世界を驚かせた奇怪、猟奇的な殺人事件の数々、そしてその犯人。科学では解決できないミステリー現象。それらを紹介していくブログです。

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拷問が趣味の怪物 もう1人のフリーウェイ・キラー

本名ウィリアム・ジョージ・ボーニン 通称ウィリアム・ボーニン

「1度でも殺しの味を知ったら、麻薬みたいに止められない。感覚が麻痺して簡単に殺せるようになる」(ウィリアム・ボーニン)

1970年代、LA郊外を恐怖のドン底に陥れた連続殺人鬼、フリーウェイ・キラー
フリーウェイ・キラーとして連続殺人を開始したのはランディ・クラフトが先だが、しかしフリーウェイ・キラーとして有名なのは、このウィリアム・ボーニンの方である。
これはボーニンが自分の殺人を自白し、インタビューなどでもその残虐な手口、異常極まる嗜好を積極的に話しまくったからなのに対し、
クラフトは今でも黙秘を貫いているのが理由と思われる。
もう1人のフリーウェイ・キラー、ボーニン
ただ、どちらも被害者を狂人的な方法で拷問するのが趣味の「怪物」である事に違いはない。
ボーニンは実に41人もの若者の命を葬り去り、高速道路の脇にゴミのように死体を捨て去っていた。

発端:トラック運転者の前科
1979年に入り、LA警察はカリフォルニア州高速道路沿いやその近辺に遺棄された、少年や若者の死体の数に目を見張らされる羽目になった。
犯人はまるで週末の殺人をノルマにして生きているかのようである。
死体はいずれも殺害される前にレイプされ、そして頭蓋骨に釘を打ち込まれる、針金を耳から鼓膜まで差し込まれる、塩酸を飲まされるという、
鬼畜の所業かと思えてくる手口で拷問されていた。
正体不明の同性愛殺人鬼をメディアは「フリーウェイ・キラー」と呼びセンセーショナルに報道したが、被害者と犯人を結びつける接点がほとんどなく、
しかも偽装した証拠(拾ったアカの他人のタバコの吸殻など)を現場に残すという狡猾さから、捜査は難航していた。
1980年6月11日深夜、警察は1人の男をソドム(肛門強姦)罪未遂で逮捕した。きっかけは数日前、窃盗で捕まった少年のこのような供述からだった。

「数日前、LAの安酒場で飲んでいるとある男に声をかけられ、家までついていった。
そいつの名はボーニンというトラックの運転手で、頑丈な体つきで青白い顔をしていた。奴は金を払うからホモ・セックスをしないかと言ってきた。
キッパリと断ったら、奴は殺人の話を始め『これまで何人も人を殺したことがある。人殺しを手伝ってくれないか』と真顔で頼んできた。
僕は身の危険を感じて、トイレにいくフリをして窓から逃げ出した」


警察が調べたところ、確かにウィリアム・ジョージ・ボーニンというトラックの運転手がLA郊外に住んでおり、しかもこの男にはソドム罪の前科がある。
さらにこの男が刑務所から釈放された1978年10月以降、高速道路の脇から男性の変死体が発見されるケースが急激に増えているのだ。

「もしかしたら、この男がフリーウェイ・キラーでは?」

警察はただちに、24時間体制の監視をボーニンにつけることにした。
(筆者注:もっともマークがついたその初日にボーニンは少年の命を奪っている。この少年はボーニンの最後の犠牲者となった)
数日後、徹底マークされているとは知らないボーニンはLA市内で少年を拾って郊外に向かった。
人の立ち寄らないような場所にライトバンを停めたボーニンは、裸にした少年にソドムレイプを始めた。
この瞬間を待っていた数人の刑事たちは、一斉にボーニンの車に突入した。「警察だ、動くな!その少年から離れてゆっくり手をあげろ!」
拳銃を突きつけられたボーニンは、ゆっくりと両手を上げた。刑事の1人がすかさずボーニンに手錠をかける。
ボーニンの目はまるでサメのようにドンヨリとしていた。
それは凶悪犯罪者の目を見慣れているLAのタフな刑事(デカ)たちですら、たじろぐような不気味な目つきだった。
少年は下半身裸のまま、肛門から鮮血をしたたらせ苦痛にうめいていた。
逮捕されたボーニンは少年へのソドム罪は認めたが、フリーウェイ・キラーについては一切知らない、と言い張った。
当局はすぐにボーニンの家に同居している25歳のバーノン・バッツを共犯の疑いで逮捕し、取調べを始めた。
ボーニン同様同性愛者でもあるバッツは人のいいなりになりやすい性格で、自作の棺桶の中で寝たりしていることから、仲間内では変人として知られていた。
「進んで自供したら刑の軽減もありうる」と警察にほのかされたバッツは、背筋も凍るような自供を開始した。
ボーニンの自宅

殺人:背筋も凍るバッツの供述
バッツによると、最初の殺人を手伝ったのは1979年7月のある日だそうである。
ハリウッドの近くで獲物を物色していたボーニンは、薄暗い路地裏でほっそりとした少年を拾った。
50ドルで話はまとまり、バッツに運転を任せて後部座席に移ったボーニンはナイフで少年を脅して手錠をかけ、口をガムテープでふさいだ。
そのままライトバンを走らせ人気のない郊外で車を停めさせ、ボーニンは少年をレイプし、次にバッツが少年を犯した。
そしてボーニンは少年の首までTシャツを上げると、そこに鉄パイプを差し込んで両手でパイプを回してギリギリとTシャツを絞り始めた。
少年は殺されると感じたらしく暴れたが、バッツが体を押さえ込んだ。
たちまちTシャツは少年の首に食い込み、少年は苦悶の表情と共に、口を金魚のようにパクパクと開けたり閉じたりした。
ボーニンがTシャツを緩めると、空気を吸い込んでいる少年の胸が大きく上下していた。ボーニンは笑いながらまたTシャツを締め始めた。
これを繰り返し、ボーニンは時間をかけて少年を殺害した。このあと少年の遺体をフリーウェイの路肩に投げ捨て、その場を去った。
こうしてバッツは、ボーニンの殺人を手伝う羽目になったという。バッツの供述はさらに続いた。

「最初の殺しのあと、まるで催眠術にかけられたようにその後も殺しを手伝った。何故か奴には逆らえなかった。
Tシャツを首まで上げて、少年を絞め殺す。ボーニンはこの殺し方を非常に気に入っていた。
好きなように少年を何度も苦しめてから殺すことが出来るからだ。
少年が喉をゴボゴボ鳴らしながら息を引き取ると、その時はサメのような奴の目が不気味に光っていた」


連行されるボーニン
少年の体を手術用のメスで切り裂くこともあったという。また、アイスピックを何度も耳に突き刺したりもしたそうである。
少年は凄まじい悲鳴を上げ、ボーニンは慌ててアイスピックを抜いたが、再びアイスピックを少年の耳に差し込んで死ぬまでいたぶったという。
バッツの恐怖の供述はさらに続いた。

「休日に家でビールを飲みながらTVを見ていたら、ボーニンが少年を連れてきた。
ステファノという18歳の少年で、LAの歓楽街で会って100ドルで話を決めたという。ボーニンはもう100ドル払う、という事で人でのプレイを承諾させた。
『SMプレイの真似ごとをしよう』とステファノの両手を縛り上げた。自由を奪うとボーニンは途端に本性を表し、ステファノに何度も平手打ちを喰らわせた。
ステファノの顔にはしまった、という驚きと恐怖の表情が浮かび上がった。
震えているステファノのTシャツを脱がしたボーニンは背後からソドムした。続いて俺が少年をソドムした。
そのあとボーニンは雑巾を絞るようにステファノを絞殺した。彼のジーパンから財布を取り出し、現金だけを抜き取った。
ボーニンと俺は車で出かけ、フリーウェイの脇にステファノの死体を投げ捨てた。
腹が減ったので途中でコンビニに立ち寄り、盗んだステファノの金でジャンボ・ハンバーガーを買った。
ハンバーガーを食いながら、ボーニンはこんなジョークを言った。
『ありがとうよステファノ。お前が今どこにいようと、俺は感謝しているぜ』
そしてそんな面白くも何ともない自分のジョークに、奴はいつまでも笑いこけていた」


ランディ・クラフトが被害者の遺留品を記念として持っていたように、ボーニンは事件の記事の新聞の切り抜きを記念として持っていた。
また、トラックの運転手とはいえクラフト同様、知能指数は非常に高かったそうである。
ボーニンは死体が見つかるたびに、会社の詰め所(休憩所)で同僚たちとこんな会話を交わしている。
「またフリーウェイの脇から拷問された絞殺死体が見つかったそうだね」と声をかけてから

「いつまでも捕まらないところを見ると、犯人は相当に利口な奴だね」

過去:育まれた異常性
ウィリアム・ボーニンの異常なまでのサディズムは、その少年時代と深く関わっている、と見ていいだろう。
1947年1月8日、コネチカット州で3人兄弟の次男として生まれたウィリアムは他のシリアル・キラー同様、父に虐待された過去を持っていた。
ウィリアムの父はギャンブルが三度の飯より好きな大酒飲みで、酔っ払うとすぐに家族に暴力を振るう最低の男だった。

「俺たち兄弟と母は酒を飲んでは暴れて酷い暴力を振るう父を恐れていた。
病気になって死んだ時も全然悲しくなんかなく、むしろホッとした。あんな奴は死んだ方がマシだ」


ウィリアムは父についてこう回顧している。
ウィリアムは10歳から窃盗を働くようになり、ついには捕まって少年鑑別所に送られた。
その日の夜にウィリアムは年上の少年たちに力づくでレイプされた。犯人たちは分かっているが、怖くて仕返しなんて出来なかった。
その後も少年鑑別所を出たり入ったり、を繰り返していたウィリアムは18歳になるころにはすっかり古顔になっていた。

「ブルブル震えてる少年を無理やりソドムするのが楽しみだった。施設では強い奴には黙って従うしかないのだ」

1969年、少年に対するソドム罪で22歳で逮捕されたウィリアムは精神鑑定で精神病質者(サイコパス)と診断され、
1971年にカリフォルニア州立アタスカデロ精神病院に収容され、そこで5年を過ごした。
しかし、精神病院を釈放された1年4ヶ月後にはまたもあるパーティーで知り合った14歳の少年に目を付け、少年がヒッチハイクをしていたところを拾って、
そのまま誘拐しソドムした罪で逮捕された。
この時少年に「いつもは殺すんだ。だけど、お前はパーティーで一緒だったところを誰かに見られているかも知れないからな。今回は殺しはしないよ」
という脅し文句を吐いている。
今度は禁固1~15年という不定期刑を受けるが、1978年に仮釈放される。釈放されたウィリアムは、こう誓ったという。

「もう絶対に刑務所はゴメンだ。今度捕まったら10年か20年はブチ込まれるだろう。下手したら一生出てこれないかも知れない。
今までの失敗は殺さなかったことだ。これからはレイプした少年は生かしておくべきじゃない


尚、被害者の少年は、当時の様子をこう振り返っている。

「アイツの目ほど怖いものはない。まるでサメのようにドンヨリとして濁っているんだ」

こうしてウィリアムはもう1人のフリーウェイ・キラーとして、実に41人の少年の命を奪い去ることになる。

結末:反省なき怪物
ランディ・クラフトもウィリアム・ボーニンも自分の覚えがない変死体がフリーウェイ沿いから発見されるニュースを新聞やTVで見るたびに
「へー、俺の他にどうやらもう1人フリーウェイ・キラーがいるんだな。会ってみたいもんだ」と感心していたという。
(筆者注:2人の対面は死刑囚専用刑務所のサン・クエンティン刑務所で実現することになる)

さらに警察はここ4ヶ月の共犯として、知能障害の2人ジェイムス・マンローグレゴリー・マイリーも逮捕した。
バッツ、マンロー、マイリーは、ボーニンに不利な証言をすれば死刑を求刑しないという検察との司法取引に応じた。
8件への殺人の関与を認めたバッツだが、裁判が始まる前に拘置所内で首を吊って自殺した。
ボーニンは12件の殺人と強姦罪で起訴され裁判にかけられ、10件の第一級殺人罪と強盗罪、死体遺棄で死刑判決を受けた。
マンローとマイリーにはそれぞれ25年の懲役刑が言い渡された。
クラフトは殺人そのものが目的だったのに対し、口封じのために少年達を殺害していったボーニンだが、次第にクラフト同様殺人が快楽になったようである。
反省の態度を見せることはなく、メディアとのインタビューで連続殺人についてこう語っている。
裁判から退廷するボーニン

「ひとつ殺しをやるたびに平気になっていった。捕まってなかったら今でもやってるだろうな。
1度でも殺しの味を知ったら、麻薬みたいに止められない。
感覚が麻痺して簡単に殺せるようになる」


逮捕から16年後の1996年2月23日、ボーニンはサン・クエンティン刑務所内で薬物注射により死刑となった。49歳だった。

参考文献
週刊マーダーケース・ブックNo.61 地獄のフリーウェイ・キラー 人間狩りドライブ (デアコスティーニ)
快楽殺人者の異常心理 (KKベストセラーズ)
参考サイト
殺人博物館
+ M O N S T E R S +

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テーマ:衝撃 - ジャンル:サブカル

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