世界を驚かせた奇怪、猟奇的な殺人事件の数々、そしてその犯人。科学では解決できないミステリー現象。それらを紹介していくブログです。

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世界を震撼させた食人鬼 ミルウォーキーの怪物

本名ジェフリー・ライオネル・ダーマー 通称ジェフリー・ダーマー

「なんてこった! 人間の頭が入っているぞ!?」(ダーマーの冷蔵庫の中を見た野次馬の1人)

ミルウォーキーの怪物ジェフリー・ダーマー
人間の歪んだ想像力が爆発したらどうなるか。前々回紹介のエド・ゲインと、このジェフリー・ダーマーはその最たる例、と言えるだろう。
1991年7月に逮捕されたダーマーは17人の若者の殺害、遺体切断、人肉食を自供し、全世界を震撼させた。
「ミルウォーキーの怪物」「ミルウォーキーの食人鬼」と恐れられたダーマーは、何に憑りつかれてこのような蛮行の数々をしでかしたのだろうか?
一見物静かでハンサムな青年を歪ませたのは、一体何だったのだろうか?

発覚:ミルウォーキーの食人鬼
「ビールの街」として知られるウィスコンシン州のミルウォーキー。
1991年7月22日のその日は、五大湖から吹く風が天然のクーラーとなり、夏だというのに肌寒かった。
ロバート・ローズラルフ・ミューラーの両巡査がパトカーで巡回していた25番街付近は、ストリップ小屋やゲイバーなどの風俗店が密集するいかがわしい場所で、
超ミニスカートの売春婦や辻強盗もあちこちにたむろしており、住人も8割近くが有色人種であった。
23時30分ごろ、パトカーの前に左手首から手錠をぶら下げた黒人の青年が金切り声を上げて飛び出して来た。
かなり興奮していて、叫びに近い大声でまくし立て、話にまとまりがない。両巡査は「落ち着いて事情を話すように」黒人青年を諭した。
黒人青年はトレイシー・エドワーズと名乗った。
白人の青年と知り合いアパートまで着いていったら、酒に酔ったところでいきなり手錠をかけられ、包丁を突きつけられ、
「少しでも抵抗したらその心臓を抉り出して食ってやる」と脅されたという。
服を脱ぐように命じられたが、隙を見て命からがら逃げ出してきたところを両巡査に出くわした、というのだ。
半信半疑だった巡査たちだが、エドワーズはあまりにも真剣で演技をしているとも思えない。一応そのアパートに行ってみることにした。

案内されるままにオックスフォード・アパートメントに着いた両巡査はパトカーから降りると、2階の213号室のインターホンを鳴らした。
部屋の中から出てきたのは、一見物静かな白人青年だった。
ジェフリー・ダーマーと名乗るその男性は、落ち着き払った様子で2人の巡査に対応した。
両巡査は何故エドワーズに手錠をかけ包丁で脅したのか説明を求めた
するとダーマーは「彼と酒を飲んでいて、失業中な事もあり、酔いが回りイライラも重なってあんなことをしてしまいました」と答えた。
一応説明に納得した両巡査が手錠の鍵を出すように云うと、ダーマーは途端に顔を強張らせ、言い逃れをしようとした。
尚も鍵を渡すように要求すると、ダーマーは突然暴れて逃げようとした。両巡査とダーマーは掴み合いの乱闘をはじめ、そのまま室内に雪崩れ込んだ。
「いてて、コイツ引っ掻きやがって!」巡査の叫びに他のアパートの住民たちがゾロゾロと213号室の入り口付近に集まってきた。
ダーマーは後ろ手に手錠をかけられ、ローズ巡査は携帯無線で本署に応援を求めた。
ダーマーに被疑者の有する権利を説明し終え、冷静になった両巡査はやがて、部屋を飛び回るおびただしい数のハエと、凄まじい異臭に気がついた。
巡査たちには臭いの原因が何となく判り始めていた。恐る恐る冷蔵庫を開けると、様子を窺っていた玄関先の野次馬の1人が叫んだ。

 「なんてこった! 人間の頭が入っているぞ!?」

その瞬間、ダーマーはこの世のものとは思えない、獣のような叫び声を上げた。

冷蔵庫の中には3つの頭部と肉片が、ビニール袋に入れられて保存されていた。
ファイリング・キャビネットの上段には灰色に塗装された3つの頭蓋骨、下段には各部の骨が、箱の1つには2つの頭蓋骨とおぞましい写真のアルバムが収納されていた。
キッチンの鍋の中からも煮えて崩れかけた頭部が2つ発見され、その他の鍋も切断された腕が数本、男性器が1本入っていた。
玄関に置かれた樽状の青いポリ容器は塩酸で充たされ、中では3つの胴体が溶解されている。
冷蔵庫の中には人肉の他に食料らしいものは冷凍のフライドポテトくらいで、あとはステーキソースとマスタードソースが1瓶づつあるだった。
塩酸入りの樽を運び出す捜査員
日付けが変わって23日になるころ、本署から次々に応援のパトカーが到着した。その間ダーマーはずっと「ミャオ、ミャオ!」と猫の鳴き声を真似していた。
手錠と、さらに拘束具をつけられたダーマーは、そのまま警察に連行された。
取調べに対しダーマーは冷蔵庫の肉片について「1990年から被害者の肉を食用にしていた」と自供。担当した刑事を青ざめさせた。

過去:陰気で無口で孤独だった少年時代
父ライオネルと当時の妻ジョイスとの初めての子として1960年5月21日、ジェフリー・ライオネル・ダーマーはこの世に生を授かった。
当時ライオネルはまだマーケット大学の学生だったため、2人はライオネルの母親と同居していた。
ジェフリーの誕生後、ライオネルは学業に専念し、やがて1962年には電子工学の学士号を、さらに4年後には分析化学の博士号を取得した。
このようにライオネルは大変は「努力家」であったが、反面家庭を気にすることはほとんどなかった。研究に忙しく、息子をほとんど構ってあげられなかったのだ。
その間、1人で育児を受け持つジョイスの精神状態は次第に悪化して行った。夫婦仲はどんどん険悪になり、常に口論が絶えなくなった。
ジェフリーにとって、それは見慣れた光景になっていった。彼は次第に「親から無視されている」と感じるようになった。
母の精神も次男を産んでからは悪化の一途を辿り、1970年には精神科に入院してしまう。そして1977年、ジョイスとライオネルは離婚する。
そんな中でジェフリーは、1人で近所の森の中で過ごすことが多くなっていた。森の中でジェフリーは動物の死骸を集めては、自分で墓を作っていた。
ウサギを殺して死骸から塩酸をかけて肉をはぎ取って骨だけにしたり、杭に犬の頭を刺したりしていたという。
よくジェフリーを英国史上最悪の猟奇連続殺人鬼、デニス・ニルセンと似ていると主張する方が多いが、ここら辺のエピソードとのちに続く殺人の流れなどは、
犠牲者が男と女の違いはあれど、筆者はむしろ非常にエド・ケンパーと共通するものを感じる。
崩壊して愛情の欠落した家庭環境、死体への妄想、幼少期の動物虐待、大人になってからの「自分は社会の負け組で心を許せる友人もいない」と思っていた部分。
さらにつきつめていうなら、犯行後の病的な死体損壊行為、「被害者と一体になりたい」と行った人肉食なども。
高校時代のダーマー
10代半ばにして、ジェフリーは授業中にこっそりコーヒー用の紙コップでウイスキーを飲んでいることがよくあった、という。
だが、誰もそのことについては何も言わなかった。そう、陰気なジェフリーには忠告してくれるような友人が少なかったのだ。
知能テストではかなり高い数値が出たが、学校の成績はよくなかった。(ここもケンパーと良く似ている)
だが、そうかと思えば注目を集めるための奇行もしばしば行なった。
癲癇の発作を起こしたふりをしたり(自分の母親がしばしば起こした発作を真似たものと思われる)、他のクラスの卒業写真にちゃっかり並んで写ったりした。
そんなジェフリーを快活とみる者もいたが、たいていの仲間は彼を「厄介な、子供っぽいやつ」だと思っていた。
両親の離婚が成立して父に引き取られた頃には、彼はアル中になっていた。
やがてジェフリーは己の中にひそむ性癖に気づき、悩みはじめていた。自分が同性愛者だ、という悩みである。
「友達も出来ない僕に、男の恋人など出来るだろうか?」ジェフリーは日々この疑問に悩んでいた。

ジェフリーは18の時、初めて殺人を犯す。
1978年6月18日、高校を卒業してブラブラしていたジェフリーは、コンサートの帰りに町外れでスティーブン・マーク・ヒックスという少年と出会った。
同じコンサート会場から出てきたヒックスは、ヒッチハイクするための車を待っていたところだという。
一目惚れしたジェフリーは自分の車にヒックスを乗せると、酒とマリファナを餌に自宅へ誘った。ちょうどいいことに両親は別居中で、家には誰もいなかった。
友達が家に来る、などという経験がまったくなく、しかも音楽の趣味も合うジェフリーは大喜びしたが、時間が経つとヒックスはそろそろ帰ると言い出した。
帰したくないジェフリーは泊まっていくように懇願したが「今日はパパの誕生パーティーがあるから」とヒックスはあくまで帰るという。
ジェフリーは咄嗟にバーベルで殴り、そのあとは首を絞めて殺害した。ヒックスの死体を床下に運んで、肉切り包丁でバラバラにした。
大変な作業に感じるかも知れないが、ジェフリーは子供のころから動物を殺してバラバラにするという経験をしていたのである。
そして肉を骨から剥ぎ落とし、骨はバラバラにして自宅と隣の家の敷地の境にバラまいた。
(13年後、ダーマーの供述からその場所を捜索した警察は、骨の欠片数個と歯を3本採集した。歯科カルテから歯はヒックスのものであるのが確認された)
殺人を犯してしまった後悔の念から、ジェフリーはますますアルコールに溺れた。
18歳にしてアル中となった息子を何とか更生させようと、ライオネル・ダーマーはジェフリーを大学に入れてみたがダメだった。
高校時代同様、講義中に酒を飲むような有様で、結局1年で退学した。
軍隊に入れてみてもダメだった。ジェフリーは酒浸りの毎日で、まったくやる気がみられなかった。軍隊も3年間で「不適格」として除隊処分になっている。
(筆者注:尚、立件こそされなかったがジェフリーはドイツ駐軍時代にエリカ・ハッシーという地元の女性を殺害した疑いももたれている)

息子を持て余したライオネルは、母に預けてみることにした。やがてジェフリーはチョコレート工場に職を見つけ、転地療養は奏功したかに思われた。
しかしこの頃のジェフリーは夜になると足繁くゲイ・バーや同性愛者専用のポルノショップに通っていた。
少し経ってジェフリーはハルシオンなどの睡眠薬を相手の酒に混入するようになった。
医者に不眠を訴えて睡眠薬を処方してもらい、気に入った男に酒を奢り、隙を見て睡眠薬を盛るのである。
この頃のジェフリーには相手にいかがわしい事をしようという目的はなく、あくまで睡眠薬の効き目がどの程度か試すのが狙いだったようである。
とはいえ、遂には意識が戻らず、救急車で病院に運ばれる者まで現れた。
他にもジェフリーに薬を盛られたという苦情が店に殺到し、「クラブ・バス・ミルウォーキー」のオーナーはジェフリーに出入り禁止を言い渡した。

殺人:歯止めの利かなくなった魔性
1987年9月15日、出入り禁止となった店とは別のゲイバー「クラブ219」で、ダーマーはスティーブン・トゥオミという24歳の黒人青年と出会い、ホテルへ入った。
朝、目が覚めると、トゥオミは口から血を流して死んでいた。首には絞めつけた跡があった。
泥酔していたダーマーは何があったのかまるで覚えていなかったが、自分が絞殺してしまったことだけは確かである。
慌てた彼はクローゼットに死体を隠し、一旦外出してスーツケースを買い求めると、死体を詰めて改めてチェックアウトし祖母の家へと運んだ。
(この行動はパニック状態にあっても冷静に最善の策を思いつく、高知能殺人鬼特有のものである)
そして、地下室でバラバラに切断して、黒いゴミ袋に詰め、燃えるゴミの日に出した。
トゥオミ殺害の証拠は事実上残っておらず、ミルウォーキー警察は止むを得ずこの件の起訴を断念することになった。
年が変わって1988年1月16日。
ダーマーはまたもクラブ219付近のバス停留所でジェームス・ドクステイターという、ネイティブ・アメリカンの血を引く若い白人の男媚と出会った。
そこで写真のモデルになってほしいと頼み、祖母の家へと連れて行った。
そして、睡眠薬を砕いて混ぜたラムコークを飲ませて、意識を失わせてから絞殺した。屍姦した後、地下室で死体の解体を行い、頭蓋骨は記念として保存した。
さらに3月24日、ダーマーはクラブ219からさほど離れていないフェニックス・バーでリチャード・ゲレロというヒスパニック系の青年と出会い、祖母の家へと連れて行った。
その後は前回と同じである。この頃にはダーマーは解体用のナイフ一式を揃えていた。
祖母のキャサリンは地下室から漂ってくる異臭に悩まされていた。そこでライオネルに電話し、地下室を調べさせた。
床にどす黒い液体がこぼれている以外は、特に変わったところはなかった。
ダーマーは「子供の頃やっていたように動物の死骸を酸で溶かしたんだ」と苦しい弁明をしたが、ライオネルはこれをそのまま信じてしまった。
しかし、キャサリンは孫の深酒と、地下室の異臭にはウンザリしていた。ライオネルはダーマーに、独立するように促した。
9月25日、北24番街808番地のアパートに引っ越したダーマーは、翌日の午後にケイソン・シンサソンフォンというラオス人の少年を部屋に連れ込んだ。
睡眠薬入りのコーヒーを飲ませて猥褻行為をしたが、彼は殺さずにリリースした。ケイソンは自宅に戻るや否や昏睡状態に陥り、病院に運ばれた。
この件でダーマーは逮捕され、未成年者に対する強制猥褻の罪で起訴された。しかし、ライオネルが1万ドルの保釈金を払ったため、1週間後に釈放された。
1989年3月25日、ケイソンに対する容疑が係争中であるにもかかわらず、ダーマーはモデルのアンソニー・シアーズを祖母の家に連れて行き、殺害した。
自分の部屋に連れて行かなかったのは、警察に監視されているのではないかと思ったからである。そして、いつものように解体し、頭蓋骨と性器を保存した。
5月23日、ダーマーはケイソンに対する容疑で有罪となったが、裁判では心から反省した態度を見せたため、5年間の保護観察処分と1年間の刑務所外労働で済んだ。
おかげでミルウォーキー刑務所からチョコレート工場に働きに出ることができた。たまにはゲイバーにも寄ることもできた。これで更正など無理な話である。
そして1990年3月3日に仮出所となり、北25番街924番地にアパートを借りた。
後に「ジェフリー・ダーマーの神殿」として世界にその名を轟かすことになるオックスフォード・アパートメント213号室である。
部屋そのものが証拠物件として押さえられた
新たにアパートを借りたダーマーは1990年5月末、凶行を再開した。
20代中盤から刑務所を出たり入ったりしていたレイモンド・スミスは、5月からミルウォーキーの姉妹の家に居候することになった。
「今度こそ人生をやり直し、まっとうに生きるんだ」と誓っていたスミスは29日、クラブ219で知り合った「ジェフ」と名乗る白人青年から、写真のモデルを頼まれた。
「ジェフ」も2週間前にミルウォーキーに越してきたばかりだという。
アパートについていったスミスは睡眠薬入りラムコークを飲まされ、そのままダーマーに解体されてしまった。
ダーマーは6月14日、頭にターバン状のものを巻いていたことから「シャイフ」というニックネームで呼ばれていた黒人青年エディ・スミスを、写真のモデルを口実に、
またしてもアパートに連れ込むことに成功した。
ダーマーは約束を守り、ちゃんと写真は撮った。もちろん例によって睡眠薬入りラム・コークを飲ませて意識を失ったところで殺害後、解体してからだったが。
7月8日にヒスパニック系の少年リッキー・リー・ベックスを殺害しようとしたが、逃げられてしまったためにダーマーは殺人を自粛する決意をする。
(ベックスは『養父母に自分が同性愛者であるのを知られるのは困る』と警察に被害届を出さなかった。のちにダーマーの逮捕を聞き、改めて被害届を出した)

蛮行:想像を絶する悪魔の儀式
そして9月3日、ダーマーの蛮行は8人目の犠牲者によって新たな局面を迎える。人肉食である。
書店で知り合った黒人ダンサーのアーネスト・ミラーを「写真のモデルになって欲しい」と口説き、家に連れ込み睡眠薬入りラムコークで眠らせた。
ミラーはハンサムで筋肉質、バネのような体つきをした黒人ダンサーで、まさにダーマーの好みにぴったりだった。
ベックスの件で自粛していたダーマーは欲求不満が募り、殺人衝動がピークに達していたのだろう。絞殺する代わりにミラーの首をかき切って殺害した。
ダーマーは大喜びで死体のあらゆる写真を撮り、肉をそぎ落として骨だけにし、さらに白骨化したミラーをバスルームでシャワーのノズルにひっかけて、また写真を撮った。
その内にダーマーはミラーのバネのような肉体を思い出し、そぎ落とした肉の残骸を、このまま処分するのはあまりに惜しい、と考え始めた。
ダーマーは残骸から心臓と上腕二頭筋(力こぶを作る筋肉)を回収すると、キッチンで肉叩きハンマーで叩いて柔らかくし、
サラダ油で焼いてステーキソースをかけて食べた。
彼によると二頭筋はビーフのような味がしたが、心臓はふわふわしていて味がなかったそうだ。
ダーマーはミラーの一部を胃に収めると、これで彼は俺と一緒になった、と大きく安堵した。
同じく9月にまた犠牲者が出、同じ道をたどった。22日にはデビッド・トーマスが、翌1991年2月18日にはカーティス・ストローダーがダーマーの胃袋に納まった。
この頃アパートの住人が「ダーマーの部屋から悪臭がする」と苦情を言いにいったことがある。
その時ダーマーは「冷蔵庫が壊れて、中の肉が腐ってしまった」と説明している。確かに「肉が腐っていた」というのは嘘ではない。

この後、ダーマーの蛮行はさらにとてつもない方向に向かう。ロボトミー手術を施した「ゾンビ」の創造を企てるのである。
ダーマーが相手を殺害するのは、同性愛行為を拒否されるのを恐れているからである。
しかし裏切らず、口答えせず、逃げ出すことのない恋人が永遠に隣にいれば、彼は殺害を繰り返す必要はないのだ。
そこで思いついたのが「ゾンビ」の創造、すなわち「ロボトミー手術」である。前頭葉白室を切り離してしまうと無抵抗な人間になってしまう。
かつては前後の区別もつかないような凶暴な狂人の治療法として広く行われていたが、あまりにも非人道的ゆえに現在ではほとんどの国で禁止されている。
1991年4月9日、エロル・リンゼイに睡眠薬入りラムコークを飲ませたダーマーは思った。

「また僕は殺人を犯すのか? 殺してどうなる? 死体の写真と頭蓋骨のコレクションが増えるだけじゃないか」

そう考えたダーマーは、リンゼイの頭部に電気ドリルで穴を開け、調理用の注入器を用いて脳に塩酸を注入した。
しかし余りの激痛にリンゼイを目を覚ましのたうち回った。ダーマーは隣の部屋の住民に感づかれるの阻止するために、やむなく彼を絞殺した。
ダーマーの犠牲者たち
5月24火、今度は31歳でダンス好きのトニー・ヒューズがダーマーの犠牲になった。
睡眠薬で眠らせたものの、ヒューズはあまりダーマーのタイプではなかった。しかも聾唖者で、ダーマーは何か良心が咎めた。
とはいえ目を覚ますと怒り出して、警察に訴えられる可能性がある。ダーマーはそのままヒューズを絞殺した。
2日後の26日、ヒューズの遺体をベッドの上に放置したまま、ダーマーは次なる獲物を探しに出掛けた。
そしてショッピング・モールでまだ14歳のラオス人、コネラク・シンサソンフォンに声をかけた。
彼は3年前にダーマーに睡眠薬を飲まされあやうく犠牲になるところだったケイソン・シンサソンフォンの弟である。
コネラクをアパートにつれてきたダーマーは、睡眠薬で眠らせると、彼の頭に穴を開けて塩酸を注入した。
夜になり、ビールを買い忘れていたことに気づいたダーマーは、コネラクをそのままにして出掛けた。
そしてアパートに戻ると、コネラクが外に出て全裸のままで2人の黒人少女に助けを求めているではないか。
ダーマーは慌ててコネラクを少女たちから引き離そうとしたが、少女たちは応じず警察に通報。
駆けつけた警官たちに対しダーマーは「彼は僕の恋人なんです。ちょっとした痴話喧嘩でこんな騒ぎになったんです。もう19歳です」と必死になって弁解した。
不運なことにコネラクは英語がうまく喋れない。しかも「警察が来て助かった」と思ったのか、コネラクはソファーでおとなしくしていた。
「事件性なし」と判断した警官は、そのままダーマーの部屋を少し見渡しただけで去ってしまった。(この時、寝室にはまだヒューズの遺体があった)
警官が帰った直後にダーマーはコネラクを絞殺、バラバラにして頭蓋骨コレクションに加えた。
このコネラクの件は「警察は有色人種のコネラクにはロクに事情も聞かず白人のダーマーの言い分だけを信じた」とミルウォーキーの有色人種住民が怒り、
さらに「ホモの痴話喧嘩に出くわしたww」とこの件を笑い話にした警察官の会話がそのまま記録用テープに録音され、これが外部に漏れTV・ラジオで放送され、
「彼らの有色人種と同性愛者への偏見、無能ぶりとお役人仕事のせいで14歳の少年は犠牲者になった」
とミルウォーキー警察は世界中から批判を浴びる事になった。

終結:怪物を待っていた皮肉な最期
コネラク殺害あとは6月30日にマット・ターナー、7月5日にジェレミア・ワインバーガー、7月12日にオリバー・レイシー、7月19日にジョセフ・ブレイドホフトと、
ほぼ1週間に1人のペースで殺人を重ねている。
この時期、ダーマーはチョコレート工場をクビになり、家賃滞納のため7月いっぱいでアパートを追い出されることが決まっていた。
本人にしてみればいつかは訪れる「逮捕」に備えての殺し納めのつもりだったのだろう。
アパートを追い出され居場所を失った彼が、仮に大量の頭蓋骨コレクションや人体の残骸を荷作りして、一体どこへ行けたというのだろう?
ブレイドホスト殺害から3日後の22日、トレイシー・エドワーズがあやうく難を逃れた事により逮捕されたが、ほとんどためらいもせず警官たちを招き入れたことからも、
ダーマーがこの「破滅の日」を予感していたことは間違いなかった。
事実、取調室でのダーマーは、自分の凶行に終止符が打てたことに安堵しているようにすら見えたという。

裁判中のダーマー
ダーマーはスティーブン・トゥオミ殺害を除く16件の殺人などで起訴され、ローレンス・グラム判事を裁判官として1992年1月30日から裁判は始まった。
すでにダーマーは全面自供していたために弁護団は精神異常を主張したが、陪審団はこれを退け、16件の殺人の内15件を第一級殺人で有罪であるとの評決を出した。
判決前にダーマーは「自分は刑の軽減など望んではいない、死刑だけを願っている」と語ったが、ウィスコンシン州では死刑がかなり前に廃止されているため、
グラム判事はダーマーの希望を叶えることは出来なかった。
ダーマーは15件の第一級殺人とベックスへの殺人未遂などで、15回連続の終身刑判決が言い渡された。
これは合計957年の禁固刑に相当する。
食人鬼が生きてシャバに戻れる可能性が0%になったことに、犠牲者の遺族たちはインタビューで「ホッとした」と答えた。

しかし、ダーマーがこの終身刑を全うすることはなかった。
1994年11月28日、ウィンスコンシン州立刑務所であるコロンビア医療更生施設の、浴室の清掃作業を他の2名の囚人と共に命じられていたダーマーは、
頭から血を流して倒れているのを、通りがかった看守に発見された。
すぐに近くの病院に搬送されたが、その途中に救急車の中でダーマーは息を引き取った。34歳だった。
犯人は同じく浴室の清掃作業を命じられていた、25歳の黒人で精神異常者クリストファー・スカーバーで、凶器は運動部屋のトレーニング機材の一部分だった。
スカーバーは「自分は神の子であり、父である神の命に従いダーマーを殺害した」と主張したという。
ダーマーを殺害したクリストファー・スカーバー

父、ライオネル・ダーマーは息子の事を書き上げた自伝著『息子ジェフリー・ダーマーとの日々』を発売し、売り上げ金の一部を遺族への慰謝料に充てた。
「もう少し息子を何とかするべきだった…」という悔恨の念がひしひしと伝わる内容である。

参考文献
週刊マーダーケース・ブックNo.9 ミルウォーキーの食人鬼 (デアコスティーニ)
息子ジェフリー・ダーマーとの日々 (早川書房)
死体しか愛せなかった男 ジェフリー・ダーマー (原書房)
続・連続殺人者 (タイムライフ)
参考サイト
+ M O N S T E R S +
殺人博物館

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テーマ:衝撃 - ジャンル:サブカル

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