世界を驚かせた奇怪、猟奇的な殺人事件の数々、そしてその犯人。科学では解決できないミステリー現象。それらを紹介していくブログです。

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人の命を弄ぶ氷の心のサイコ毒殺魔

本名グレアム・フレデリック・ヤング 通称グレアム・ヤング

「僕は、いえ、もっと正確にいえば、僕の一部は、彼らを人として見ることをやめてしまったんだと思います。彼らはモルモットになっていたんです」
(グレアム・ヤング、家族や会社の同僚に毒を盛ったことについて)

サイコ毒殺魔グレアム・ヤング
生まれながらの殺人鬼───そう評価すべき人間がいるとしたら、グレアム・ヤングこそがまさに当てはまるだろう。
彼が愛の対象、友人としたのは毒薬のみだった。その魅力に取り憑かれた彼にとって、周囲の人は毒薬実験のモルモットに過ぎなかった。
ヤングに近づいた者は誰であろうと、会社の同僚であろうと、家族であろうと、全て殺人ゲームの標的にされたのだった。

初犯:毒薬に魅せられて
13歳のクリス・ウィリアムズは、クラスメートのグレアム・ヤングと喧嘩をした1週間後、激しい嘔吐に襲われていた。
それはグレアムから貰ったサンドウィッチを食べた直後のことだった。
しかしウィリアムズだけでなく、ヤング家の面々もまた、ウィリアムズと同じような症状を訴えていた。
最初は後妻のモリーだった。やがて夫のフレッドと、長女のウィニフレッドも激しい嘔吐に襲われた。叔母のウィニーまでもがヤング家で紅茶を飲んだ後に嘔吐した。
誰もがグレアムの「化学実験」を原因と考えた。彼はよく実験にポットや鍋を実験に使っていたので、よく洗わなかったのだろうと考えたのだ。
フレッドはグレアムに家で化学実験をする事を禁じたが、モリーの症状は日増しに悪くなって行く一方だった。
まだ38歳だというのにすっかり老け込み、背中の痛みのために前屈みで歩くようになった。
体重も急激に減り始め、数ヶ月もするとすっかり老婆のようになってしまった。
1962年4月21日、復活祭の土曜日。モリーが目を覚ますと、いつも以上の痛みに加えて、首が硬直し、両手足に刺すような痛みを感じた。
昼食の時間にフレッドが帰宅すると、グレアムが台所でみじろぎもせずに窓越しに何かを眺めていた。
何を眺めているのか覗いてみると、裏庭の芝生でモリーが痙攣を起こし、悶え苦しんでいるではないか。
フレッドは慌ててモリーを病院へと運んだ。しかし、原因は判らず、その日の夕方にモリーは死亡した。
モリーの遺体は検視解剖されることなく火葬された。土葬でなく火葬すべきだと主張したのはグレアムだった。
今では火葬技術が進んでいるので、土葬よりも遥かに魂の安らぎが得られるというのがその理由だ。気が動転していたフレッドは、助言通り火葬を受け入れた。
後にグレアムが語ったところによれば、それまでモリーにアンチモンを投与していたのだが、次第に効かなくなってしまった。耐性ができていたのである。
そこで、新たにタリウムを夕食に混入したのだ。しかも12人分の致死量を。効果はてき面だったのだ。

有罪判決を受けた13歳のヤング
モリーの葬式から数日後、今度は父のフレッドが再び腹痛に見舞われ始めた。
それは月曜日の朝に始まり、週末が近づくにつれて治まった。そして、月曜日になるとまた発作が起こる。
後になって気づいたのだが、彼は日曜日の夜になるとグレアムとパブに出掛けていたのだ。あまりに痛みが酷いので入院したが、原因は判らなかった。
少し回復したので退院したが、すぐに具合が悪くなって再入院した。
さらに医師からの「砒素、もしくはアンチモンによる重金属中毒が原因」との診断に、完全に戸惑ってしまった。
グレアムが通うジョン・ケリー中学の理科の教師ジェフリー・ヒューズは、彼が毒薬に夢中になっている事に頭を痛めていた。
そして彼の母が原因不明の死亡、今度は父が入院。疑念を抱いたヒューズがグレアムの机を調べると、毒薬の瓶が数本出てきた。
さらにノートには苦しみながら死んで行く男の絵、毒薬と殺人を題材にした小説などが書かれてあった。ヒューズは慌てて校長にその旨を伝えた。
グレアム・ヤングの言動を以前から気にしていた校長は直ちに精神科医を呼んで、グレアムの検査を依頼した。
精神科医が進路志望の相談員を装った面談は5月20日に行われた。グレアムは毒薬に対する自分の知識と情熱、そして数々の実験の成果を語って聞かせた。
精神科医は感心し、君にはもう大学に行けるだけの知性があるよと褒めそやした。グレアムは得意げに帰宅したが、精神科医はすぐさま警察に通報した。
翌5月21日、ヤング家を訪問したエドワード・グラップ警部は、グレアムの部屋からアンチモン、タリウム等、ゆうに300人は殺せるだけの毒薬を押収した。
学校から戻るとハールスデン警察署に連行されたグレアムは容疑を一貫して否認していたが、面会に訪れた叔母ウィニーに説得され、翌朝になって全てを自供した。
精神鑑定によれば「道徳観念が著しく欠如している」。つまり、グレアムの行動原理は「科学者特有の超然とした客観性」だった。
彼がモルモットとして家族を選んだのは、実験を観察し、記録するのには身近にいる家族の方が都合がよかっただけなのだ。
しかし正式な鑑定以外でも、グレアムの異常性は突出していた。「アンチモンが恋しいよ」グレアムは精神科医に向かって続けてこう言った。

「あいつが僕に与えてくれたパワーがないと、僕も寂しいんだ」
 
1962年7月6日、英国中央刑事裁判で行われた裁判で、グレアムは父と姉、そして同級生のクリス・ウィリアムズに毒を盛った件で責任があると判断された。
(筆者注:継母のモリー殺害に関しては、火葬してしまっているので調べようがなく、責任は問われなかった)、
メルフォード・スティーブン判事は15年間釈放されないことを条件にブロードムーア精神病院への収監、釈放後の処遇はその時の内務大臣に委ねる、
との判決を言い渡した。

過去:毒殺魔の誕生 
グレアム・フレデリック・ヤングは1947年9月7日、ロンドン北部の街のニーズデンで生まれた。
母親のマーガレットは妊娠中に萎縮性胸膜炎を患い、グレアムの出産の3ヶ月後に結核で死亡した。
幼いグレアムは機械工をしていた父フレッド・ヤングの妹、ウィニーに預けられた。
グレアムはウィニーとその夫ジャックのジュビナット夫妻にすっかりなつき、夫妻の娘でいとこにあたるサンドラとも仲良くなった。
ジュビナット夫妻もぽっちゃりした顔の幼少期のグレアムを「プリンちゃん」と呼んで、大層可愛がった。
しかし3年後、父が前妻マーガレットよりも若いモリーと再婚すると、グレアムと祖母に預けられていた長女のウィニフレッドは、一つ屋根の下で暮らすようになった。
実の子でなくても、それ以上の愛情をもって接してくれたジュビナット家から引き離される事になったグレアムの悲しみは、想像に固くない。
プリンちゃん
グレアムは極めて聡明な少年だったが、何かにつけ不器用で、あまり友達を作れなかった。図書館で1人本を読むことを好んだ。
しかし、学校での成績は芳しくなかった。好きなこと以外にはまったく関心を持たなかったからである。
9歳になるころに、グレアムは化学、とりわけて薬品に興味を持つようになる。継母モリーのマニキュアの除光液にも異常なまでの興味を示し始めた。
それどころか、塩酸やエーテルまで持っていたこともある。グレアムは「薬局のゴミ箱から拾ったものだ」と言い張った。モリーと姉のウィニフレッドは彼を心配しはじめた。
11歳なったグレアムは私立中学に合格、フレッドは合格祝いに化学の実験セットを買い与えた。
グレアムはこの頃から異常性が増していった。読む本も化学関連ばかりでなく、犯罪、黒魔術、ナチズムと増えていった。ヒトラーに憧れ、その演説を真似したりもした。
尊敬する人物としてヒトラーの他に中世の毒殺魔ウィリアム・パーマーの名を挙げ「僕も彼のように有名になるんだ」などと公言して憚らなかった。

グレアムと継母モリーとの関係はあまり良好ではなかった。クラスメートにはモリーを「口うるさく、ケチな女」と触れ回っていた。
ある日、「化学実験」で服に穴を空けてしまったグレアムを、モリーは叱りとばした。
翌日グレアムは1枚の絵を居間に置いて登校した。それは墓石の絵で、碑銘には「憎むべきモリー・ヤング、ここに眠る」と記されていた。
また、父フレッドも前妻マーガレットの死をグレアムのせいにしていたふしがある。2人は実の親子とは思えないほどよそよそしかった。
そして、独学で化学を、犯罪を、ナチズムを学んだ。彼はたった1人で毒殺を学び、実行し、希望通りに「有名人」になったのである。
13歳になる頃には、E・M・エバンスの偽名で薬局でアンチモンを買い、それを小さな薬瓶に入れて肌身離さず持ち歩いていた。

収監:若すぎる収容患者
古めかしいヴィクトリア調の建物であるブロード・ムーア精神病院で、ヤングは3本の指に入る若い患者だった。
叔母のウィニーと姉のウィニフレッドは、治療のためには彼を見捨てないことが重要だと考え、定期的に面会に訪れた。
父のフレッドも息子への嫌悪感、怒りを押し殺して何度か訪れたが、親子の会話はまるでなく、間が持たないのでやめてしまった。
しかし、モリーの兄であるフランクは面会を続けた。グレアムはフランクが訪れるたびにマッチをせがんだ。
彼は云われるままに差し入れていたが、やがてマッチには燐が含まれていることを知り、差し入れをやめた。燐は毒にもなるのである。
グレアムが収容されて1ヶ月後の1962年8月6日、ジョン・ベリッジという患者が痙攣を起こし、数時間後に死亡した。
検視解剖の結果、死因は青酸カリによる中毒死であることが判明した。直ちに院内の調査が行われたが、青酸カリ及びそれを含んだものは何処からも見つからなかった。
結局、事件は迷宮入りになったのだが、事件直後「自分が犯人だ」と名乗り出た患者が数人いた。
この手の精神病院ではよくある事なので医師たちはまともに取り合わなかったが、その中の1人にヤングもいた。
彼は月桂樹の葉から青酸カリを抽出する方法を語って聞かせた。病院の周辺には月桂樹が繁茂していた。
ヤングの叔母ウィニーと姉のウィニフレッド
ヤングがブロード・ムーアで受けた具体的な治療は、鎮静剤を飲まされることだけだった。
それ以外はほとんどフリーで、彼は部屋の中をナチスの戦犯たちの写真で飾りたてた。紅茶や砂糖などを入れる缶には髑髏マークと毒薬名を書き入れた。
図書館への出入りも自由であり、読む本も制約されていなかった。彼は化学と毒薬の知識を益々広げて行った…。
ヤングの若さが医師たちを油断させたのだろう。彼らはグレアムが近いうちに社会復帰できると信じていた。
そこで、彼を調理場で働かせてみることにした。冒険だったが、自分たちが彼を信頼しているという態度を見せることが必要だと考えたのだ。
しかしその淡い期待は見事なまでに裏切られた。彼が入れたコーヒーが異常に黒ずんでいたのだ。検査の結果トイレ用洗剤が混入されていた。
看護婦たちはヤングをまったく信じていなかったので飲む者はいなかったが、それ以来、患者が面倒を起こすと、
「おとなしくしないと、あなたのコーヒーはグレアム・ヤングに入れさせますよ」と冗談を飛ばすようになった。
1965年の暮れにヤングは退院許可の嘆願書を提出する権利を取得した。しかし父のフレッドは「絶対に退院させるべきではない」と申し入れた。
嘆願を棄却された事に腹を立てたヤングは、ティーポットの中にひと袋分の浴槽用洗剤を混入した。
これがバレてヤングは「ブタ箱」と呼ばれる集中監視棟に移されることになった。
この経験によりヤングは「治療が効果を上げているように振舞わないと、いつまでも退院できない」と思い知った。
毒薬への興味を封印したように見せかけ、エド・ケンパーのように治癒している演技を始めた。
1970年には主治医は「完治」を内務省に報告した。歓喜したヤングは、すでに結婚していた姉ウィニフレッドに「吉報」を手紙で知らせている。
1971初頭、内務省は引き続き治療を受けることと、一定の場所に住むことを条件に、ヤングの退院を許可する決定を下した。
2月4日、ヤングは8年間を過ごしたブロード・ムーアを退院した。しかし退院前の数週間前に、看護婦の1人にこのような本音を明かしていた。

「退院したら、ここで過ごした年数と同じだけ人を殺してやる」

開放:解き放たれた怪物
ブロード・ムーアを退院したヤングは、その足でヘルム・メンプステッドにある姉の家へと向った。
弟が退院するのは手紙で知っていたが、今日がその日だとは知らされていなかったウィニフレッドは、玄関先に弟が立っているのを見て驚いた。
父のフレッドに至っては、退院することさえ知らされていなかった。彼はウィニフレッドからの手紙で、初めてあの忌々しい息子が退院したのを知ったのだ。
1ヶ月後、ブロード・ムーアの職員がフレッドの家を訪れて「ただいま息子さんの退院が審議されているところです」と告げた。
「息子はとっくに退院しておる!」フレッドはブロード・ムーアの「お役人仕事」的な無能ぶりと、わざわざ誤報を携えてきた職員に呆れ果てた。

しばらくウィニフレッドの家に居候することにしたヤングは、スラウにある職業訓練所へと通った。ここでトレバー・スパークスという青年と友達になった。
3日後、トレバーは激しい腹痛に襲われた。誰と関わったせいでこうなったかは言うまでもない。
4月、ヤングは高速度撮影機や光学機器を扱っているジョン・ハドランド社の求人広告を眼にした。この手の会社では化学薬品を扱っている。それに、姉の家の近くにある。
ヤングは早速応募した。履歴書の「特記事項」の欄には「当方、有機化学、無機化学、薬学及び毒物学を10年以上に渡って研究した経験があり…」と記した。
冒頭の顔写真を貼ったのだが、これは自動撮影機で撮ったもので、なかなか撮影されず、ムッとしたところが写真となった。こんな仏頂面となったのはその為である。
ヤングは4月23日、ハドランド社の面接試験を受けた。面接を担当した取締役のゴッドフリー・フォスターに対し、例によって化学、薬物に対する知識を披露した。
しかし、それよりもフォスターが気になったのは履歴書の「空白の9年間」だった。ヤングはこのように説明した。

「母が急死した後、神経衰弱になってしまい、精神科の治療を受けていました。しかし、今では完治しています」

フォスターは確認のために職業訓練所を通じて主治医アドウィン博士に診断書を届けるよう連絡した。
ヤングの社会復帰への機会を奪うべきではない、と考えたアドウィン博士はヤングの精神障害は完治していると報告し、前科については一言も触れなかった。

ヤングは5月10日からスーツにネクタイ姿で午前8時半に出勤、ハドランド社の倉庫係として働き始めた。同僚たちはみな気さくで、一風変わった新人を歓迎した。
特に倉庫管理部長のボブ・イーグルと、非常勤出荷担当のフレッド・ビッグスはヤングを可愛がった。ヤングもそれに応えるかのように、手巻きの煙草を2人にあげた。
そして、それまでは事務員のバートレット夫人の仕事であった紅茶をワゴンで配る係を買って出た。
6月3日、ボブ・イーグルが激しい腹痛に見舞われて、しばらく寝込むことになった。
6月8日、倉庫係のロン・ヒューイットが、ヤングが運んできたお茶を飲んだ直後に激しい腹痛に襲われた。
医師の診断は食中毒だったが、症状は一向に治まらなかった。出勤しては吐いて休み、出勤しては吐いて休みを3週間も繰り返した挙句に退社してしまった。
(しかし、ヒューイットは退社したおかげで命だけは取り留めることになる)
6月25日、イーグルは職場に復帰したが、翌日から指が痺れ、背中が痛みだし、遂には動けなくなってしまった。
直ちにウエストハーツ病院に運ばれたが、容態は悪くなるばかりだった。2度の心肺停止など苦しみ抜いた挙句、妻ドロシーに看取られながら7月7日に死亡した。
9月初頭に入って、今度はフレッド・ビッグスが腹痛に襲われ始めた。
9月20日、輸出入部長のピーター・バックが、ヤングと共に紅茶を飲んだ直後に激しい腹痛に襲われた。
10月8日、今度は事務員のデヴィッド・ティルソンが紅茶を飲んだ直後に具合が悪くなった。足に針で刺したような痛みを感じた。
重金属液体タリウム
10月15日、ヤングと一緒に残業していたジェスロ・バットに、ヤングがこんなことを話し掛けてきた。
「知っているかいジェス?誰かに毒を盛って、それを病気のように見せかけるのはとても簡単なことなんだよ」
休憩中に、ヤングがバットにコーヒーを入れた。バットは一口飲んで、妙に苦いと感じた。バットは残りを捨てた。それを見ていたヤングが尋ねた。
「どうしたんだいジェス?僕が毒でも入れたと思ったのかい?」
2人でその場では大笑いしたが、20分後にバットは具合が悪くなった。バットは後にこのように語っている。

「少し変わった奴だとは思っていたが、当時は一連の出来事を繋ぎ合わせて考えることが出来なかった。あの時、気づくべきだった」

バットの両足は激しい痛みに襲われ、次第に麻痺していった。
10月18日、遂にデヴィッド・ティルソンが入院した。この頃には頭髪が抜け始めていた。
10月19日、事務員のダイアナ・スマートが、ヤングとコーヒーを飲んだ直後に嘔吐した。手に刺すような痛みを感じ、やがて痙攣が襲った。
一方、バットの容態も悪化していた。彼もまた頭髪が抜け落ち、幻覚などにも苛まされ、あまりの苦痛に妻に「死にたい」と漏らす程だった。
11月6日、土曜出勤していたヤングは、4日に入院し、復帰したビッグスと休憩時間に紅茶を飲んだ。その直後、ビッグスの症状がぶり返した。
11日に再び入院、そしてロンドンの国立神経科病院に移されたがそして11月19日、皮膚がむけるなど苦しみ抜いて死亡した。
ヤングはダイアン・スマートに向かっていった。「何がいけなかったんだろう」

「フレッドが死んでしまうなんて。僕、あのおじさんが大好きだったのに」

逮捕:暴かれた証拠
社内はもはやパニック寸前だった。経営者のジョン・ハドランドは嘱託医のイアン・アンダーソン博士に調査を依頼した。
タリウムという重金属系の化学薬品が高屈折率レンズの製造過程で使用されることがあるが、ハドランド社ではタリウムは使用していなかった。
(筆者注:ヤングもそれを知っていたが、ハドランド社では使用されていないことを知り、わざわざ独自に入手したのである)
そこで、伝染性のウイルスが原因ではないかと考えた。その旨を社員を集めて説明し、平静を保つように求めた。ハドランドは、社員たちの質問を受け付けた。
すると「どうして重金属による汚染が可能性から排除されたのですか?」という質問が後方から上がった。質問の主はヤングだった。
「彼らの症状は重金属中毒の症状と合致しているじゃないですか」ヤングは得意げに患者たちの症状に対する質問し続けた。
ようやく集会が終わり、社員は皆自分の仕事場に戻った。
ヤングの重金属中毒や毒物の知識が気になったアンダーソン博士は、何気ないふりをしてヤングの持ち場である倉庫に向かった。
博士が先ほどのヤングの知識を褒めちぎると、ヤングはまたも有頂天となり、ここぞとばかり毒物に対する知識をひけらかした。
博士はハドランドにヤングの様子を報告した。最初はためらっていたハドランドだったが、ついに意を決して警察に通報。
通報を受けたヘメル・ヘンプステッド警察のジョン・カートパトリック刑事部長は、ハドランド社の社員が前科者リストに載っていないか、ロンドン警視庁に問い合わせた。
最初は「誰もリストには載っていない」という回答だったが、「グレアム・フレデリック・ヤングという男を、再度調べてくれませんか」と要請。
警察からの回答を受けたハドランドは、ヤングの恐るべき前科を知り仰天した。警察はすぐさまヤングが住んでいた下宿に直行。
部屋を捜索した警察は、様々な薬瓶や試験管の他に『学生と警察のためのケースブック』と題された一冊のルーズリーフを押収した。

10月21日
「Jを傷つけた僕の行為はとても恥ずかしく思う。彼は本当にいいやつだし、ハドランド社の中では最も友人に近いと思っている」


11月1日
「Fは今日、出社しなかった…」


11月3日
「Fは意識不明の重体だ。脳疾患が進み、皮膚もむけてくるだろう。彼は死んだ方がいいだろう」


11月3日
「Dの脱毛はほぼ頭部全体に及んだ。もし僕の犯行と見抜かれたら、僕は自殺しなければならない」


11月17日
「Fの治療が効果を上げている。何という粘り強い奴だ」


どうやら、ハドライド社の社員に毒を盛ったことの、いわば「毒殺日記」らしい。17日の記述の2日後、Fことフレッド・ビッグスは死亡している。
週末ヤングが父や叔母と過ごすことを聞いた警察はヤングの実家に直行。2人の警官がチャイムを鳴らした。
「警察です。グレアム・ヤングはここにいますか」警官の1人が尋ねた。フレッドは何も言わず、キッチンでサンドウィッチを作っていた息子を指差した。
広間にいた叔母ウィニーは、手錠をかけられたヤングに言った。「グレアム、あなた今度は何をやったの?」
彼は肩をすくめ「分からないよおばさん、この人たちがなんで僕にこんな事をするのか」と答えた。
しかしフレッドはヤングが連れ去られる際、警官の1人に「どっちの件なんですか?」と尋ねているのを聞いてしまった。
パトカーが去ったあと、フレッドは2階に駆け上がり、出生証明から名刺に至るまで、息子に関する書類全てを引き裂いてしまった。
連行されるヤング

11月23日、フレッド・ビッグス殺害が立件された。
それまでは全面的に犯行を否認していたヤングだったが、翌日、ロナルド・ハーヴェイ警視に全てを打ち明けた。
何故、家族や親切にしてくれる人たちにも平気で毒を盛ることができたのか。それについてヤングは以下のように語ったという。

「僕は、いえ、もっと正確にいえば、僕の一部は、彼らを人として見ることをやめてしまったんだと思います。
彼らはモルモットになっていたんです」


有罪判決を受けたヤング
1972年6月19日から始まった裁判では、ヤングは「食事と睡眠を確保するために警察の自白強要を受け入れた」として一転して全面無罪を主張。
毒殺日記に関しても「あれは会社で起きた変死事件をモデルに、自分で楽しむために書いた空想の小説に過ぎない」と開き直った。
ヤングの高慢な態度は公判中に頂点を極めた。メディアの関心を煽り、裁判を楽しんでいるのは明らかだった。
陪審団はヤングに即有罪を評決し、2件の殺人、2件の殺人未遂、2件の違法薬物投与で終身刑を宣告された。
退廷後、彼はウィニフレッドとウィニーに面会させてほしい、と頼んだ。そこでの言葉は、彼に残っていたほんのわずかの人間性だったのかもしれない。

「僕のことは全て忘れて下さい。色々と迷惑ばかりかけてごめんなさい」

1990年8月初旬、43歳の誕生日を2週間後に控えたグレアムは、誕生日を迎えることなくバークハースト刑務所で心臓発作で死亡した。
のちにウィニフレッドはグレアムの回想として、自著『OBESSIVE POISONER』(魅せられた毒殺者)の中で、このようなエピソードを披露している。

「1971年の冬、弟が逮捕される数週間前の事。グレアムは夜、突然私を訪ねてきた。
私が『コーヒーでも入れるわね』というと、グレアムは突然体を震わせて泣き出した。こんな弟を見るのは初めてだった。
私もどうしていいのか分からず、黙ってグレアムを見ているしかなかった。
立ったまましばらく泣いていたグレアムは、やがて意を決したように私に話しかけた。それは計り知れない程ショックな告白だった。

『僕は寂しい、どうしても他人とは仲良くできない、誰とも親しくなれない、孤独で寂しい』

私は懸命にグレアムを慰めようと努めた。『夜間大学に通ってみたらどうなの?』と勧めた。グレアムは首を振って悲しげに言った。『駄目なんだ!』
そのあとの弟の言葉は生涯忘れることはできない。

『誰にも助けることは出来ないんだ。僕の心の中に恐ろしく冷たく暗いものがあるからなんだ。
それはね、誰にも溶かすことは出来ないんだ』


しばらくして弟は帰っていった。私は何もしてやる事が出来なかった」


参考文献
週刊マーダーケース・ブックNo.73 毒薬への情熱 (デアコスティーニ)
快楽殺人者の異常心理 (KKベストセラーズ)
グレアム・ヤング 毒殺日記 (飛鳥新社)
参考サイト
+ M O N S T E R S +
殺人博物館

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テーマ:衝撃 - ジャンル:サブカル

コメント

他の方のサイトでも拝見した人物ですが 新しい切り口で書かれていて 愉しませて頂いています

  • 2013/04/23(火) 22:36:21 |
  • URL |
  • 二夜 #-
  • [ 編集 ]

更新お疲れ様です。
今回の殺人鬼は初見だったので楽しく拝見させてもらいました。
日本の毒を用いた犯人と比べると、グレアム・ヤングの異常性がより際立っていると思いました。

  • 2013/05/03(金) 12:09:38 |
  • URL |
  • スバル #E6kBkVdo
  • [ 編集 ]

>スバルさんへ
邦題「毒殺日記」なる映画があります。多少コケティッシュに描かれていて、他の殺人物に比べると見やすいかもしれません(血も出ませんしね)。

実は日本でも中学女子が親をタリウムで毒殺未遂ってのがありまして・・・リンク貼っておきます(しかしタリウムたんって)

  • 2013/05/14(火) 14:49:47 |
  • URL |
  • らぷたん #-
  • [ 編集 ]

Re: タイトルなし

>二夜さん
>他の方のサイトでも拝見した人物ですが 新しい切り口で書かれていて 愉しませて頂いています
はじめまして、管理人のとあるプロファイラーです。
これまでとは一風変わったサイコ殺人鬼であるグレアム・ヤングの記事ですが、
少しでも興味をもっていただければ幸いです。
気が向いた時に更新するマイペースブログなので、次回の更新も未定ですが、今後ともよろしくお願いします。

  • 2013/05/15(水) 19:51:44 |
  • URL |
  • とあるプロファイラー #-
  • [ 編集 ]

Re: タイトルなし

> 更新お疲れ様です。
> 今回の殺人鬼は初見だったので楽しく拝見させてもらいました。
> 日本の毒を用いた犯人と比べると、グレアム・ヤングの異常性がより際立っていると思いました。
日本でも、2005年10月に静岡の僕っ娘JKが実母をタリウムで毒殺しようとした事件があり、
しかもこの少女はグレアム・ヤングの大ファンだったそうで……
(らぷたんさんの貼ってくれたリンクに詳しくのっています)
サイコ殺人鬼は、我が国にも確実に出現していると思います。

  • 2013/05/15(水) 19:58:46 |
  • URL |
  • とあるプロファイラー #-
  • [ 編集 ]

発達障害だったんだろうね(´・ω・`)

  • 2013/06/24(月) 22:22:41 |
  • URL |
  • #-
  • [ 編集 ]

Re: タイトルなし

> 発達障害だったんだろうね(´・ω・`)
はじめまして、管理人のとあるプロファイラーです。
良心がすっぽりと抜け落ちたかのようなグレアム・ヤングですが、
他の殺人鬼同様、環境が大きく影響したと思います。
三つ子の魂百まで、とはよくいったものだと思います。

  • 2013/06/24(月) 22:51:35 |
  • URL |
  • とあるプロファイラー #-
  • [ 編集 ]

クズみたいな親ですね。
親から愛情もらえなかった子はなにかしら悪を潜めている気がします。
ある意味犯人も被害者ですね。

  • 2013/08/20(火) 08:00:53 |
  • URL |
  • 冥福 #-
  • [ 編集 ]

Re: タイトルなし

> クズみたいな親ですね。
> 親から愛情もらえなかった子はなにかしら悪を潜めている気がします。
> ある意味犯人も被害者ですね。
はじめまして、管理人のとあるプロファイラーです。
ジェラルド・スタノ、エド・ケンパーのように、親から愛情を受けなかったばかりに、
道を間違えた殺人鬼は多いと思います。
そういう因果関係も踏まえて、当ブログでは今後も連続殺人鬼を特集していこうかと思います。

  • 2013/09/29(日) 22:08:55 |
  • URL |
  • とあるプロファイラー #-
  • [ 編集 ]

これほど被害者がでなければわからないなんて方もまがぬけてるよ。

Re: タイトルなし

はじめまして、管理人のとあるプロファイラーです。

> これほど被害者がでなければわからないなんて方もまがぬけてるよ。
私はそうは思いません。
それくらい、ヤングのタリウムの入手方法が巧妙だったのですから。
この事件をきっかけに、英国の薬物販売法が改められたほどです。


  • 2013/12/09(月) 23:07:12 |
  • URL |
  • とあるプロファイラー #-
  • [ 編集 ]

英国の薬物販売法が改められたのですか……
そのためにグレアムが産まれてきたのでしょうかね。神様からの使命ですね。

  • 2013/12/24(火) 15:44:12 |
  • URL |
  • #-
  • [ 編集 ]

Re: タイトルなし

> 英国の薬物販売法が改められたのですか……
> そのためにグレアムが産まれてきたのでしょうかね。神様からの使命ですね。

はじめまして、管理人のとあるプロファイラーです。
わが国でも何かの事件をきっかけに規制があったり法改定があったりしますが、
英国でも重大事件をきっかけに法が改正されるのはよくニュースで聞きます。
次回は英国で死刑廃止の原因となった、ある事件を執筆しようかと思っています。
今後とも、当ブログをごひいきいただければ幸いです。

  • 2013/12/26(木) 10:38:18 |
  • URL |
  • とあるプロファイラー #-
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