世界を驚かせた奇怪、猟奇的な殺人事件の数々、そしてその犯人。科学では解決できないミステリー現象。それらを紹介していくブログです。

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無心の少年は、公国の跡継ぎではなかったのか?

1828年5月26日、聖霊降臨の月曜で祝日だったその日、バイエルン王国(現ドイツ)のニュルンベルグのウンシュリット広場に人は少なかった。
夕方に差し掛かった17時ごろ、地元で靴屋を営むジョルゲ・アイヒマンは広場の片隅にたたずむ、奇妙な少年を発見した。
少年は小汚い格好で、まるで何かに怯えたような様子だった。
不審に思ったアイヒマンは少年に話しかけると、少年は黙っているか「分からない」とだけ機械的に応答するのだった。
アイヒマンがふと少年の足を見ると、怪我を負っていたことに気がついた。靴から血が滲んでいたのである。
アイヒマンはかがんで少年の靴を脱がせ、透き通るような青白い足を眺めた。すると少年のまだ幼い足にはたくさんの水ぶくれが出来ているのに気づいた。
通常、人間の膝の裏は折り曲げるためにくぼみになっているが、少年の足はまるでこれまで一度も足を曲げた事がないようにピンとまっすぐ伸び、
むしろ反対側へとわずかに湾曲しているようにすら見えた。アイヒマンはいよいよ不審に思った。
「この少年はひょっとして、これまで一度も歩いた事さえないのではないか?」
謎の少年カスパー・ハウザー
少年は手に持っていた2通の手紙をアイヒマンに手渡した。その宛先は1通は第4騎兵隊長へ、そしてもう1通は第6騎兵連隊へと当てたものだった。
アイヒマンはとりあえずその手紙を手掛かりに、第4騎兵隊長であるヴェセニヒの元へと少年を連れて行くことにしたのである。
しかし、そこでの少年の行動はまた彼らを困惑させるものだった。
少年はまるで、それまで火というものを見たことがないかのようにロウソクの火に触れて火傷したり、部屋の隅に置かれていた古時計を異常に怖がったりした。
また少年は食べ物を与えられたが、パンと水以外は一切口にすることはなかった。それ以外の食べ物は食べてもすぐに吐き戻してしまうのである。
そこでひとまずアイヒマンたちは手紙を調べることにした。しかし、その手紙の内容はさらにまた、一層彼らを困惑させる謎めいたものだったのである。

「拝啓 隊長殿へ 
閣下の軍隊を志望する若者を隊長殿のもとへ送ります。この子は1812年10月7日に私の元に来ました。
この子の母親は私にその養育を頼んできたのですが、しかし、私には他に子供もおり、育てる余裕がありません。
また、私はこの子を一度も家の外に出したことがありませんでした」


2通目の手紙には以下のような事が記されていた。

「この子供は洗礼を受けています。名前はカスパー。あなたがこの子に姓を与えてください。
この子の父親は騎兵でした。彼が17になったら、ニュルンベルクの第6騎兵隊に参加させてください。
それはこの子の父親がいた部隊です。この子は1812年4月30日に生まれました。
私は貧乏で、この子の面倒を見ることができません。この子の父親は既に亡くなっています」


一体誰がこの手紙を書いたのだろうか。いや、それ以前に。この奇妙な少年は、一体何者なのか?
彼らはひとまず少年に様々な事を尋ねてみることにした。
「君はどこから来たのか?」「君の名前は?」「年齢は?」「お父さんは?」「好きな食べ物は?」
しかし、少年は全く彼らの言葉を解せない様子で、ただ機械的に「分からない」「私は父のように軍人になりたい」「ウチの馬」と答えるだけだった。
それはまるで、彼が誰かに教えられた、唯一の言葉であるかのようだった。彼はおそらく「分からない」の意味さえ、分からなかったのだろう。
そこでヴェセニヒ隊長はひとまず、少年に紙を与えてみた。ひょっとしたら筆談なら出来るのではないかと考えたのである。
とにかく何でもいい、少年と意思の疎通をしたい。すると驚くべきことに、少年は紙とペンを受け取ると、嬉しそうな様子で、何かを書き始めたのだった。
少年が紙に書いたのは Kaspar Hauser
それ以来、この不思議な少年はカスパー・ハウザーという名で知られるようになった。

広場に現れたカスパーのイラスト
カスパーは引き取り手もなく警察も困り果ててしまい、とりあえず浮浪罪の名目で警察が犯罪者を収容する目的で作られた小さな塔の中で暮らすことになった。
部屋には小さな窓が取り付けられており、その窓は公衆に面していたため、その窓の下には、さっそく話題となった少年を見に、たくさんの見物客が訪れた。
しかしカスパーは部屋の中でほとんど動くことはなく、また毎日絶え間なく訪ずれる見物客にもほとんど気に留めていない様子だった。
ある日、見物客の1人がカスパーの部屋に向かって馬のオモチャを放り投げた。カスパーはその馬の人形を見るなり、「ROSS!(馬)」と叫んだ。
(筆者注:後に明らかになることだが、カスパーはその時決して馬を識別した訳ではなく、彼は犬も猫も4本足の動物は全てROSSと呼んでいたという)
そして友達を得たカスパーは毎日その人形と飽きることなく遊び続けた。
食事の時間には必ずその人形にも餌を与え、まるで人形に命が無いことを知らないかのような素振りだった。
(実際、人間社会に慣れ教育を施されるまで、カスパーは生物と物の違いが分からなかったということである)

そしてその後、カスパーの特異な五感能力が次々と明らかになる。
まず、コーヒーやビールといったものは、それらが部屋に運び込まれただけでカスパーは気分が悪くなってしまうのである。
ワインにいたってはその匂いだけで酔ってしまうほど敏感だったという。
また鼻だけでなく、その目も明らかに普通の人間とは違っていた。彼は暗闇の中で完全に物を見ることができたのだ。
彼は真っ暗な中で聖書を読むという実験を成功させ、見事その能力が本物であることを実証したという。
またその耳も恐ろしく敏感で、隣の部屋で囁く声を聞き分ける事ができた。

それから後、カスパーの元を次々と学者や著名人が訪れた。
中でも彼に格別の興味を示したダルマー教授は、ほぼ毎日に渡って彼の元を訪れ、物心が付き始めたカスパーの人生最初の「教師」といってよかった。
また当時の市長もカスパーについては特別処置を取り、熱心に彼の成長を記録し続けたという。
こうして周囲の善意、あるいは好奇心に支えられ、カスパーがニュルンベルクに現れてから数ヶ月が過ぎた頃、彼はまるで別人のように成長していた。
カスパーの知能はその年齢の通常の人並みに達し、言葉を流暢に喋るようになっていたのである。
それはまるで、新しい言葉を次々に「覚える」というよりは遠い昔に知っていた言葉を「思い出して」いるかのような凄まじい吸収ぶりだったという。
会話も出来るようになったカスパーは、周囲の勧めもあって、まず回顧録を著わすことに着手した。
そして彼の「まだ幼稚だが、しかしとても覚え立てとは思えない」言葉で書かれたその文章で、カスパーのその驚くべき過去がついに明らかになった。

彼が16歳で表に出るまで暮らしていた場所は奥行き2メートル、幅は1メートル。窓はなく、立ち上がることができないほど天井が低かった。
彼はその場所を「オリ」と呼んでいた。また床は汚れていて、寝床代わりに干し草だけがつまれていた。その部屋に唯一、白馬のオモチャが置いてあったという。
毎朝目を覚ますと、決まって床にパンと水が置かれていた。しかし彼はそれが誰かの行いではなく、自然のことだと思い込んでいた。
それもそのはず、その部屋にいた10数年の間、彼と外部との接触は皆無だった。その暗く四角い部屋だけが彼にとっての、全世界だったのである。
つまり、カスパーには自分が「閉じ込められている」という認識すらなかったのだろう。その部屋には「外の世界」を想像するきっかけさえなかったのだ。
水は時々苦く感じる事があり、その後は決まって深い眠りに落ちた。そして目を覚ますと髪の毛や爪、衣服が綺麗になっていたとされている。
(水には睡眠薬が入っていたと考えられる)
そんなある日、カスパーの部屋に突然男が現れ、カスパーに3つの言葉を教えた。
それは「わからない」「私は父のように軍人になりたい」「ウチの馬」というものだった。
さらに男は「カスパー・ハウザー」という名の書き方を教えると、カスパーは馬に乗せられ、ニュルンベルクの公園へと連れられた。
そしてその日、少年は靴屋のアイヒマンに拾われたのである。

それからというもの、カスパーは一躍有名人になった。
彼はその物珍しい存在感で社交界の貴族たちに愛され、その子供のような純粋さで、様々な場所に呼ばれる身分となった。
多くの人々は彼のことをその秘密めいた出生から面白がり、カスパーは「ヨーロッパの子」とまで呼ばれるようになった。
いずれにせよ、彼の存在は退屈な田舎町であるニュルンベルクに、一抹の話題をもたらしたことは事実なようでである。
一部の者たちはかたくなに反論したが、市はいよいよ税金の中から少年の生活費を捻出することに決めたのである。
さらに市では少年の出生の秘密を探るために懸賞金をかけて情報を募った。
カスパーの話では、ニュルンベルクに連れてこられるまでは大体馬で1日という距離であったため、閉じ込められていたのは町のすぐそばではないかと推測された。
そして、そうした手がかりを元に市では様々な場所を探索したが、結局、そのような小部屋が発見されることはなかった。
(筆者注:現在ではカスパーが閉じ込められていたのは、ノイマルクトにある小さな水城ピルザッハ城の小部屋という可能性が高くなっている。
ニュルンベルクからおよそ35キロ程の距離にあり、1924年秘密の小部屋が発見され、その広さや形はカスパーが説明したものと一致している。
1982年の改装工事で、瓦礫の下から白馬のオモチャが発見されたが、それもカスパーが説明してみせたものに正確に合っていた。
また半ばカビの生えた衣服の一部もそこで見つかっている)

そしてそれから間もなくして、カスパーがいよいよ塔を出て市民として暮らすことが決まると、ダルマー教授が彼の里親として名乗りをあげた。
ダルマー教授はカスパーの磁力や金属に対する能力に興味を持っていたからである。カスパーは、人生で最も幸せな時期を送ることになった。
しかしそのころから、カスパーがこの町にきた当初から囁かれていた噂が、また再浮上しはじめたのである。
カスパーの容姿が当時の貴族バーデン王室カール大公にそっくりなことから、「カスパーは王室の血族なのでは?」と噂されたのだ。
「カスパーは元々王の後継者であったが、何らかの理由により隔離され、小部屋に幽閉された」といったものである。
事実、そうした噂を裏付けるようにカスパーが生まれたとされる1812年ころ、バーデン王室で子供2人がいなくなるという騒ぎがあった。
そんな騒ぎをよそに、カスパーはダルマー教授の元で幸せな日々を送っていたが、事件は突然訪れた。
ニュルンベルクで拾われた日から17ヶ月が過ぎようとしていた1829年10月17日のことである。
ダルマーの家の中で、カスパーがシャツをビリビリに破かれ、頭から血を流して倒れている姿で発見されたのだ。
何とか一命を取り留めたカスパーは、ダルマー教授に事件のいきさつを話した。覆面をつけた男が突然現れ棍棒のようなもので殴られたというのである。
そして事件を受けた市ではカスパーに特別に24時間態勢で警護をつけることにした。
町の多くの人々はそうした市の計らいを妥当なものだと考えていたが、一部では既にカスパーに対する猜疑心が広まりつつあったのも事実である。
カスパーは既に失われはじめた自分への注目を取り戻すため、自作自演でそうした暗殺未遂劇をでっちあげたのではないかという噂が流れ始めたのである。

しばらくして、英国のスタンホープ卿がカスパーに興味を示した。スタンホープはカスパーが王室の末裔であるという噂に注目していたのだ。
しかし、そんなスタンホープの思惑を知らずに、すっかり彼の事を気に入ったカスパーは、その後しばらくの間スタンホープと共に過ごすことになった。
だが、そのような関係もおよそ長くは続かなかった。スタンホープはすぐにカスパーに嫌気が指した。
カスパーはそのころから徐々に自己中心的に、そして傲慢に振る舞うようになってしまったと伝えられている。
カスパーがうっとうしくなったスタンホープは、カスパーを友人であるメイヤー博士のもとに住まわせることにした。
メイヤー博士の家はニュルンベルクから遠く離れたアンスバッハという町にあり、そこでヒッケルという名の護衛をつけたのだ。
しかし、カスパーはそこでの生活とヒッケルを激しく嫌い、ニュルンベルクでのダルマー教授との充実した日々を思い出し、たびたび涙を流していたという。

クリスマスを目前にした1833年12月14日。その日、カスパーはメイヤー博士のリビングルームで多量の血を流して倒れているのが発見された。
カスパーは右胸を刺されており、重傷だった。途切れ途切れのカスパーの話は以下のようなことだった。
その日、彼はある男に面白い話があるから、と公園に呼び出された。(護衛なしでと言われたかどうかは定かではない)
そして公園に向かったところ、黒づくめの男が現れ、「カスパー・ハウザーか?」と訪ねた。
カスパーがうなづくと男はカスパーに財布を手渡し、それと同時にいきなりナイフでカスパーを突き刺したということだった。
その後警察とヒッケルがすぐにカスパーが刺された公園に向かうと、そこには「逆書き」でメッセージが書かれた財布が落ちていたのだ。
(逆書きとは犯行声明などの際にあえて利き手とは逆の手で書く事で筆跡を崩し、筆跡からの犯人特定を鈍らせる方法である)
メッセージは「自分はカスパーのことを知っているし、カスパーも自分のことを知っている。俺の名はM・L・Oだ」という内容のものだった。
しかし、ヒッケルはさらに奇妙な事実に気がついた。その日は雪だったが、そこには不思議と1人分の足跡しか残されていなかったのである。
そしてヒッケルは推測した。おそらく事件はカスパー自身の狂言による自傷なのではないか。そして軽く刺すつもりが誤って深く刺し過ぎたのではないか。
結局、カスパーはそれから3日後に死亡した。享年21歳の彼の最後の言葉は「自分でやったんじゃない」というものだったという。
カスパーは闇からふらりと現れ、また闇に消えた。本当に王族の血縁者だったのか、それとも稀代の詐欺少年なのか。ついにその正体が明らかにならないままに。

1996年、シュピーゲル誌が依頼し行われたDNA鑑定によると「カスパーはバーデン家とは何も関係がない」という判定が出て、
また、2002年ミュンスターの法医学研究所は「生物学的な観点から、カスパーはバーデン家の一員(血縁者)である」という鑑定を出した。

彼は生前のある日、最も信頼していたダルマー教授と美しい見晴らしの丘に出かけ、大喜びした後に、こう語ったという。

「私はあの小部屋から出てこなければ良かった。
(自分を小部屋から連れ出した)あの男はどうして私を外へ連れ出したりしたんでしょう。
あそこにいさえすれば、何も知る必要もなければ、何も感じる必要もなかった。
もう子供ではないという苦しみ、そしてこんなに遅くなって世の中にやってきたという苦しみも、
経験しないですんだのに……」


参考文献
世界史 ミステリー事件の真実 (河出書房新社)
世界不思議物語 (リーダースダイジェスト)
謎のカスパール・ハウザー (河出文庫)
参考サイト
1828年独、闇の中から現れた少年カスパー・ハウザーの謎

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