世界を驚かせた奇怪、猟奇的な殺人事件の数々、そしてその犯人。科学では解決できないミステリー現象。それらを紹介していくブログです。

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キャンディ・マン 笛吹き男の少年狩り

本名ディーン・アーノルド・コール 通称ディーン・コール

「小屋の中に足を踏み入れようとした時、彼の顔色がまるで灰のように白くなっていきました。その時、この小屋には何かあると直感しました」
(捜査員の1人、ボート小屋を捜査しようとした時のウェイン・ヘンリーについて)

1970年秋から、テキサス州のヒューストンで次々と起きた少年の失踪事件。
警察は親たちの訴えにも「家出でしょう」と真剣に捜査せず、これが犯人ディーン・コールの大量殺人を助長する原因となった。
キャンディ・マンことディーン・コール
お菓子で少年たちを誘っては殺害していた事から、犯罪史ではキャンディ・マン(お菓子男)として知られるコール。
善良な市民の仮面を被っていた彼は、どのように27人以上の少年を犠牲にしたのだろうか?

発端:善良な青年の知られざる素顔
1973年8月8日午前8時24分、朝から凄まじい暑さとなっていたテキサス州ヒューストンのパサデナ警察に、若い男からの通報があった。
冷房の効いた署内の中に入ってホッとしていた電話交換主任のベルマ・ラインズが急いで電話を取ると、その声は少年のようで、テキサス訛りがあるところから、
地元の人間と見て間違いなかった。

「すぐに来てくれませんか。たった今、人を殺しました。住所はラマー・ドライブの2020番地です」

ラインズ主任はただちにラマー・ドライブ2020番地に急行するように指示。2台のパトロール・カーが現場の木造平家建ての民家に到着した。
コールの一軒家。
玄関前のポーチに、2人の少年と1人の少女が腰を下ろしていた。少女の服はボロボロで、3人とも先ほどまで泣いていたらしく、目が真っ赤だった。
3人はそれぞれエルマー・ウェイン・ヘンリー・ジュニア(17歳)、ティモシー・カーリー(16歳)、ロンダ・ウィリアムズ(15歳)と名乗った。
通報したのはニキビ面が特徴的なウェインで、彼の案内で家に入ると、全裸の男が壁にうつぶせで倒れていた。
34歳になる家主のディーン・アーノルド・コールで、ウェインによると、撃ったのは自分で、自分とディーンは以前から知り合いだ、という。
家具の調達具合からして、コールという男がこの一軒家に引っ越してきたのは、つい最近のようだった。
3人は事情聴取のためパサデナ警察に連行され、ウェインは供述を始めた。

その晩、ウェインとティモシーはコールに「ペイント・パーティーをしよう」と呼ばれていた。
トルエンの入ったアクリル塗料のスプレーを紙袋の中に噴きつけ、その揮発成分を吸引する、早い話が我が国でいう「アンパン」である。
午前3時頃、家出したばかりで行く所のないロンダを連れて行くと、コールは怒って怒鳴り散らした。

「何で女なんか連れて来たんだよ! お前らのせいで何もかもぶち壊しだ!」

しかし、その後コールは機嫌を直し、4人でペイント・パーティーを始めた。そして1時間後、全員が意識を失った。
やがてウェインが意識を取り戻すと、手錠をかけられて、足首を縛られていた。ティモシーとロンダも縛られていた。
コールはウェインの腹部に22口径のリボルバー式拳銃を押しつけながら囁いた。

「お前たちを殺してやる。だが、その前にたっぷりと楽しませてもらうぞ」
 
さっきは機嫌を直したふりをしただけで、コールはずっと怒ったままだというのだ。コールは悲鳴や叫び声が外に聞こえないように、ラジオのボリュームを最大に上げた。
ウェインはなんとかコールの怒りをなだめようとした。必死に命乞いをし、許してくれたら他の2人を殺すのを手伝うと申し出た。
最初は拒否していたコールもやがて了承し、ウェインの手錠を外し「お前はロンダを犯せ」と命じた。
ウェインがロンダに馬乗りになると、コールもティモシーを犯しにかかった。ティモシーは必死に抵抗した。
ウェインは「ロンダを別の部屋に連れて行っていいかな。彼女はこんな行為は見たくないといっている」とコールに尋ねたが、ラジオの音声にかき消され、
行為に夢中だったコールの耳には届いていないようだった。
コールが拳銃を手放し床に置くと、ウェインは素早くそれを拾い上げ、銃口をコールに向けた。
「やめろディーン、やめるんだ!」ウェインはラジオの音声に負けない大声を上げてコールを威嚇したが、しかしコールは怯える事なくウェインを挑発した。
「ほう。殺れるもんなら殺ってみな、ウェイン。ほらどうした? 殺ってみろよ!」ウェインは無我夢中で引き金を引いた。
コールはうつぶせに床に崩れ落ちた。更に倒れた背中に向けて、ウェインは残りの弾丸を全て撃ち込んだ。
6発全てを撃ち尽くしたところで、鍵を見つけ出し、2人の手錠を外して通報したという。

けたたましいサイレンを鳴らしながらコールの家に次々に到着するパトカーに、近隣住民たちは大騒ぎになった。
「犯罪などとは無縁の善良な好青年」というのが、近所の住民たちのコールに対するイメージだったからだ。
コールの家を捜索した警察は2枚の合板を張り合わせ、四隅に手錠とビニール紐で四肢を固定出来る「拷問台」と、その傍らには鞘に収められた狩猟用ナイフ、
そして、40cm以上もある張り形を発見した。
コールの「拷問台」
この家で「サディスティックな異常性行為」が常習的に行われていたのは明らかだった。
「拷問台」の用途について追求されたウェインは、コールは同性愛者でが幼い少年を好んだ事、コールに少年を紹介する度に金をもらっていた事を告白した。
何故コールを殺す気になったのか、と質問されたウェインは、「ディーンが『人を殺すのは初めてじゃない』と言ったからです」と答えた。
「ディーンは『これまでに何人もの少年を殺して、ボート小屋に埋めた』と言っていました」ウェインの供述をとっていた捜査員2人は、顔を見合わせた。
「コールが3人を殺すと言ったのはただの脅しでは?」程度に思っていた。ところが、これは遥かに恐ろしい事件である可能性が出てきた。
捜査員たちはまだ半信半疑だった。ひょっとして昨日のアクリル塗料のせいで、ウェインの頭はまだ「ラリったまま」なのではないか、と。
とはいえ、一応供述内容の裏づけを取る必要はある。捜査員は質問をした。「君はそのボート小屋に行く道は分かるか?」
「1度しか行った事はありませんが、分かると思います。ハイアラム・クラーク・ロードの近くです」「よし、行ってみよう」
しかし捜査員たちは、これが当時の米国犯罪史上最悪の猟奇的連続殺人事件の幕開けになるとは、思いもしなかった。

過去:邪悪なパートナーとの出会い
1939年のクリスマス・イヴにディーン・アーノルド・コールはインディアナ州ウェインズデイルで、アーノルド・コール妻メアリーの長男として生まれた。
「子供に興味はない」と公言していたアーノルドはメアリーとは性格が合わず、2人はディーンが6歳の時に離婚した。
以後は弟のスタンリーと共に、母メアリーに溺愛されて育った。
1950年には心臓に先天的な疾患がある事が判明し、以後学校での体育の授業に出るのは控えるように医師が指示されている。
1964年、ディーンは軍隊に徴兵された。彼が「自分は同性愛者だ」と自覚したのはこの時である。
彼は「母の経営する菓子製造会社が人手不足で、手伝いたい」と早期除隊希望を申請し認められ、わずか11ヶ月半で名誉除隊となった。
除隊後はメアリーがテキサス州ヒューストンで経営する菓子製造工場を手伝っていた。
ディーンは工場で余った菓子を近所の子供たちにタダで配って歩いたので「キャンディ・マン」(お菓子男)の愛称で親しまれた。
特にザ・ハイツと呼ばれる貧民街では、お菓子をねだる子供たちがディーンの後ろを大勢ついて回るその様から、童話「ハーメルンの笛吹き男」にならい、
「ザ・ハイツの笛吹き男」とも呼ばれた。
母の菓子工場を手伝っていた頃のコール

のちにディーンの共犯者となる、当時12歳だったデヴィッド・オーウェン・ブルックスも、ディーンに菓子をもらっていた1人だった。
工場内でディーンを「誘惑した」アルバイトの少年を、「ディーンを守るため」と称してメアリーはクビにした。
が、アルバイトの少年にはディーンの性癖に気づいている者もいて、「ディーンとは絶対に2人きりにならないようにしている」と断言する少年もいた。
ディーンはデヴィッドにフェラチオを教えた。してくれるたびに5ドルを与えた。
しかし、両親が離婚したデヴィットは母についたため、ポーモンドに引っ越す事になり、2人はしばらく疎遠となる。

メアリーは1968年に菓子工場をたたみ、そしてヒューストンに1人残りフリーとなったディーンは電気工に転職した。
電気工になっても、ディーンは真面目に仕事に打ち込み、たちまち会社や同僚から信頼されるようになる。
父には疎ましがられ、母には溺愛され、心臓に欠陥があり少年時代は同年代と同じ行動が出来ず、仕事は優秀で同僚たちから信頼され、そして同性愛者である事を自覚し、
尚且つ女性との普通の結婚を夢見ていた、犯罪史に残る殺人数を記録する同性愛連続殺人鬼───
ディーンの死から5年後に、米国での最多殺人数を更新するジョン・ゲイシーとディーンには、多くの共通点がある。(ゲイシーは実際に女性と2度結婚している)

1970年、ディーンは15歳になったデヴィットと再会する。今度は父親と暮らす事になったデヴィットは、ヒューストンに戻ってきたのだ。
父親とギグシャグした関係の続くデヴィットは、次第にディーンのアパートで過ごす時間が多くなっていく。
両親が離婚して、当時思春期だったデヴィットが一番飢えていたもの───愛情をコールは与える事によって、デヴィットはますますコールに心酔していった。
「ディーンは本当にいい兄貴分だった………頭も切れるし、気前も良かった」デヴィットがコールを評して言った言葉である。
働き者で、子供たちにも親切なディーンを、近所は誰もが善良な好青年、だと思っていた。

惨劇:床一面を埋め尽くす死体
その日の午後、ウェインはパサデマ警察の捜査官はまずヒューストン市警察に立ち寄り、13日前に行方不明になっている2人の少年の写真をチェックした。
ウェインはその2人がチャールズ・コブル(17歳)とマーティ・ジョーンズである事を確認した。2人ともウェインがコールに「紹介した」少年である。
ヒューストン南西部ハイアラム・クラーク・ロードのボート小屋に到着した捜査陣一行は、11号の小屋の賃借人が死んだ事を大家のメイム・メイニア夫人に説明。
コールが独自にかけた南京錠を破壊する許可を得た。
小屋の中はサウナ風呂のような暑さだった。小屋の中には案の定、ボートは一隻も置いてなく、半分解体した車、そして子供用の自転車などがあった。
土が剥き出しの床には、細長いカーペットを2枚を敷いてあった。何より捜査員の不安を駆り立てたのは、2袋の生石灰だった。
小屋の隅の大きなビニール袋には、男物の衣服がたくさん詰め込まれていた。
入り口にいたウェインはやがて、パトカーを停めてある場所まで戻ると地面に座り込み、両膝を手を抱え込む、いわゆる体育座りをしたまま、完全に黙り込んでしまった。
小屋の中の物を外に運び出した捜査員たちは、車と自転車の登録番号の照合をし、車は中古車販売店から盗まれたもの、自転車は数日前から行方不明となっていた、
ジェームス・ドレイマラという13歳の少年のものであるのを確認した。
小屋の隅の一角が盛り上がっているのを発見したマリカン捜査官は、刑務所からボランティアで来た2人の模範囚人に、そこを掘るように命じた。
15cmほど掘ると、土に白い粉が混じってきた。「生石灰だ、いいぞ、もっと掘れ」さらに掘り下げると凄まじい異臭が漂った。
囚人がゆっくりと土を掘ると、出てきたのは人の顔だった。彼は悲鳴を上げてスコップを放り出すと小屋の外に飛び出し、激しく嘔吐した。
その囚人だけでなく、小屋にいた全員が凄まじい吐き気に襲われたが、1人の捜査員が勇気を振るい、放り投げられたスコップを持ち、作業を続けた。
数分後、捜査員たちはついに透明なビニールに包まれた少年の遺体を掘り出した。年齢は12か13歳くらい、全裸で、殺されてから数日しか経っていないようだ。
ビニールに包まれた少年の遺体は、まさに巨大で邪悪なキャンディのように見えた。
捜査員の1人がすぐにパトカーの無線機に飛んでいき、警察本部に鑑識班の派遣を要請した。

ボート小屋の発掘状態
やがて小屋の周りに、野次馬と報道陣が次第に集まり始めた。ウェインは取材に来ていたラジオ局に頼んで、自動車電話を貸してもらい、母に電話をした。
「ママ、俺ディーンを殺してしまったんだ」「ウソでしょウェイン、あなたがそんな!?」ヘンリー夫人の叫びは、ラジオ局のレポーターにもはっきり聞こえた。
ヘンリー夫人は自分もボート小屋に行きたいと希望したが、これは警察には認められなかった。
2人目の遺体が発見され、さらに2体の少年が遺体が掘り出された。
電話をし終えたウェインは、明らかに動揺していた。「全て、俺のせいだ…」「どうしてだい?」捜査員の1人が尋ねると、ウェインはこう答えた。
「あの子たちをディーンのところに連れて行ったのは、俺なんです…」22時、ウェインは警察本部に呼び戻された。
掘っても掘っても少年の死体が出てくる状況に、捜査官、そして作業員たちは戦慄した。
あるTV局は「床一面に死体が埋まっています」と表現した。最終的に8体の遺体が掘り出され、その日の作業は打ち切られた
捜査員は大家のメイニア夫人に「コールがこのボート小屋をレンタルしたのはいつからです?」と質問すると夫人は「70年の11月からです」と答えた。
夫人から顔を顔を背けた捜査員は「何てこった……」と呟いた。70年以降、ヒューストンで行方不明になっている若者は42名に及んでいるのだ。
その死から16時間も経っていないのに、コールは最悪の連続殺人鬼として、世界中にその名前を知られる事になった。

翌朝、母親と面会したウェインは、取調室でマリカン捜査官と向かい合っていた。
「君がコールのところに連れて行った少年たちについて話してくれないか」と捜査官は切り出した。
ウェインによると、彼がコールと知り合ったのは2年前で、「誰でもいいから少年を自分の家に連れてきたら、1人につき200ドル払う」と持ちかけられた。
しかし、金に困っていなかったウェインは1年は何もしなかったが、その後どうしても金が必要になり、コールの申し出に乗る事にした。
「最初の少年の時ですら全額払ってくれず、その後はパッタリと払ってくれなくなった」そうだが、マリカン捜査官はウェインの話を真に受けなかった。

「だったら、その後も君はコールに少年たちを紹介し続けたのは何故かね。
そもそも、君は最初に『少年を紹介して金をもらった』と言ってるじゃないか。行方不明者には君の友人や幼馴染もたくさんいる。
『俺はホモの性犯罪者に友人たちを200ドルで売った最低の男』という事実を認めたくないから、
金はもらってないなんて言い出し始めたんだろう?」


マリカン捜査官に追求されたウェインは、どんどん供述の辻褄が合わなくなっていき、そして重大な事実を認めた。
「ディーンが少年を殺した時、何件かは自分もその現場にいた」というのだ。これは警察が想像していた事件の状況を180度変えるものだった。
当初はウェインは半分無理やりにコールの「少年狩り」を手伝わされていた、という構図だった。
ところがこの供述により、どうやらウェインは積極的な殺人の共犯者だったのではないか、考えられるようになった。
ボート小屋から出てきた少年の遺体は、最終的に17体に及んだ。1体のかたわらには、切り取られた性器をつめたビニール袋も発見された。
ウェインによると、コールは被害者の少年がまだ生きている内に去勢する事もあったらしい。
コールの犠牲者

犠牲:「笛吹き男」の少年狩り
ヒューストン市警察からマリカン捜査官に電話が入り、ブルックスという男性が、息子のデヴィット・ブルックスを連れて出頭しており、そのデヴィットが、
「ディーン・コールについて話したい事があります」と申し出ているという。
さらにデヴィットは「事件の何件かはウェイン・ヘンリーが関与しています」と供述している、というのだ。
その話をマリカン捜査官から聞いたウェインは動揺するどころか、むしろホッとした様子で「良かった、これで何もかも打ち明けられます」といった。
マリカン捜査官はボート小屋以外にコールが遺体を埋めた場所を知らないか、と尋ねると、ウェインは「あります」と即答した。
サム・レイバーン湖のほとりと、ハイアイランド・ビーチにも、死体をたくさん埋めた、という。

サム・レイバーン湖からも次々に発見される遺体
デヴィットは「殺人に関わったのはウェインのみ、僕はディーンとは2年前に喧嘩別れになってそれっきり連絡もとっていません」という主張をかたくなに続けていた。
そこでマリカン捜査官は、デヴィットが拘置されているヒューストン市警察にウェインを連れて行くことにした。
デヴィットにショックを与えたら、洗いざらい白状するのでは、と思ったからだ。
ウェインは1歳年上のかつての友人を睨んでいった。「俺は全て白状したぞ。デヴィット、お前もそうした方がいい」
「一体何の事だいウェイン? 俺にはお前の言っている事が分からないな」デヴィットは探りを入れるかのごとく用心深く返答したが、しかしウェインはさらにデヴィットを脅した。
「いいや、お前は分かっているはずさ。あくまでとぼけるつもりなら『実は今までの自供は全て嘘で、関与しているのはデヴィットのみです』と言ってやるぞ」
するとデヴィットはマリカン捜査官の期待通り、見る見る顔色を変え泣き出してしまった。
一方ウェインは腹をくくったのか観念したのが、実によくしゃべった。そして合計で9件の殺人に関与し、内2人は自分が殺したのを認めた。

コールが初めて殺人を犯したのは、デヴィットと再会したそのすぐ後と思われる。
1970年9月25日、テキサス大学の学生である21歳のジェフリー・アラン・コーネンが、ヒッチハイクをして行方不明になった。
3年後、彼の遺体はハイアイランド・ビーチで発掘される事になる。鑑識医も死因を特定出来ないくらい遺体は腐敗しきっていたが、手足はロープで縛られていた。
また、ある日コールの部屋に無断で入ったデヴィッドは、2人の少年が裸で、例の「拷問台」に縛りつけられているのを目撃した。
コールは「何勝手に入ってきてるんだ、出て行け!」と激怒し、デヴィッドを追い払った。
後にコールはデヴィットに「あの2人は殺した」と打ち明け、そして口止め料としてグリーンのシボレー・コルベットを買い与えた。

コルベットをもらったデヴィッドは今や、立派なコールの共犯者だった。コールと共にコルベットで街を流し、気に入った少年を見つけると誘い込む。
デヴィッドがウェインをコールに紹介した頃には、殺人は慢性的になっていた。そもそもウェインは、1971年にデヴィットがコールに「獲物」として紹介したのだ。
しかしコールはすぐに、ウェインがいい手下になるだろうと考えた。ウェインには友達が多かったし、金のためにはなんでもしそうに見えたからだ。
ウェインが手下になってからも、犠牲者を見つける方法は変わらなかった。コールとウェインがワンボックスワゴンで街を流し、気に入った少年がいると声をかける。
声をかけられた少年は、ワゴンに自分と同じくらいの少年が乗っているのでまったく不審に思わず、コールのワゴンに乗り込んでいく。
あるいは、コールの近所に住む、いわゆるコールとは顔見知りの少年も多数犠牲になった。上記のジェームズ・ドレイマラを誘ったのも、その手口だった。
食料品店の側にワゴンを停車し、そこにジェームズ少年が通りかかると、コールが声をかけた。
「よう、ジミー。ガレージに山ほどコークの空き瓶があるんだ。なんだったら取りに来ないか? 店に持って行けば、空き瓶代が稼げるぜ」
ワゴンの後ろに自転車を積んで車に乗ったジェームズ少年は、ラマー・ドライブのコールの家に行き、強姦され、拷問され、そして絞殺された。
行方不明の少年がコールと知り合いだった親にとって、もはや息子の生存は絶望的だった。
親たちは「どうしてコールを善良な青年だと思っていたのか」としきりに悔やんだ。

捜査に協力しているウェイン(左)とデヴィット
サム・レイバーン湖のほとりからは、計6体の遺体が発見された。衝撃的な事件にサム・レイバーン湖には世界各国から取材記者が訪れた。
ウェインは「ハイアイランド・ビーチには8人の遺体が埋まっている筈だ」と証言した。しかし見つかった遺体は4体のみで、残る4体はついに発見されなかった。
ハイアイランド・ビーチで発掘作業の協力の最中に記者たちから「どのような拷問が行われたのか?」と質問されたデヴィットだったが、
「あれはアンタたちの言う拷問ではなかったと思います」と答えたきり、口をつぐんでしまった。
ここまでで合計27人の犠牲者が確認され、世界がキャンディ・マンに驚愕した。

裁判:終結のない悪夢
冒頭で、コールがウェインを怒ったのは、ロンダが女性だったから、が大きな理由ではない。
コールは、婚約者が行方不明になり悲観していたロンダが、ウェインと結婚したがっているのは知っていたし、近い内に母が住むコロラド州に引っ越そうと考えていたが、
その際にウェインとロンダも一緒に連れて行ってやろう、と考えていたそうである。
(筆者注:ちなみにロンダの婚約者だったフランク・アーギーアレイは、皮肉な事にコールの27人の犠牲者の内の1人である)
コールが、ウェインがロンダを連れてきて怒ったのは、ティモシーを殺せなくなったからである。そう、ウェインはティモシーを獲物としてコールの家に連れてきたのだ。
ティモシーは事情聴取で「警察を待っている間、ウェインが僕に『お前が俺の友達じゃなかったら、1,500ドル儲かったのにな』と呟きました」と証言している。
警察は何人かの他の少年からも事情聴取をし、ウェインとデヴィットは第一級殺人罪で起訴される事になった。
裁判に出頭するウェイン

新たな事実が発見される度に、世界中からガルベストン捜査当局に対する批判が相次いだ。
確かに、行方不明になった少年たちの捜索願を「単なる家出でしょう」と捜索に全く尽力していなかったのだから、無理もない。
これ以上の失態と無能ぶりを晒す訳にはいかないガルベストン当局は、事件の終結を急いだ。
「ハイアイランド・ビーチの残り4体の遺体を捜索したい」というヒューストン市警察の要請をあっさり却下し、コールの犠牲者の発掘は27人で打ち切られた。
菓子工場時代に、工場内の個室や工場裏でコールが穴を掘っていたのを、当時パートで働いていたルビー・ジェンキンス夫人が目撃している。
もしこれが遺体を埋める穴だったとすれば、コールの最初の犯行は1970年前に遡ることになる。
ところが捜査当局は、ジェンキンス夫人の指摘した場所をほんの少し掘っただけで「奥さん、これは古いセメントですよ。ここに死体が埋められている訳ありません」と、
捜査をすぐに打ち切ってしまっている。
警察のまとめによると、コールの連続殺人には約半年の謎の空白がある。
1972年の最後の犠牲者っぽいマーク・スコットの殺害が12月下旬、そして1973年の最初の犠牲者とされるビリー・ローレンスが姿を消したのは6月11日だ。
コールの殺人への欲求を考えると、これはかなり不自然である。あと6人か7人は殺されている、と見ていいだろう。
こう考えると、コールの犠牲者は27名には留まらず、最大で35人にまで達している、と考えた方が自然なように思える。

予審を経て1974年6月から始まった裁判は翌7月まで続いた。弁護団は精神異常を主張したが認められず、ウェインとデヴィッドは陪審団に有罪の評決を下された。
ウェインは起訴された9件の内、6件について殺人(マーク・スコット殺害)、殺人幇助などで99年の終身刑の6連続遂行、合計594年の禁固刑を宣告された。
デヴィットは1件の殺人(ビリー・ローレンス殺害)で有罪となり、99年の終身刑1回が言い渡された。

5年間を刑務所で過ごしても、まだ23歳のウェイン
1979年5月、23歳になったウェインは、有罪判決と重過ぎる刑罰を不服とし、再審請求をしたが訴えは実らず、再び有罪判決を受けただけだった。
1980年、ウェインとデヴィットには仮釈放権が発生し、以後2人は3年毎に仮釈放の申請をしているが───申請の度に却下されている。

参考文献
週刊マーダーケース・ブックNo.64 キャンディ・マンの少年狩り 仮面の下の連続殺人鬼 (デアコスティーニ)
世界殺人者名鑑 (タイムライフ)
参考サイト
+ M O N S T E R S +
殺人博物館

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コメント

楽しみに待ってました
なんとも言いがたい事件ですね

  • 2014/06/18(水) 18:35:25 |
  • URL |
  • #-
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更新待ってました、お疲れ様です。
おそらく遺体だろうと感じていたにもかかわらず、勇気を出して堀続けた一人の捜査官に敬意を表します。

  • 2014/06/19(木) 15:26:56 |
  • URL |
  • スバル #hlEkuusM
  • [ 編集 ]

Re: タイトルなし

> 楽しみに待ってました
> なんとも言いがたい事件ですね
中々時間がとれずに申し訳ありませんでした。
今回はジョン・ゲイシーの前にアメリカの最多殺人記録をもっていた「キャンディ・マン」こと、
ディーン・コールを取り上げてみました。

  • 2014/06/19(木) 16:04:16 |
  • URL |
  • とあるプロファイラー #-
  • [ 編集 ]

Re: タイトルなし

> 更新待ってました、お疲れ様です。
> おそらく遺体だろうと感じていたにもかかわらず、勇気を出して堀続けた一人の捜査官に敬意を表します。
凄まじい悪臭から、もう100%少年の遺体だというのは捜査員も感じたと思います。
当時の犯罪史上最悪の連続殺人事件を担当した捜査員たちの心中は察するに余りあります。

  • 2014/06/19(木) 16:07:28 |
  • URL |
  • とあるプロファイラー #-
  • [ 編集 ]

はじめまして。
最近こちらのブログを見つけてから、毎日のように読ませてもらっています。
この手の話が大好きで今まで色々見てきましたが、まだ知らなかったものがあって嬉しくなりました。
でも毎日来ていたら、すぐ読み終わってしまう…でも読みたい(笑)

個人的には、幼少期の家庭環境や両親との間におこったエピソードをもう少し掘り下げて欲しいです。
こういった犯罪を犯してしまう人達は、ほとんどが非常に愛情不足で虐待被害者ですが、罪のない人達を殺してしまう前に、自分をこんなふうにした張本人を抹殺してしまえば済むのではないか、と初めからそう考えることは出来ないんでしょうかね。
例えば、虐待した父親だったり母親を。
どんなに憎んでいても何処かでやっぱり愛情を捨てきれないんでしょうかね。

忙しい中でのアップとは思いますが、次も楽しみにしています。

  • 2014/06/20(金) 22:40:34 |
  • URL |
  • はっち #vc27OTVA
  • [ 編集 ]

Re: タイトルなし

> はじめまして。
> 最近こちらのブログを見つけてから、毎日のように読ませてもらっています。
> この手の話が大好きで今まで色々見てきましたが、まだ知らなかったものがあって嬉しくなりました。
> でも毎日来ていたら、すぐ読み終わってしまう…でも読みたい(笑)
はじめまして、管理人のとあるプロファイラーです。
アメリカではメジャーな凶悪連続殺人鬼も日本ではあまり取り上げられない事が多いので、ならば自分で書こう、
と思ったのがこのブログを始めたきっかけでした。

> こういった犯罪を犯してしまう人達は、ほとんどが非常に愛情不足で虐待被害者ですが、罪のない人達を殺してしまう前に、自分をこんなふうにした張本人を抹殺してしまえば済むのではないか、と初めからそう考えることは出来ないんでしょうかね。
> 例えば、虐待した父親だったり母親を。
> どんなに憎んでいても何処かでやっぱり愛情を捨てきれないんでしょうかね。
こちらに関してはパトリック・カーニー、エド・ケンパーなどの記事と取り上げていますが、
連続殺人犯というのは「本当に殺したい相手の代理」として、多くの犠牲者を選ぶケースが多いようです。

> 忙しい中でのアップとは思いますが、次も楽しみにしています。
これからも気まぐれ更新となりますが、どうかよろしくお願いします。

  • 2014/06/22(日) 23:13:00 |
  • URL |
  • とあるプロファイラー #-
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