、床下もいっぱいになり、12人目を殺害した時にはとうとう床に入りきらなくなり、解体した部分を台所の戸棚にしまい込んだ。
ある日、ニルセンは引越しをすることになった。
ニルセンは大家にとって、家賃を値上げしようとする度に抗議してくるうるさい賃借人であって、大家は以前からニルセンを追い出したがっていたのだ。
もちろん大家にしても自分のフラットで、ニルセンがこれだけの大量殺人を行っていたとは、もちろん知る訳がない。
不動産屋を通じて「1000ポンドを引越しの手数料として払うから、よそへ引っ越さないか」ともちかけると、ニルセンは快く応じた。
もちろん、引越し前に床下に隠した死体を焼却することは忘れなかった。

1981年9月、かくしてニルセンはマスウェル・ヒルのクランリー・ガーデン23番地のフラットの最上階の屋根裏部屋に引っ越してきた。
屋根裏部屋といっても1フロア全てが使われており、居間、衣服部屋、寝室、台所、トイレ&バスは全て独立して、男1人で住むには十分すぎる広さだった。
新しいフラットは、死体を燃やせる庭もなければ、床板をはがして死体を収納することもできなかった。
ニルセンは、今度こそ殺人と手を切り、ここで新しくやり直す決意をした。
実際にニルセンは親切心で若者たちを自分の家に泊め、翌日無事に送り出している。「あの時は間違いを起こさなくて本当に嬉しかった」と語っている。

しかし─────またも孤独に耐えられずルームメイトが欲しくなったニルセンは、ここに引っ越して半年もしないうちに再び殺人に手を染めた。
ジョン・ホーレットという少年が13人目の犠牲者となった。彼は以前もゲイバーでニルセンに認識があり、ニルセンも「近衛兵のジョン」と記憶していた。
パブで再びニルセンと知り合い、彼のフラットについてきたために命を落とす羽目になったのだ。
首を絞めても何度も息を吹き返し、ニルセンも激しい抵抗にあったという。最後は風呂の中に顔を突っ込んで溺死させた。
14人目の犠牲者、グレアム・アレンはニルセンが作ったオムレツを食べている時に殺された事から、ニルセンは「オムレツ・マン」と記憶していた。
犯行時のことはまるで憶えていないが、殺したのは間違いなく自分だと認めている。
ニルセンはアレンの死体を一旦バスルームに置いておき、その後細かく切断してトイレに少しづつ流していくという、非常に根気のいる作業を始めた。
冒頭に書いた、下水を詰まらせた大量の肉や骨の残骸は、このアレンのものである。
頭部は大きな鍋で頭蓋骨だけになるまで煮込んだ。

ニルセンが書いたシンクレアの下半身のスケッチ
そして15人目の犠牲者がスティーブン・シンクレアだった。
シンクレアはニルセンの部屋で酒とドラッグを一緒に摂取し、気を失っているところをネクタイで殺害されたのだ。

「私は殺害後、彼にこう語りかけました。
『スティーブン、全然苦しくなかったろう? もう嫌な事なんて何もないからね』
私は彼の脱色したブロンドの髪をなでました。彼の死に顔はとても穏やかでした」


警察がニルセンの部屋の衣装部屋から、解体されたシンクレアの遺体を発見するのは、それから一週間後のことだった。

裁判:正常と異常の狭間で
ニルセンの犯行が4年以上もバレなかった理由には、犠牲者の大部分が宿も身分証明もないホームレスだった点にある。
彼らはある日ひょっこりと現れ、ひょっこりと消えていく。いなくなっても誰も気にかけない。大部分がニックネームで呼び合って、本名は本人しか知らない。
そのような事もあり15人中9人は身元を確認する事が出来ず、ニルセンは立証可能な6件の殺人と2件の殺人未遂で起訴される事となった。

裁判中のニルセンのスケッチ
1983年10月24日、クルーム・ジョンソン判事を裁判長として、ニルセンの裁判は開始された。
ニルセンは連続殺人について警察で全面的に協力姿勢で自供しており、裁判では責任能力の有無が焦点となった。
弁護側の用意した精神科医の主張は検察側が用意した精神科医に論破されてしまった。
しかし、検察側の精神科医も、弁護側の精神科医の指摘に反論をする事が出来なかった。
ピーター・ジェイ警部も証人として「彼は穏やかな態度で、調書作成には全面的に協力してくれた」と証言した。
また、彼が親切心から部屋に泊めた若者達が弁護側証人となり、陪審団をさらに悩ませる事となった。
(もっとも、検察側が証拠として提出した鍋や凶器のネクタイなどは、陪審団を恐怖させることとなったが)

裁判を終え陪審団が評決に入る際、ジョンソン判事は

「私の見る限り被告は精神異常などではない、邪悪な魂を持った人間だと思う」

とかなり偏った「助言」を行っている。
にも関わらず、陪審団の意見は一致せず、ジョンソン判事は多数決評決を宣言した。
結局ニルセンは6件の殺人と2件の殺人未遂全て有罪となり、最低収容期間25年の終身刑判決が言い渡された。
(筆者注:このジョンソン判事の『助言』については『陪審員に先入観を持たせようとする個人感情が丸出しのあんな助言が許されるのか』と、
のちに相当な批判を受けたそうである。こういうところは、イギリスはアメリカとは違う、と思ってしまう)

英国では刑務所に入る前に、10分間だけ希望する人間との談話が許されているが、ニルセンは逮捕時から自分を取材にきて非常に親しい間柄になった、
犯罪ジャーナリストのブライアン・マスターズを面会人に選んだ。
(筆者注:マスターズがニルセンへのインタビューなどを元に執筆した、この事件を題材にした著書『KILLING FOR COMPANY』(寂しいから殺した)は、
世界中でベストセラーとなった。日本では『死体と暮すひとりの部屋』というタイトルで販売されている)
マスターズ著『KILLING FOR COMPANY』
ニルセンはマスターズに、以下のような事をカミングアウトしている。
「ブライアン、あなたにだけは本当の事を言おう。本当は私は人殺しをするのが楽しかったんだ。
もし65歳まで捕まらなければ、100人くらい殺していたかもしれない

「いや、それはインタビューをしてて薄々気がついてたよ。問題はなぜ、キミが人殺しに幸せを見出せたか、ということさ」

するとニルセンはこう答えたという。

「それを解き明かすのが犯罪ジャーナリストであるあなたの仕事だろう」

そこで面会時間がタイムアップとなり、ニルセンはワームウッド・スクラブズ刑務所に入った。

2003年、ニルセンは獄中で書き上げた手記を自伝として出版しようとして差し止められ、この件が「事件について反省していない」とみなされ、
2006年、当時の内務大臣が「デニス・ニルセンの量刑を仮釈放権無しの終身刑に変更する」との決定を下した。
余談だが2005年某新聞が「デニス・ニルセンが仮釈放権を申請した場合、認めるべきか?」というアンケートを行ったが、アンケート回答者の80%以上が
「認めるべきではない」と回答したという。
かくして2008年11月に発生するはずだった仮釈放の権利は消滅した。もっとも当のニルセン本人は、どっちにしろ申請する意思はなかったようである。
(筆者注:ニルセンは自伝について『売り上げは犯罪被害にあった人を支援する団体に全額寄付するつもりだったのに』と憤慨してるという)

彼は獄中で書いた手記に、あの狂気の連続殺人についてこう記している。

「出来ればやめたかった。でもやめられなかった。他に何の喜びも幸せもなかったのだ」

参考文献
週刊マーダーケース・ブック No.24 英国史上最悪 孤独な連続殺人鬼 (デアコスティーニ)
快楽殺人者の異常心理 (KKベストセラーズ)
連続殺人者 (タイムライフ)
死体と暮すひとりの部屋 (草思社)
参考サイト
+ M O N S T E R S +
殺人博物館

テーマ:衝撃 - ジャンル:サブカル

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