世界を驚かせた奇怪、猟奇的な殺人事件の数々、そしてその犯人。科学では解決できないミステリー現象。それらを紹介していくブログです。

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レンヌ・ル・シャトーの財宝の謎

時は1885年6月1日。
フランス南部のピレネー山脈の北側ラングドックにある住民200人程度の、レンヌ・ル・シャトーという小さな寒村。
この村にベランジェ・ソニエールという名の、端正な顔立ちをした33歳の新しい教区司祭が赴任してきた。
ソニエール司祭
ソニエール司祭は非常に知的で熱心で、このような小さな村よりももっと大きな街の司祭が似合うと思われたが、彼はレンヌ・ル・シャトーに就任する前に
『政府から給料をもらう立場の司祭』でありながら政府への批判演説をして1年間の停職処分を受けており、言い返せば重要なポジションへの昇進を絶たれ、
このような「閑職」に追いやられたとも考えられた。
ソニエール司祭は大変貧しかったが、熱心なために村人の信望は厚く、村人たちからの寄付金で慎ましく暮していた。
やがて彼はマリー・デナルノーという18歳の少女を家政婦として雇い入れ、男女ながら2人に友情が芽生えるほど深い仲になったという。
とはいえ、人口200人の村ではさすがに司祭も暇をもてあます事が多かったようで、時間を語学や歴史の研究に費やし、6年が過ぎた。

1891年。ガッシリとした体格で体力的に恵まれて精力的だったソニエール司祭は、1059年に建てられたと伝えられる荒れ果てた教会の修復をはじめた。
そして柱の一本が空洞になっているのに気づいた彼は、中から木製の筒に入った古い4枚の羊皮紙を発見。
4枚の羊皮紙に書かれていた文章は何やら暗号のようなものらしかった。
苦心惨憺の末司祭は暗号を解読。どうやら「この宝物は、王ダゴベール2世とシオンに属する。その人はここで死ぬ」という文章が読み取れる。
興味を持った司祭は上司のビヤール司教にこれを見せ、司教も大いに興味をそそられ、司祭に暗号の専門家に相談する事を薦めた。
何とか旅費を工面した司祭はパリへ飛び、戻ってくると教会の修復作業を再開(その際雇っていた作業員を全員解雇している)。
この日を境に、貧しかった司祭の生活は一変する事になる。
祭壇の下の石板を外し、純金や純銀のメダリオンや延べ棒がギッシリと入った壺を掘り当てたという。これを現金に換金したらしいのだ。
その金額はいかほどかは今では知る由もないが、当時銀行の無かったこの村では、パリの銀行が司祭との連絡の為だけに駐在員を派遣した程だ。
相当のものと見ていいだろう。
金に困る事のなくなった司祭は、村へ繋がる泥道を舗装し、村中に下水を完備させ、豪華な庭付きの別荘も建て、教会も新たに建て直した。
(ただ、新しい教会の外見は非常に奇天烈で、悪魔アスモデウスの絵も飾っている。この教会は今も残り観光名所となっている)
また、著名な人々が定期的に司祭の元を訪れるようになった。
歌手エンマ・カルヴェやオーストリア皇帝フランツ・ヨゼフの従兄弟であるヨハン・フォン・ハプスブルグ大公などである。
司祭の客人には、家政婦マリーがとびきりの料理とワインを振舞った。
しかし、急に羽振りが良くなった司祭を不審に思った教会当局は、彼を呼び出し詰問したが司祭は
「実はこれはある富豪の方からの献金なのですが、その人の名は決して口外しないという約束なのです」
と断固として金の出所についての弁明を拒否したという。

ここで疑問なのは。一体、司祭は祭壇の下に財宝があるとどうして分かったのか。掘り当てた財宝は、誰のものなのか。誰が埋めたのか、という事だろう。
有力なのは、この財宝はテンプル騎士団の残党で結成された秘密結社、シオン修道会のものだ、という説である。
(世界中でベストセラーとなり映画にもなった『ダ・ヴィンチ・コード』で一躍メジャーとなった、あの秘密結社である)
テンプル騎士団とはキリスト教巡礼者を警護する為に結成された自警団で、信者達からの寄付により莫大な富を蓄えたという。
その管理権の一切は、シオン修道会が持っていたというのだ。
シオン修道会の財宝説を唱える人々は、司祭がパリを訪れた際の以下の3点の行動に注目している。

1.音楽の教科書でもおなじみの作曲家、クロード・ドビュッシーに会っている。 
2.パリを去る際にルーブル美術館に立ち寄り、3枚の絵の複製を購入。その内の1枚はニコラス・プーサンの『アルカディアの牧童』であった。 
3.パリから村に戻った司祭は、教会内にあるマリー・ブランシュフォール侯爵夫人の墓の碑文を削り取るという行動に出た。 

暗号を解く鍵?

侯爵夫人の墓に刻まれていた碑文は、暗号を解くキーワードが隠されていたという。
その言葉とは『剣』と『死』で、プーサンの絵と絡み合わせると『レンヌ・ル・シャトーにお宝あり』的な意味合いになるらしい。
しかし、いくら司祭が勉強熱心だったとはいえ、素人の司祭にこうも易々と解かれるような暗号では、暗号の意味は無い。
むしろ「司祭は誰かから暗号解読の助言をもらったのでは?」と考えるのが自然だろう。
それが上司のビヤール司教が薦めた「暗号解読の専門家に会え」という助言でもあり、そしてその人物こそが作曲家ドビュッシーである。
ドビュッシーもまた、シオン修道会のメンバーであった、という。

また、この財宝はキリスト教カタリ派のものではないか、という説もある。
実際シオン修道会のものにしろカタリ派のものにしろ、レンヌ・ル・シャトーは今でも金の延べ棒や黄金のキリスト像の一部が見つかるという。

大金を手にしてからの司祭の行動を見て見ぬふりが出来なくなったカトリック教会は司祭を聖物販売罪で告発、地位を剥奪するが、
司祭はバチカンに出向いて処分の不当性を直訴、無罪を勝ち得ている。
まるでバチカンは司祭に弱みを握られているとしか思えないような対応をしている事から、

「司祭は財宝ではなく、キリスト教にとってまずい秘密を発見したのでは?
それを元に多額の口止め料をもらい続けていたのでは?」


という説を唱える人もいる。
いずれにせよ、司祭が重大な秘密を発見したのは想像に難くない。

司祭は1917年にこの世を去るが、息を引き取る直前に隣の教区の神父を呼び、最後の告白をしたという。
その内容があまりに衝撃だったのか、部屋から出てきた神父は顔面蒼白。以後2度を笑うことはなかった、と記録に残っている。
尚、司祭から資産を受け継ぐ形となった家政婦のマリーも死ぬまで沈黙を守り、司祭の金の出所について口にすることはなかったそうである。

参考文献
世界史 ミステリー事件の真実 (河出書房新社)
レンヌ=ル=シャトーの謎 - イエスの血脈と聖杯伝説 (柏書房)

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テーマ:衝撃 - ジャンル:サブカル

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