世界を驚かせた奇怪、猟奇的な殺人事件の数々、そしてその犯人。科学では解決できないミステリー現象。それらを紹介していくブログです。

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死体を陵辱し、解体する「ゴミ袋詰め殺人鬼」

本名パトリック・ウェイン・カーニー 通称パトリック・カーニー

「人を殺す事は究極のスリルと興奮だ。それは他人の生を支配出来る事の快感だ」(パトリック・カーニー)

1970年代、カリフォルニアには男性を殺害後、フリーウェイ(高速道路)の脇や近くに遺棄していた事からフリーウェイ・キラーと呼ばれる3人の同性愛連続殺人鬼がいた。
ランディ・クラフトウィリアム・ボーニン、そしてこのパトリック・カーニーである。
ゴミ袋詰め殺人鬼ことパトリック・カーニー
ただ、カーニーの場合は遺体をバラバラにして、黒いビニールのゴミ袋に詰めて遺棄してた。
このため、ゴミ袋詰め殺人鬼(トラッシュ・バッグ・キラー)と呼ばれる事も多い。

自首:保安官事務所に来た2人組
燦々と太陽が輝く1977年7月の午後、ロサンゼルス・リバーサイド郡の保安官事務所に、ヒゲを生やした大男と、同じくヒゲを生やしメガネをかけた小男の2人組が、
ずかずかと入ってきた。
そして壁の手配写真を指差しながら、小男は微笑みながら言った。「これは私達だ」信じられないという顔つきで見る保安官に向かい、小男は続けてこう言い放った。

「私がゴミ袋詰め殺人鬼(トラッシュ・バッグ・キラー)だ。自首をしにきた」

メガネをかけた眼光鋭い小男はパトリック・ウェイン・カーニー(37歳) 、大男はデヴィット・ダグラス・ヒル(34歳)と名乗った。
いずれも指名手配通りの名前、特長だった。
5月18日にジョン・ラメィという17歳の少年が遺体で発見され、ラメィ少年はカーニー、ヒルと一緒だったところを目撃されている事から、2人は指名手配され、
メキシコまで逃亡していたのだ。
保安官は2人組を留置すると共に、すぐに警察本部に応援を求めた。
カーニーとヒルの指名手配ポスター

話は4年前の1973年までにさかのぼる。
この頃は丁度ランディ・クラフトが暗躍をしていた時期だが、それとは別にバラバラにされ黒いゴミ袋に詰められた男性の遺体が、
LA郊外のフリーウェイの脇の草むらから発見された。
その後もゴミ袋に詰められたバラバラ死体は増え続け、その数はついに22体にまでなった。
被害者は例外なく10代の少年か20代の若者で、ほとんどが同性愛者だった。
捜査当局は必死になって正体不明の『ゴミ袋詰め殺人鬼』の行方を追っていたが、被害者と犯人を結びつける直接の関連がまったくない事、
そして手がかりがほとんど無い事から、捜査は行き詰っていた。
(ランディ・クラフトは捜査を混乱させるため、自分の被害者をバラバラにして黒いゴミ袋に詰めて遺棄しゴミ袋詰め殺人鬼の犯行に見せかける偽装もしている。
クラフトの狙い通り結果としてこれが両者の逮捕をさらに遅らせる原因にもなっている)

2人は捜査本部に連行され、本格的な尋問が始まった。
カーニーは独身で、大手航空機メーカーのエア・ヒューズ・クラフト社のコンピューターエンジニアとして、かなり高額な収入を得ている。
一方デヴィット・ヒルは高校を中退してから、定職についた事がない。
取調べに対しカーニーは、ヒルとの関係を次のように語った。
自分とデヴィットは共に同性愛者で、すでに15年も一緒に同棲している。自分が仕事に出かけたあとは、家事の一切はデヴィットが受け持っている。
2人の生活の全ては自分の収入が支えている。
さらに自首した理由も家族に説得されたのももちろんだが、「デヴィットまで疑われたのは耐えられなかったから」だという。
カーニーは「殺人は全て私1人でやった事であり、デヴィットは犯行には一切関わっていない」と強調した。

発端:運命のクリスマス休暇
カーニーとヒル

カーニーの自供によれば、最初の殺人は1968年のクリスマス休暇だという。
クリスマス休暇の時、カーニーはヒルと大喧嘩をしてしまった。その頃はいつも口論が絶えなかったそうである。
原因は2人の性格の違いだった。ヒルはにぎやかなパーティーを好み、大勢の仲間と一緒に大騒ぎするのが好きなタイプだ。
しかしカーニーは気の合う人間とだけ、静かにゆっくり過ごしたいタイプだった。

「せっかくのクリスマス休暇だというのに、デヴィットは怒って故郷のテキサスに帰ってしまった。
家で1人でポツンと過ごす休暇は寂しくて惨めだったので、私は町に出た。ゲイバーで飲んでいる時、1人の若い男と知り合った。
そいつの名はジョージ、としか知らない。私が家に誘うとジョージは喜んでついてきた。
家で飲んでいる間にジョージは酔いつぶれて寝てしまった。私はジョージを見ていると何故か怒りが込み上げてきた。
ジョージの後頭部にピストルを押し付け、そのまま撃ち殺した。奴の死体をバスルームまで引きずって行き、そこでバラバラにした。
生皮を剥いでから庭に埋めた」

(カーニーの自供通り庭から白骨化した死体が掘り出されたが、『ジョージ』の身元は不明のままである)

ジョージ殺害から数日後、ヒルは何事もなかったかのように帰ってきたので、カーニーとヒルの共同生活は再び始まった。
カーニーは最初の殺人後の不安をこのように述べている。

「ジョージを殺したあとの数ヶ月間は、ずっとビクビクしながら暮らしていた。
朝起きると『今日にでも家や職場に警察が令状を持って逮捕しにくるのでは?』という不安が真っ先に浮かび上がる。
こんなにも苦しむのなら2度と人殺しなんてしないと誓った」


しかし数年の月日が流れ、誰も捕まえにこないと分かり、ようやく安心出来たという。
カーニーの心から逮捕の不安が薄まるにつれ、今度はジョージを殺害した時の興奮が蘇ってくるようになる。
そしてカーニーは2度、3度と殺人を重ね、ゴミ袋詰め殺人鬼が誕生する事になる。
一旦連続殺人鬼への道を歩み出した者は、殺しの衝動を抑える事が出来ない。
連続殺人鬼は、逮捕されるまで慢性的に殺人を繰り返すしかなくなるのは、ここまで当ブログで紹介している殺人鬼たちを見ても明らかである。

過去:病弱だったイジメられっ子
カーニーは中流階級の3人兄弟の長男だった。
幼い頃から病気がちで体が小さい事からチビと馬鹿にされた。また女の子と一緒にいたら「変態」とからかわれた事もあるという。
自分をイジメる連中には喧嘩では勝てないので、夜中にベッドの上で仕返しをしたという。それは暗闇の中で空想に耽る事だった。
空想の中ではイジメっ子達を可能な限り残酷な方法で苦しめたり殺したりした。
ある時は生皮を剥いで殺す想像をした事もあるという。(後年カーニーはジョージの遺体を相手に生皮剥ぎを実行している)
カーニーは10代になってもやはり、自分の体が小さい劣等感に悩んでいた。他の少年達の体は皆自分より大きく、その事がとても悔しかったという。

1962年に、カーニーはあるゲイバーでデヴィット・ヒルと知り合った。
いつもカウボーイ・ハットをかぶっているヒルは陽気で明るいテキサス男で、大きな体でいつもゆったりと動いた。
細かい事は気にしない性格で、いつもジョークが好きでいつも大声で笑っていた。
カーニーは自分にないものを全てもっていたヒルに惹かれるようになる。

「店に入るときはいつも私が先だった。デヴィットの後ろでは私の姿が見えないからだ。
デヴィットと一緒にいると、私は自分の劣等感も忘れる事ができる」


そして2人は愛し合うようになり、1966年にカリフォルニア州に移った2人は、LA郊外に家を借りて一緒に済むようになる。
やがてカーニーはエア・ヒューズ・クラフト社に就職した。高い知能を持ち、仕事熱心だった彼はどんどん出世し、高給を得るようになる。
2人が暮らしに困る事はなかった。

殺人:本当の目的
冒頭に書いた通り、カーニーは殺人の動機について

「人を殺す事は究極のスリルと興奮だ。それは他人の生を支配出来る事の快感だ」

と供述している。
しかし、カーニーが本当に支配したかったのは、ヒルだったのではないだろうか?
陽気で社交的なヒルは、週末は繁華街に繰り出して騒ぎたかったに違いない。
反対にカーニーは、週末は家でヒルとゆっくりと2人きりで過ごすのを楽しみにしていた。
カーニーの期待に反して、ヒルは週末になると出かけてしまい、月曜日まで帰ってこない。
1人取り残されてしまったカーニーは、ヒルへの不満と怒りを募らせるが、ヒル相手に解消する事が出来なかった。

「金曜の夜になると、デヴィットは自分だけの楽しみを求めて、繁華街に繰り出してしまう。
私はそれが不満だったが、彼は月曜には必ず戻ってくるので我慢するしかなかった。私も1人でいるのは耐えられないので、LAの繁華街に出かけていく。
ゲイバーやバスハウス(同性愛者用のソープランド)にいけば、相手はいくらでも見つかる。『俺の家で飲まないか?』と誘えば、ほとんどはついてきた」


この頃はランディ・クラフトもフリーウェイ・キラーとしてあちこちのフリーウェイの脇に死体を遺棄していたが、その事についてもこう語っている。

「誰かを完全にコントロールしたかったから殺した。死んでしまえば完全に無抵抗だし、何をしようと思うがままだ。 
いつも被害者のこめかみに銃を押し付けて射殺した。私はサディストでないから被害者を拷問した事はない。
だから絞殺死体や拷問の痕がある死体に関しては私は無関係だ」


「殺人そのものに性的快感を感じる事はないが、死体にソドム(肛門性交)をするのが好きだ。
私のパターンは単純だ。若い男を家に誘い、家に入るとすぐに射殺する。その後死体にソドムし、射精する。
その後はバスルームで死体をバラバラにして、ゴミ袋に詰めて捨てにいく。
バラバラに出来なくても血抜きだけはしていた。死体の腐敗を遅らせて、腐臭が出るのを防ぐためだ」


カーニーが本当に殺したかったのは、実はヒルだったのではないだろうか?
しかしカーニーにはそれが出来ない。愛するヒルを失うなど、カーニーには耐えられないからだ。
殺したくても殺せない相手がいるので代理となる人間を殺していくのは、エド・ケンパーの記事でも書いたように、連続殺人鬼の多くに見られる心理である。
カーニーは多くのゴミ袋詰め殺人について自供した。

「いつもピストルで射殺した理由?刺殺では血まみれになるし、絞殺ほど手間がかからないからだ」

また、死体をバラバラにした事については───

「一度でも死体を持ち上げてみれば分かるが、想像以上に重たい。私のようなチビの小男にはそのまま運ぶなど無理だ。
バラバラにする以外に方法はない。死体を綺麗に洗ったのは、血まみれの死体に指紋がついている可能性があるからだ」


移送されるカーニー

カーニーが勤務していた会社で使用していたゴミ袋と、カーニーがバラバラ死体を詰めていたゴミ袋は同一のもであるのが判明した。
ある死体に付着していた陰毛は、カーニーのものであるのが確認された。
カーニーとヒルが住んでいた家からは大量のゲイ向きポルノ写真と雑誌、そして殺人に関する書籍が見つかった。
この他に手錠とゴム手袋、そして死体を解体するのに使用したと思われる電動ノコギリが押収された。
部屋のカーペットからは犠牲者の血液型と一致する血痕が検出されるなど、物的証拠も出揃った。

終焉:司法取引
逮捕のきっかけとなった最後の犠牲者の少年
カーニーは、最初の犠牲者とされるアルバート・リベラ(21歳)アルトゥーロ・マルケス(24歳)、そして指名手配のきっかけとなったジョン・ラメィ(17歳)の、
3件の殺人で起訴された。
1977年12月、カーニーは有罪となり、終身刑を宣告された。
翌1978年、カーニーは検察側との司法取引に応じ、18件の殺人を自供。その代わり死刑の求刑を逃れる事が出来た。
さらにこのあと11件の殺人を自供(但しこの11件は起訴される事はなかった)。合計32人の若者の命を奪った事になる。
デヴィット・ヒルは結局証拠不十分のため不起訴となり、釈放された。ヒルは故郷のテキサスに帰っていた。

1976年からフリーウェイ・キラーを追っていたジム・サイドボトム捜査官は、これで事件を解決した、と胸をなでおろした。
しかし、カーニーが刑務所に入ってから7週間後、フリーウェイ91号線の東行き入路で、スコット・マイケル・ヒューズ(18歳)の遺体が発見された。
サイドボトム捜査官は

「私の殺害方法はいつも射殺だ。サディストでないから被害者を拷問した事は一度もない。だから絞殺死体や拷問の痕がある死体に関しては私は無関係だ」

というカーニーの供述は嘘ではなく、カーニーとは別に活動しているフリーウェイ・キラーがいる事を思い知らされた。

参考文献
連続殺人紳士録 (中央アート出版社)
快楽殺人者の異常心理 (KKベストセラーズ)
参考サイト
殺人博物館
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テーマ:衝撃 - ジャンル:サブカル

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