世界を驚かせた奇怪、猟奇的な殺人事件の数々、そしてその犯人。科学では解決できないミステリー現象。それらを紹介していくブログです。

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性的興奮が忘れられず「死体に帰る」峡谷の殺人鬼

本名アーサー・ジョン・ショークロス 通称アーサー・ショークロス

「彼にとって殺人は彼自身が語っているように『いつもの仕事、日課』に過ぎないのです」(チャールズ・シラグサ検事)

青年時代に幼き少年少女を殺害して刑務所に服役したアーサー・ショークロスは模範囚人として過ごし、仮釈放後はニューヨーク州ロチェスターにて静かに過ごし始めた。
それから間もなく、ロチェスターのジェネシー峡谷から、女性の死体が次々に発見され始めた。
ジェネシー川の殺人鬼アーサー・ショークロス
容疑者として逮捕されたショークロスは連続殺人を自供したが、動機はあまりに些細なものだった。
更生して収まったかに見えた彼の殺人願望が15年の時を経て、再び蘇ったのはどうしてだろうか?
ジェネシー川の殺人鬼(ジェネシー・リバー・キラー)は、一体どのように生まれたのだろうか?

発見:死体に帰る男
ニューヨーク州警察とロチェスター市警察は、連続殺人事件の犠牲になった可能性のある3人の女性を発見するため、クリスマス休暇も新年会も返上して、
サーモン・クリープと呼ばれる鮭釣りの名所の川や、近接の沼地などを必死で捜索していた。
ロチェスターのジェネシー峡谷は、1988年3月24日にドロシー・ブラックバーンの遺体が発見されて以来、殺人鬼の「死体置き場」と化していたのだ。
しかし捜査は難航し、1989年の暮れには3人の売春婦、ジューン・シセロ、ダーリーン・トリッピ、フェリシア・スティーブンスの3人が、次々に行方不明になっていた。
1990年1月4日。ジョン・マキャフリー上級捜査官マーク・ワドビン巡査ケネス・ハント巡査を乗せたニューヨーク州警察のヘリコプターはついに、
サーモン・クリープに浮かんでいる人間の遺体らしきものを発見した。
それはフェリシアのジーパンが発見された場所から3キロ、ドロシーの遺体が発見された場所から800メートルほど離れた場所だった。
さらに現場を見下ろすと、橋の上にグレーのシボレーが止まっており、そこから運転席の男が身を乗り出してペプシコーラの瓶に排尿をしているように見えた。
双眼鏡でその異様な光景を観察していたマキャフリー捜査官は、動き出したシボレーを追跡。約10キロ先で男に職務質問をした。
男はアーサー・ショークロスと名乗った。クララ・二ールという女友達を迎えにいくところだという。
連絡を受けた連続殺人事件の特捜チームのリーダーでもあるロチェスター警察のテレンス・リッカード副本部長は、ショークロスの経歴を調べて仰天した。
1972年、10歳の少年と8歳の少女を強姦した末に殺害し、有罪となっているではないか。
もっともリッカード副本部長だけでなく署内がもう一種のパニックのような「上を下への大騒ぎだった」という。
(リッカード副本部長は『あの時の衝撃と騒ぎは警察を引退しても、おそらく生涯忘れる事はないだろうね』と回想している)
シボレーは押収され、ただちにショークロスとクララは個別に事情聴取を受けることになった。
発見された遺体はフェリシアではなく、ジューンと判明。ジューンの近くに落ちていたサラダの容器は、ショークロスが橋の上から投げたものだと認めた。
ショークロスは免許を失効していた、いわば無免許の状態なのでシボレーは押収されたままだったが、クララとショークロスは一旦は釈放され、帰宅を許された。
シボレーからはジューンのイヤリングの片方が発見された。
さらにショークロスの写真をもってロチェスターの売春婦街、ライエル・アベニューに聞き込みに出かけた刑事たちは、ショークロスがかなりの「常連客」であること、
売春婦たちには「ゴート」や「ミッチ」と名乗っていることも分かった。
一度、ある売春婦から「ゴートという男が怪しい、調べてみたほうがいい」という通報の電話があったのだ。
その時は「参考程度」くらいに聞き流していたが、こうなると俄然ショークロスは怪しく思えてくる。
捜査は難航し、ロチェスター警察は以前FBIに協力を求めた事もあった。FBI特別捜査官は事件を検討し、犯人像をプロファイリング。それは次のようなものであった。
 
「20代後半から30代前半の白人男性。車を持っており、行動範囲が広い。
女性たちが安心して車に乗り込むような、『透明な』雰囲気の人物である」


髪はかなり白髪が混じり、でっぷりと肉のついた顎と腹、43歳の年齢よりも遥かに老けて見えるショークロスは、FBIのプロファイリングとはあまりにかけ離れていた。
しかし翌5日の午前10時50分、リッカード副本部長は特捜チームについにショークロスの逮捕を命じた。
ロチェスター警察のゴードン・アーレイチャー本部長は記者会見を開き「被疑者をジェネシー川売春婦連続殺人事件の容疑者として正式に逮捕した」と発表。
最初ショークロスは「自分は保釈中の身だし、エイズが怖いから金を払ってまで売春婦と関わりを持ちたいとは思わない」と徹底して容疑を否認していた。
しかし、警察を訪れた妻のローズマリーに「私はどんな時もあなたを愛しているし、あなたの味方よ」と説得され、ついに遺体で発見された13人の女性のうち、
11人を殺害した事を認めた。(残る2名に関しては『自分の犯行ではない』と頑として否定したという)
アーサー・ショークロス

のちの自供で、この男には逮捕のきっかけとなったジューンの遺体を見に行った以外にも、殺人を犯しては度々現場に戻り、そして遺体を見て性的興奮に浸るという、
不気味な癖があることが分かった。
このためマスコミはショークロスを「死体に帰る男」「ジェネシー川の殺人鬼」としてセンセーショナルに報道した。

過去:母に疎まれ、愛されず
1946年6月6日、メイン州のキタリーにてアートことアーサー・ジョン・ショークロスは生まれた。
アートが生まれてからショークロス家は、間もなくニューヨーク州ウォータータウンの郊外、ブラウンビルという小さな村に引っ越した。
アートは幼児の頃から空想癖があり、内向的な性格で、ずっと夜尿症が治らなかった。
それでも小学校2年までは成績はトップクラスだったが、3年からは成績も急激に悪くなり、言語発達の遅れ、家出などの問題行動が多く見られるようになったという。

原因は9歳のときに始まった両親の不和と、それによる家庭の崩壊だったと言えるだろう。
軍人であったアートの父が赴任先のオーストラリアにも妻子を持っているのが発覚したことである。
この一件により両親の仲は冷え、母親は子供たちに対する愛情を完全に捨て去った。
幼いアートには事情は分からなかったが「パパとママの間に何かあった」ことは察した。そして彼らがもはや、自分を愛していないことも。
母親はアートに暴力をふるうようになり「お前はいらない子なんだよ」と面罵した。
父親はたまに帰ってきては「お前さえいなきゃ、こっちで結婚することもなかったんだが」と言って溜息をつき、睨みつけた。
愛情のない家に帰るのが嫌で、アートは近所に住むウェイトレスの誘いにのり、ほとんど性的虐待とも言える交渉を持つようになる。彼はこの行為に耽溺した。
だが我に返ると自分の行為に恥じ入り、肉体的欲求と罪の意識の板ばさみになって混乱した。
この関係が終わるとほとんど同時に、人間の女に対する反発もあってか、彼は獣姦にのめりこむようになる。
家畜の山羊や羊を襲っては、犯しながらナイフで切ったり突いたりして快感を得るのである。
夜遅く、家畜の返り血を浴びて帰ってくる息子を見ても、母親は何も言わなかった。
この頃からアートは学校でも「問題児」として教師たちも手を焼く存在になった。スクールバスで鉄パイプを振り回し、暴れたこともあった、という。
(筆者注:ただ、多くの連続殺人鬼が大抵高知能を備えているが、彼は学校の知能テスト判定では後ろから数えた方が早いくらい、知能は低かったという)
夜尿症は悪化し、独り言は前よりも頻繁になり、大声になった。弟妹たちをはじめとする小さい子へのいじめ行為も見られ、幾度か憤怒の発作も起こしている。

ある日、アート少年が学校から帰る途中、赤いコンバーティブルに乗っ男が話しかけてきた。身なりも普通で、話し方もまともに見えた、という。
男に道を尋ねられ、アートは懸命に説明したが、男は「ちょっとわからないな」と首をひねり、「一緒に乗って案内してくれないか」と言った。
アートが車に乗り込むと、男は人気のない道に入り込み、アートを殴りつけ首を絞め下着を剥ぎ取るとレイプした。
男は欲望を遂げると、少年を路上に置き去りにして消えた。出血した体を引きずって、アートは歩いて家に帰らねばならなかった。
家には母親がいたが、彼女は息子の顔が腫れあがり、シャツもズボンもぐしゃぐしゃにされているのを見ても、なんら注意を払わなかった。

「家に帰ったら、母がキッチンにいた。俺は傷ついてたし、慰めが欲しかったから『ママ、ぼく、ひどいことされたんだ』って小さな声で言ってみたんだ。
そしたらあの女、『そうね。お前を見たら誰だってムカつくだろうからね』って言いやがった。そのまま振り向きもせずに、料理を続けていやがった」


また、2006年には「これとほぼ同時期に母親にも性的な虐待を受けたこと、妹や叔母とも性的関係を持った」とアートは証言している。
ただ、彼をレイプした「赤いコンバーティブルの男」は発見されていないし、母親が彼に性的暴力をふるったかどうかも証拠はない。親族側も完全否定している。
だがアートが裁判前に弁護側証人の女性学者ドロシー・ルイス博士に退行催眠をかけられ、母親に箒を肛門に挿入されて痛めつけられた記憶を呼び覚まされて、
「痛い、痛い、ママ。僕にそんなことしないで」と啜り泣くさまがCBSテレビで放映された。
そして、直後に「母親の人格」に豹変し、「あたしとあの子の間を邪魔する奴は殺してやる。淫売ども、雌豚」とわめき散らすさまも。
これが演技だったのかは、アートが死去した今となっては誰にも分からない。
(筆者注:少なくとも裁判では検察側はこれを『下らない演技、茶番』であると決め付け、陪審団も同意したが)
ともあれアートによれば、このレイプ事件以来「性的嗜好が完全に一変してしまった」という。暴力的なセックスでなければ、満足できなくなってしまったのだ、と。

上の右から3番目、高校時代のショークロス
中高一貫校を留年を1年留年し7年で何とか卒業。家宅侵入で保護観察処分を受けるなどしながらも、アートは18歳で結婚、一児をもうけた。
幸せの絶頂のはずの状況で「自分でも得体の知れない欲望」に突き動かされて、アートは女遊びにのめりこむ。やがて家庭は崩壊し、離婚。
その後再婚したが、新婚生活を楽しむ暇もなく、1968年ベトナムに従軍した。

殺人:連続殺人への序曲
アメリカの黙示録───ベトナム戦争がいかにアメリカを打ちのめしたかについては、今更いうまでもないと思う。
非戦闘員であるはずの女子供からもゲリラ攻撃を受け、片時も油断ならない日々。不安はデマを呼び、ふくれあがったデマはまた新たな不安と緊張を生む。
結果、ベトナム戦争はそれまでの戦争とは比べものにならないほど多くの「戦争神経症患者」を生みだし、「ベトナム後遺症の典型例」とされた。
ジョエル・ノリス著の『ARTHUR SHAWCROSS:THE GENESEE RIVER KILLER』によると、彼はここでカニバリズムに目覚めたのだという。
彼は2人の少女を捕らえて木に縛りつけ、1人が見ている前でもう1人の首を切断し、腿の肉を切り取って食べたと証言した。
それを見ていた少女は発狂寸前になったそうだが、この話に裏付けはなく、ショークロスが主張したのみである。
(筆者注:FBIプロファイラーとして有名なロバート・K・レスラー氏は公判前にショークロスと会見をした。
そして後年自著の中でショークロスが戦闘部隊所属でなかった事を交えて『彼のベトナム時代の遺体切断、人肉食の話は100%ウソ』と断言している)
確かに、人殺しが当たり前になる戦場では、どんなおぞましい、残酷な光景でも毎日のように見ることができるものだ。
しかし、ショークロスの場合、獲物の解体を覚えたのは鹿狩りで、生肉の味を覚えたのは食肉加工工場で働いていた時、というのが真相のようである。
ベトナムから戻ったばかりのショークロス
ショークロスは1969年に帰国。彼はまっさきに母親のもとへと向かったが、彼女にとって息子が邪魔者であることに変わりはなかった。
むしろ彼女は息子が五体満足で帰ってきたことを見るや、恩給が手に入らない事を嘆いた。
そして戦争でM16ライフルで倒した敵の数は確認しただけで39人にのぼるだの、大軍に包囲されたが部隊でただ1人生き残っただの苦労話を大げさに続ける息子に
「いい加減黙りなよ。お前のホラ話に興味なんてないよ。それをさっきから女みたいにいつまでもベラベラ、ベラベラと……お前はオカマかい。
まさか尻で軍隊にご奉仕してたんじゃないだろうね」
と吐き捨てた。

ショックを受けたショークロスは家を飛び出し、我が家へ戻った。家には従軍前に再婚した妻が待っていた。
だがベトナム後遺症による幻覚や悪夢に悩まされるようになったショークロスは、精神科医にかかりカウンセリングを受ける羽目になった。
クリスチャンサイエンスの信徒であった妻が神様の教えに反する、としてショークロスが入院するのは拒否した。
1970年、ショークロスが働いていた製紙工場は彼が勤務して間もなく火事になり、28万ドルもの被害を出した。この時最初に通報したのはショークロスだった。
4ヶ月後、干し草を貯蔵した納屋が出火、これも真っ先に通報したのは彼だった。
その3日後、ショークロスが勤務して間もない乳製品工場から出火。またしても、通報者はショークロスだったのはいうまでもない。まるで「くまえり」である。
その後、ガソリンスタンドへの強盗に加担し逮捕され、3件の火事も自分の放火だった事を自供した。
ショークロスは5年の実刑判決を受け、服役。収監中に妻には離婚を言い渡された。ショークロスによると、彼はここで3人の黒人囚にレイプされたという。
そんな折、刑務所内で受刑者たちの大暴動が起きる。ここでショークロスは偶然に怪我した看守と行き会い、彼を助けることになる。
これが功績として認められ、また、模範囚人として過ごしていたこともあり、ショークロスは2年で仮釈放となった。
1972年、出所したショークロスは26歳。4月22日に3度目の結婚をする。今度の相手は幼馴染みで、妹の元クラスメイト、ペニー・シャビーノ
 
1972年5月7日の日曜日、ショークロスはその日もまた「ベトナム戦争の後遺症による幻聴、フラッシュバックと闘っていた」という。
ショークロスの近所に住む10歳の少年、ジャッキーことジャック・ブレイクが行方不明となり、両親のアレン・ブレイクと妻のメアリーは警察に駆け込んだ。
物置からはジャッキーが大切にしていた釣りセットが無くなっており、どうやら釣りに出かけたようである。
いつもジャッキーと弟に釣りを教えているアートという20代の男のところにいったのだろうか?
夫妻は「アートという男が息子の行方不明に関係していると思う」と警察に話したが、まともにとりあってはくれなかった。
警察は「アート」という男がアーサー・ショークロスという男であるのは突き止めたが、5月10日「彼は息子さんの失踪とは関係ありません」と夫妻に連絡している。
しかし、その後の目撃証言により、グレーのTシャツを着た少年(ジャッキーもその日はグレーのTシャツだった)が、20代の男性と一緒に森に入っていた事が判明。
さらに9月6日、今度は8歳のカレン・アン・ヒルという少女が絞殺死体で発見された。少女はレイプされたあと、無残に絞殺されて川に遺棄されていた。
カレン殺害の件でも「金髪の幼き少女が20代くらいの男性と一緒に歩いているのを見た」「遺体発見場所近くのフェンスを越えようとしている男がいた」と、
やはり“20代の男”が続々と目撃情報として寄せられた。
裁判所に入る26歳のショークロス
警察は少年の行方不明も含めショークロスの身柄を拘束、彼を尋問した。6時間に及ぶ取調べの末、ようやく彼は容疑を認めた。
ジャッキー少年も殺害したことを認め、遺棄現場を自供した。3日後、ブレイク家から3キロほど離れた森の深い部分で、ジャッキー少年は変わり果てた姿で発見された。
ほぼ白骨化しており、激しく殴打されたらしく、歯が抜けて散乱していた。レイプされたようで、服は全て脱がされていた。
司法取引によりショークロスは2件の第二級殺人罪で起訴され、ミルトン・ウィルツ裁判長は第二級殺人罪では最高刑の懲役25年を言い渡した。
ウィルツ裁判長は「被告が服役中に自身の問題を解決する何らかの手助けを得ることが出来ると信じています」と説論したが、ショークロスは無表情だった。
妻ペニーはショークロスに有罪判決が出た次の日に離婚訴訟を起し、10月17日、凶悪犯専用の刑務所と悪名高きアッティカ刑務所に収監された。

衝動:「だから、殺してやった」
刑務所内では問題のない模範囚人として過ごし、14年半後の1987年についに仮釈放許可が下りた。
42歳の誕生日を約1ヶ月後に控えた4月30日に出所したショークロスは、服役中に文通で知り合った看護婦、ローズマリー・ウォリーが一緒についてきてくれた。
服役するまでは長身でスリムなショークロスだったが、出所後はかなり白髪が混じり、体に贅肉もでっぷりとついていた。
ショークロスは事件を犯した土地に戻ることを禁じられていたため、各地を転々とした。
住んで4週間で地元紙が彼の経歴をスッパ抜き、地元警察署から「あなたのような凶悪犯罪の前科がある人間はこの街にふさわしくない」と引越しを命じられることもあった。
打ちひしがれた彼は髪を染め名前を変えることも考えたが、保護監察官から「ニューヨークのロチェスターなら都会なので目立たず暮らせるのではないか」と説得された。
ショークロスは都会は好きではなかったが、ロチェスターのジェネシー川では大好きな釣りが出来るので、渋々応じた。6月29日、彼はここに越してきた。
そして野菜の仕分けの仕事につくのち、クララ・二ールと知り合い、愛人関係になる。
ローズマリーにはクララを「女性だがクララは友人、それ以上の関係はない」と紹介し、ロースマリーもそれを信じることにした。

ショークロスがロチェスターに住んで約9ヶ月後の1988年3月24日。
ロチェスター北西部の郊外を流れる鮭釣り名所の川サーモン・クリープに、女性の死体が浮いているのが発見された。
ドッツィーこと27歳の売春婦、ドロシー・ブラックバーンだった。ドロシーは15日に姉妹と市内のレストランで昼食をとったあと、行方不明となっていたのだ。
半年後の9月11日、28歳の薬物中毒の女性アンナ・マリー・ステファンの死体がジェネシー峡谷でゴミ袋に詰められて遺棄されていた。
この頃ショークロスはローズマリーにプロポーズ、彼女はショークロスの4番目の妻となる。
10月21日、同じくジェネシー峡谷で鮭釣りにきていた男性が頭の無い白骨死体を発見、慌てて通報。
これはのちに7月29日を最後に行方不明になっていた59歳の浮浪者、ドロシー・キーラーのものと判明する。
その6日後、今度はパティこと25歳の売春婦、パトリシア・アイブスが絞殺死体で発見された。激しく殴打され、肛門を犯されていた。
11月初旬、今度は22歳の売春婦、マリア・ウェルチが行方不明となり、11日、フラニーこと25歳の売春婦フランセス・ブラウンがこれまた無残な姿で発見される。
ここで警察はようやく一連の女性殺人を「同一の連続殺人鬼による犯行」と確信したのである。
11月23日にはショークロスとローズマリーの友人で軽度の知的障害がある30歳のジューン・ストットが、ジェネシー川で死体で発見された。
ショークロスは彼女を1ヶ月前に殺害しており、数日して彼女の死体を見に「帰ってきた」という。そこで死体の腹を割き、内臓を取り出して、性器を抉り取り食べた。
「自分が体から抜け出て、死体を切り刻んでる自分を空から見下ろしてるみたいな気がした」という。
27日には29歳の売春婦、エリザベス・ギブスンが殺害される。
その年の暮れにはさらに前述の3人の売春婦、ジューン、ダーリーン、フェリシアがショークロスの手にかかり、行方不明者リストに名を連ねることになる。

ショークロスは犯行を重ねながらも、精神的には混乱のきわみにいた。
死体からえぐり出した内臓を袋に詰め、ハンドル片手に袋の中身をいじくりながら帰途をたどるうち「俺は一体何をしているんだろう」という思いに、
涙が止まらなくなったこともあったという。
ジューンを撃ち殺した後、彼は「この女の部品をロバート(クララの息子)におみやげに持って帰ったら、きっと喜ぶぞ」という思いに取り憑かれ、
内臓と性器をタオルでくるんで袋に詰め、家に帰ることにした。
しかし信号待ちをしている間に、彼はいつものように袋に片手を突っ込んでそれをいじくり出し、我慢できなくなってついに食べてしまう。
それを噛み砕きながら彼はマスターベーションし、ふと我に返ると、バックミラーに血まみれの自分の顔が映っているのが見えた。
彼は自分が完全に駄目になってしまったことを今更ながら悟った。
逮捕されてから彼は、マリアとダーリーンの遺体遺棄現場に刑事たちを案内した。「彼女はここにいます」3ヶ月に及ぶマリアの捜査は終わった。
たとえ戦闘部隊所属ではなかったとしても、ショークロスはベトナムで憶えた殺しのテクニックを有効活用していたようである。
それは以下の刑事とのやりとりでも垣間見える。

「アート、あんたは『夜のタフな女たち』をいとも簡単に殺せている。何故だ?」
「刑事さん、俺は彼女たちの『常連』だから、俺にひどい目に合うなんて考えてもいない。だからまず顔面をガツン、とやってやるんだ。
女たちは俺に殴られるなんて予想もしていないから驚いて呆然とする。そこをすばやく絞め殺すのさ」
「………そんな事をどこで習った?」
「刑事さん、あんたベトナムで戦ったことはないね?」
「ジューンの死体を切り裂いたのは何故だ?」
「死体の腐敗を早めるには、腹を切り裂いて内臓を引きづり出すこと。ベトナムで戦った経験のある奴なら誰でも知っているさ」


事実、ショークロスの犠牲者には抵抗したあとがほとんどなく、検死にあたったニコラス・フォーブス博士も死体が運ばれる度に犯人の「殺しのテクニック」に驚き、
「犯人はスタンガンを使ったか、麻酔薬でも注射したのか?」と火傷か注射痕がないか毎回調べたという。

ショークロスの犠牲者
また殺害理由をそれぞれ自供したが、ほとんどが「そんな理由で殺したのか?」と取調べをした刑事たちが呆れるくらい、些細な事だった。
最初の犠牲者であるドロシー殺害について「あの女、俺の大事なものを噛みやがったんだ。血が出たんだぜ。『噛むのが好きなのよ』ってヘラヘラ笑ってやがった」
ショークロスは激昂してドロシーを絞め殺し、死体をサーモン・クリープに捨てて立ち去った。
フラニーはショークロスとのカー・セックスの最中にギアレバーに足が挟まり、レバーのノブがとれた事に腹を立て、殴り殺したという。
「俺は頭にきて彼女の喉を殴り続けたら、動かなくなった」
59歳の浮浪者ドロシー・キーラーはショークロスのアパートから盗みを働こうとしてショークロスを激怒させた。
さらに盗みを追求されたドロシーは「あんたがクララと愛人関係なの、ローズに言ってやる!」と開き直ったため、殺されることになった。
「『仲直りして、ジェネシー峡谷に釣りに行こう』と誘った」しかし釣りはせず、落ちていた丸太で首を思いっきり殴ったら死んだ、という。
アンナは川で遊んでいたところ、ふざけてショークロスを突き落とした。激怒したショークロスがアンナを殴りつけたら、アンナは「警察に言ってやる!」と騒ぎ始めた。
「仮釈放でまだ保護観察中の俺にとって、警察への通報は命取りだと思った。次に警察沙汰になったら、下手したら一生刑務所から出られなくなる」
「………それで、どうしたんだアート?」
「絞め殺してやった」


前述の通りショークロスは遺棄現場に何度も赴き、殺害した女性の遺体を見ては興奮に浸っていたことから「死体に帰る男」としてセンセーショナルに報道されたが、
これはショークロスだけでなく、今まで紹介した快楽連続殺人鬼に非常に多く見られる特徴である。
殺害現場に何度も赴く、被害者の遺留品を記念にとっておく、あるいは犠牲者の変わり果てた姿を写真に収める………
彼らはそうやって、殺人を「性的な思い出」とするのだ。

裁判:トラウマか、演技か
ショークロスはエリザベス・ギブソン殺害の件を除く10件の殺人で起訴された(エリザベスは隣のウェイン郡で殺されたため)。
裁判の前に弁護側は検察側の「殺人を認めれば死刑になる第一級殺人では起訴しない」という司法取引に応じた。
検察側のリーダーは、ここまで40回連続で有罪を勝ち取っている敏腕検事、「凄腕チャック」ことチャールズ・シラグサ検事が担当することになった。
10月24日から全米が注目する中ショークロスの裁判がはじまり、殺人を認めた弁護側は、ショークロスの精神異常を訴えた。
裁判が始まるとショークロスは弁護側が呼んだ女性精神医学者ドロシー・ルイス博士に退行催眠をかけられ、幼い日「赤いコンバーティブルの男」にレイプされた記憶、
母に性的にいたぶられた記憶を呼びさまされ、許しを乞うて啜り泣いた。
さらには13世紀にイギリスにいた食人鬼「『アリーメス』の霊に取り憑かれている」と言い、奇妙な声でまくしたてた。
これが演技だとすれば、文字通りショークロスは「迫真の演技」ということになるのだろうが………
残念ながらこの弁護団の「戦術」は失敗に終わり、経験豊富なシラグサ検事に徹底的に矛盾を突かれる事になった。
裁判の終わりの方ではシラグサ検事が矛盾を突く度に、法廷は傍聴席や記者団からもドッと笑いが沸き起こり、ウィスナー裁判長は度々静粛にするよう一括し、
シラグサ検事含め検察側にも「被告や弁護側証人を茶化すような物の言い方、態度を慎むように」警告した程だったという。
最終弁論でシラグサ検事はショークロスを指差し、陪審団に訴えた。

「陪審員の皆さん、冷酷で計算高く、まったく反省の態度を見せないこの男にどうか殺人犯の烙印を押してください。
彼の殺人はベトナム戦争のトラウマや精神異常からの情緒不安定の結果などではありません。
彼にとって殺人は彼自身が言っているように『いつもの仕事、日課』にすぎないのです」


退行催眠によるショークロスの奇態も、陪審団は「全て演技」というシラグサ検事の意見に全面的に同意した。
1990年12月13日、エドワーズ陪審員長は10件の殺人全てに第二級殺人罪で有罪の評決を下した。
年が明けて湾岸戦争では多国籍軍の砂漠の嵐作戦が始まろうとしていた1991年1月2日、判決前にウィスナー裁判長は、ショークロスを自分の前に立たせてこう尋ねた。

「ミスター・ショークロス。発言を許します。何か言いたい事があるのなら言いなさい。
この裁判に集まった人間は私も含めて皆、一体どうしてこんな事が起きたのか、理解したいと思っているのです」


一体彼は何と答えるのか。ショークロスの言葉を聞き逃すまいと、法廷内は水を打ったような静けさとなり、全員が耳を澄ませた。

「今は何も申し上げることはありません」

ショークロスは短く淡々と答え、25年の服役刑の10連続遂行、合計250年の終身刑を宣告するウィスナー裁判長を、無表情に見つめていた─── 
まるで他人事であるかのように無表情である。

FBIのプロファイラーをはじめ、犯罪学者たちは事件解決後も、プロファイルと犯人であるショークロスとの年齢差に首をひねるばかりだった。
しかし一部の専門家の説によれば、刑務所で過ごした15年間、彼の殺人衝動は「仮死状態」になっていたのだろう、ということである。
その眠りは1987年の釈放によって破られた。だから現実の年齢は40代であっても、殺人衝動そのものは26歳のままだったのではないか、と。
26歳だったショークロスは16歳以上年齢の離れたジャッキーとカレンを殺害した。そして40台となってから、16歳前後年齢の離れた売春婦たちを殺害したのだろう。

エリザベスの裁判のため法廷入りするショークロス
1991年5月8日、ショークロスは11人目の犠牲者エリザベス・ギブソン殺害の件でさらに25年の服役刑を宣告された。
ただ、前述の通りエリザベスの件は裁判担当地区が違ったため、先の10件の殺人とは別とされた結果、250年の終身刑と「同時スタート」という事になった。
「これで正義が成されたと言えるのか! ショークロスは娘を殺した罪で刑務所に入った事にならないじゃないか」
とエリザベスの父ブルーノ・スタニスキーは猛抗議したという。

ショークロスの家族は妻のローズマリーと娘以外は面会を一切拒絶し、接触を断ったという。
ニューヨーク州立刑務所のサリバン更生施設にて、250年の終身刑に服していたショークロスだったが、2008年11月10日の午後、激しい足の痛みを訴えた。
アルバニー大学医療センターに運ばれたが、21時50分に心不全で死亡。63歳だった。
ショークロスは刑務所から何100通もの手紙を母親に出したというが、返事が帰って来たことはついになかった。
彼は生前、服役中のインタビューでこんな発言をしている。

「1枚でいいんだ、家族全員で写ってる写真が欲しいな。
それさえあれば、自分が騒ぎを起こすことはもうないような気がするんだがなぁ」


参考文献
週刊マーダーケース・ブックNo.65 峡谷の殺人鬼 早すぎた仮釈放 (デアコスティーニ)
快楽殺人者の異常心理 (KKベストセラーズ)
参考サイト
+ M O N S T E R S +
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テーマ:衝撃 - ジャンル:サブカル

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