世界を驚かせた奇怪、猟奇的な殺人事件の数々、そしてその犯人。科学では解決できないミステリー現象。それらを紹介していくブログです。

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アメリカ横断女子大生連続殺人事件

本名セオドア・ロバート・バンディ 通称テッド・バンディ

「テッドは大人びた若者で、責任感が強く、とても落ち着いています。欠点らしい欠点は見当たりません」(1972年、バンディを診察した心理学者)

女子大生連続殺人犯テッド・バンディ
洗練された態度と物腰、ハンサムな顔立ち。
ワシントン州立大学に在学中には「トップ1%に入る知能の持ち主」とも評価された事もある、IQ160以上とも言われるその卓越した頭脳。
テッド・バンディはまさに「他の男たちがうらやむような、模範的な好青年」だった。
しかし彼の本性は、アメリカ大陸を横断しながら美しい女子学生を次々に強姦・殺害していった、稀代のシリアル・キラー(連続殺人鬼)だった。

過去:「ここじゃない、どこかへ」
1946年11月24日、ペンシルバニア州のフィラデルフィア。
信心深く、周囲からも尊敬を集めていた若き21才の秘書のルイーズ・コーウェルの私生児として、テッドはこの世に生を授かった。
セオドア、というのは「神の贈り物」という意味だそうで、父親の素性は今なお不明である。ルイーズも父親については口をつぐんだままだそうである。
(テッドの本当の父は祖父、つまりルイーズの父という説もある。テッドの衝動的な殺意は祖父から受け継いだ、というのだ。もちろん仮定の話でしかないが)

テッドはかなり大きくなるまで、祖父母を本当の両親、実母を姉と思っていた。(最初はそうだと教えられたのである)
彼の育った家庭はお世辞にも健全とは言いがたいものだった。
祖父は短気で癇癪持ちで、家中の誰もが恐れていた。祖母はつねに夫の暴力の被害者で、ひどい鬱病の発作にひんぱんに苦しんでいた。
テッドは1969年、自分の出生証明を取るためにバーモンド州に出向き、そしてついに自分の出生の秘密を知るのである。

テッドが4歳のとき、ルイーズは人生をやり直そうと海軍を除隊したばかりのジョン・バンディ結婚することになった。
テッドは新しい姓「バンディ」を与えられ、同時に正式に彼女の「息子」となった。
垢抜けなく、退屈な性格の義父をうとんだが、父に対しても、のちに生まれる異母兄弟に対しても、敵意を見せる事なく幼少期を過ごしている。
ただ、テッドはこの年齢からすでに功名心と自意識が強く「頼むから自分を裕福な家に養子に出してくれ」と再三母親に頼んでいる。
西部劇のスター俳優だったロイ・ロジャースの養子になる事を夢見ていたし、タコマで音楽教授をしていた叔父のジャックに「養子にしてくれ」と頼んだ事もあった。

ハイスクールでのテッドは成績は優秀だったが、どちらかというとあまり目立たぬ存在だった。
ガールフレンドもいることはいたが、純情だったテッドは手を握ることさえできなかった。しかし、その内面ではどす黒い情念が形成されつつあった。
彼は夜になると自宅を抜け出し、女子寮に出向くと着替えを覗き見しては自慰に耽り、下着を盗んだ。
そして普段は冷静でおとなしいが、怒ると手がつけられないジキル博士とハイド氏のような二面性は小学校の頃から覗かせており、
通信簿には成績よりも「攻撃的な性格は改めるように」という担任教師の指摘が書かれている。
さらにこの頃から虚言癖が出始め、窃盗に手を染め始める。彼はスキーの腕を自慢していたが、その高価なスキー用品の大半は盗品だったと思われる。
ともかくテッドは「父無し子」「私生児」である劣等感を押し隠すためか、必要以上にプライドの高い人間となった。

そして奨学金を得てワシントン州立大学に進学したテッドはここで、のちの人生そのものを決定付ける女性に出会う。ステファニー・ブルックスである。
サンフランシスコの裕福な家庭に育ったステファニーは、その容姿・家柄・学歴、まさにテッドの理想とする女性であった。
テッドは彼女に夢中になった。そして、早々に婚約を交わした。
しかしステファニーは、表面上は穏やかで理性的な態度を取っていても、内面はワガママで子供っぽく粗野で自尊心が異常に高いテッドに嫌気がさしていた。
そしてついに、──────テッドとの婚約を破棄してしまう。
テッドのショックはあまりにも大きかった。学業も手につかず、遂には退学を余儀なくされる。ホテルの調理室で下働きをし、麻薬中毒者とも関わるようになった。
弟のグレン・バンディはこう語っている。

「兄をおかしくしたのは、間違いなくステファニーだ。それまであんな風な兄を僕は見たことがなかった。
ステファニーにさえ会わなければ、兄は殺人鬼になどならなかったと思う」


その後のテッドの心の中は「ステファニーのようなロングヘアを頭の真ん中で分けた女」への憎悪、支配欲、征服欲が渦巻く事になる。
テッドはステファニーを見返すために、例によって虚構の自画像、「洗練された理知的な青年」の外見を、コツコツと積み重ねていった。
食事や礼儀のマナーを身に付け、ファッションにも常に注意を払い、社交的となった。
そして共和党員となり、黒人の共和党副知事候補アート・フレッチャーの選挙活動を、フルタイムのボランティアで手伝ったりもした。
慈善団体で精神カウンセラーとしても働き、ビュージェット・サウンド大学で法律の勉強も始めた。
共和党員の上級議員の中にも、テッドの知性的な物腰、行動に感銘を受けた者は少なくない。
「テッドならば必ず知事にまで登りつめるだろう」人々は口々にこう噂した。
そしてテッドはスティファニー・ブルックスと7年ぶりに再会する。ステファニーはテッドの変わりように驚き、再び付き合うようになり、2人はまた婚約を交す。
ところが、テッドは週末を2人で過ごしたあと、突然ステファニーに連絡をしなくなった。
彼女が電話で釈明を求めても、「君は一体何の話をしてるんだ? 僕にはさっぱり分からないな」そう言ってテッドは一方的に電話を切った。
ステファニーへの復讐を遂げたテッドは、心のタガが外れ、冷酷無比なパワーを身につけたかのように、最悪の連続強姦殺人鬼へと変貌するのである。

殺人:消えた女子大生達
子供じみた「復讐」でステファニーを捨てたバンディの狂宴は1974年1月、シアトルから始まった。
リンダ・アン・ヒーリー、21歳。1月31日に失踪。
ドナ・ゲイル・マンソン、19歳。3月21日に失踪。
スーザン・ランコート、18歳。4月17日に何者かに誘拐される。
ロバータ・カスリーン・パークス、22歳。5月6日に失踪。
ブレンダ・ボール、22歳。6月1日に何者かに誘拐される。
ジョージアン・ホーキンス、18歳。6月11日に何者かに誘拐される。
ジャニス・オット、23歳。7月14日に何者かに誘拐される。
デニーズ・ナスランド、19歳。7月14日に何者かに誘拐される。

犠牲になったと思われる女学生たち

7月14日、ピクニックにはうってつけの避暑地と言われるワシントン州サマミッシュ湖畔。
ドリス・グレイリング(22歳)は夫と待ち合わせていた。そこに腕にギブスをして包帯で吊ったハンサムな男が近づいてきた。
「車にボートを積むのを手伝って欲しい」というのだ。彼女は駐車場までついて行った。
そこには茶色いフォルクスワーゲンが停めてあったが、ボートは家に置いてあるから一緒に来て欲しいという。
待ち合わせの時間が迫っていたし、これ以上知らない男と遠くに行く気がしなかったドリスは丁寧に断わった。
それから1時間もしない内に、ドリスは先ほど自分に声をかけたハンサム男が、今度はブロンドのロングヘアの女の子を伴って歩いているのを目撃した。
その女性がジャニス・オットである。
数メートル先に腰を下ろしていた目撃者は、その男が「テッド」と名乗っていた事、カナダ人か英国人のようなアクセントがあった事、
ボートをどうとか言っていたと記憶していた。
「ははぁん、これがあの男のナンパの方法か。うまい事やるものね」ドリスは内心苦笑いをしたが、ジャニス・オットは再び生きて姿を現わすことはなかった。
ジャニスが消えた約2時間後、同じ湖畔で今度はデニーズ・ナスランドもトイレに行ったきり戻らなかった。
翌日、捜査に乗り出した警察は、この「ナンパ」でテッドという男が若い女性に声を掛け捲っていた事を突き止めた。
(ちなみに、ドナ・ゲイル・マンソンとジョージアン・ホーキンスの遺体は悲しい事に未だに発見されてない)

目撃談から容疑者の似顔絵、モンタージュ写真も作成された。警察には「似顔絵、モンタージュに似ている男がいる」という通報電話が3,000件以上届いた。
そしてそのうちの4件は「セオドア・ロバート・バンディという男にそっくりだ」という内容だった。
この時期のバンディはワシントンの法律事務所に勤めていた。
同僚の女性キャロル・ブーンはバンディの顔がモンタージュ写真にそっくりだとからかった。これをバンディは愛想よく受け流していた。
しかしバンディと同棲していた当時の恋人メグ・アンダース「彼があの『テッド』では?」と疑い始めていた。
彼の机の引き出しを探すと中からギブスと包帯が発見された。メグはすぐに通報したが警察の相手にもされなかった。(4件の通報のうちの1件はメグのものである)
前科もなく選挙運動やボランティアに熱心な若者であるバンディは、最終的に3,500人以上もの名がつらねられたリストの一番下に、名が記載されただけだった。

暴走:止まらない殺人衝動
2ヶ月後の1974年9月6日、ジャニス・オットとデニーズ・ナスランド、さらに身元不明の遺骨が一度に同じ場所から発見された。
シアトルでの女学生連続殺人はその後、ピタリと止んだ。しかし時同じくして、今度はユタ州で類似の連続殺人事件が発生するようになった。
そう、バンディはユタ大学のロースクール(法学を学ぶ3年間の専門課程。日本の大学院に相当する)に進学するため、ユタ州に引っ越していたのである。

ナンシー・ウィルコックス、16歳。10月2日に失踪。
メリッサ・スミス、17歳。10月18日に失踪。
ローラ・エイミー、17歳。10月31日に何者かに誘拐される。
デビー・ケント、17歳。11月8日に何者かに誘拐される。

いずれもロングヘアの女学生な事を付け加えておく。さらに、ナンシー・ウィルコックスの遺体は未だに発見されていない事も。

11月8日、ショッピング・センターの駐車場でキャロル・ダロンシュという女性の誘拐に失敗したバンディは、同日の夕方にすぐにデビー・ケントを誘拐しているのである。
この時、間一髪で難を逃れたキャロルは

「最初はハンサムで優しそうだった犯人が、私を車に連れ込んだ途端にジキルとハイドのように凶暴な表情になった」

と警察に告げている。
また、バンディはコロラド州にも「出張」していた。
新年の1975年1月11日、23歳の看護婦カリン・キャンベル失踪。彼女は2月17日、変わり果てた姿で発見された。
もちろん、新本拠地となったソルトレイク・シティでも、「真ん中から髪を分けたロングヘアの若い女性」が大量に行方不明となっていた。
しかし思いもかけぬ事から、バンディは破綻していく事になる。
飲酒運転取締りでパトロールしていたボブ・ヘイワード巡査部長のパトカーと出くわしたバンディのワーゲンは、慌てて逃げ出したのだ。
結局男は逃げ切れないと分かって無人ガソリンスタンドにワーゲンを止めて投降した。
しかし自分から車を降りてつかつかと歩み寄ってきた長身のハンサムな運転手を見て、ヘイワード巡査部長はピンときた。
このように運転者から警察に近寄ってきた場合、車に見られちゃいけないものがあるのが常である。
男が見せた運転免許書には「セオドア・ロバート・バンディ」と記されていた。
車のバッグの中から見つかったのは、目だしスキー帽、女性用のストッキングに目用の穴を開けて作った覆面、アイスピック、鉄棒が出てきた。
さらにトランクからは手錠も見つかった。ヘイワード巡査部長は運転手に近寄ってこう宣言した。「ミスター・バンディ。貴方を逮捕します」

バンディは一旦自分で保釈金を払って釈放されるが、5日後キャロル・ダロンシュへの誘拐未遂容疑で再び逮捕された。
以前、彼の魔手から逃たキャロル・ダロンシュ、デビー・ケントの担任教師ジーン・グラハム、クラスメートらが、バンディの首実験(面通し)に呼ばれた。
バンディは髭を剃り落とし、髪の分け目も逆にしていたが、彼女たちはいずれもバンディを一目で見抜いた。
だが実際に裁判が始まると、出頭したバンディを見て陪審員たちは「警察は誤認逮捕をしたのでは?」と不安になった。
ハンサムで上品で礼儀正しく、知性的な物腰。ナンパしたら9割の女性はバンディの誘いに応じるだろう。どう見ても女に飢えているタイプではない。
こんな男が誘拐強姦などする必要があるだろうか?
バンディも調子に乗って自分を罪人扱いしている警察やマスコミを猛批判したが、しかし被害者の証言が決定打となり、陪審員たちは有罪の評決を下す。
無罪を確信していたバンディにはこの評決は晴天の霹靂だったようで、彼は泣きながら「刑務所には送らないでほしい」と頼んだが、
裁判官は1年~15年の禁固刑を言い渡した。

脱走:カイ・オメガ女子寮での惨劇
バンディが使用していたのと同型のワーゲン
もちろん、警察がこれだけでバンディへの追求の手を緩めるはずがなかった。シアトル、ユタ、コロラド、一連の女子学生連続殺人事件で告発する準備を進めていた。
特にコロラドでは目撃情報が続々と寄せられており、カリン・キャンベルの髪の毛もバンディのワーゲンから見つかっている。
一方、裁判においてバンディは自ら弁護の指揮をとると主張し 国選弁護人に対しては鼻持ちならない傲慢な態度で接した。
フランク・タッカー検察官はその様子をこう語っている。

「テッドは私が今まで見てきた中で一番生意気で傲慢な奴だ。あんなヤツは初めてだね。弁護人に対してあれこれ指示してるんだから」

もっとも、バンディが自分で弁護をし出すと言い出したのには、もう一つ理由があった。
アメリカでは自分で自分の弁護を行う被疑者にはある程度の行動の自由が認められている。
例えば図書室での判例集の閲覧などが許される。バンディはこの自由を利用して、脱走を企てたのである。
19977年6月7日、バンディは予審のためにコロラド州アスペンの裁判所に護送された。
彼は午前休みになったところでバンディはいつものように図書室に入って行った。手錠と足かせは外されていた。
数分後、一人の婦人が裁判所に入ってきてこう尋ねた。

「この辺じゃ男の人が窓から飛び降りるなんて当たり前なの?」

警察官は「まさか!?」と思い急いで二階の図書室に駆け込んだが、すでにバンディの姿はなかった。「バンディ脱走」のニュースは全米を駆け抜けた。
街を抜けた彼はアスペン山に入り、そこの空き家の山小屋で2日間過ごした。しかしバンディの逃走劇はあっけなかった。
キャデラックを盗み、シアトルに向かう途中で地元の保安官に呼び止められ逮捕された。わずか8日間の脱走劇だった。
続く半年間、延々と法廷闘争が続いた。検察はユタでの女学生失踪事件の証拠提出を試みたが、バンディも牛歩戦術でこれに対抗した。
1977年12月31日、バンディはガーフィールド郡刑務所の独房の天井に穴をあけ、二度目の脱走。
フロリダ州の州都タハラシーは、アメリカの南東部に位置している。
シアトルからは4,000km/hも離れていたが、美しい町並みとたたずまいは、シアトルを思わせるものがあった。
バンディが脱走してから2週間経っていたが、このニュースはまだタハラシーではほとんど知るものはいなかった。
年明けころ、タハラシーのオークハウス(こちらでいうゲストハウスのようなもの)にクリス・ヘイゲンという流れ者が住み着いていた。
1978年1月15日日曜の午前3時、フロリダ州立大学の学生ニタ・ニアリーは彼氏に別れを告げると、キャンパスの外れに位置するカイ・オメガ女子寮に帰宅した。
すると正面玄関から急いで出て行こうとする一人の男の姿を見かけた。黒い毛糸の帽子をかぶり、棍棒を握りしめているように見えた。
不審に思ったニタは2人のルームメートを叩き起こし、寮長に相談しようと部屋を出た矢先、カレン・チャンドラーが血みどろで部屋からよろめき出てきた。
驚いた3人は部屋に飛び込むと、カレンのルームメートのキャシー・クライナーも血の海の中で倒れていた。
さらに他の2人の女学生、マーガレット・ボーマンリサ・リービーも倒れていた。
マーガレットは既に事切れており、リサも病院に運ばれる途中の救急車の中で絶命した。

2人を死亡させ、2人に重症を負わせたにも関わらず、バンディの衝動はまだ終っていなかった。
カイ・オメガの惨劇から1時間半後、数ブロック離れた別の女子寮に住むデビー・チカレッリは、隣室からの激しい物音で目を覚ました。
時計を見るとまだ午前5時前、太陽も出ていない。デビーもまたカイ・オメガのニタ同様ルームメートを叩き起こして2人で聞き耳を立てた。
何かを叩くような音に続いて、慌ただしい足音が聞こえてきた。数分後、カイ・オメガから急行してきた警官にこの女子寮も取り囲まれる。
シェリル・トーマスが頭を割られて瀕死の重症を負っていたが、幸いにも一命は取り留めている。
2件の女子寮での暴行殺人に全米は騒然となったが、この時点ではバンディの犯行と考えるものはほとんどいなかった。
シアトル、ソルトレイク・シティでの犯行に比べ、あまりにも杜撰でいくつもの証拠を残していたからだ。
「誘拐から死体遺棄まで綿密に犯行に及んでいた、あのテッド・バンディの所業とはとても思えない」と考えられても無理はなかった。
これについては当ブログのリンク先である殺人博物館様のバンディの項目にも書いているが───
ひょっとしたらバンディの心の奥底には「もう殺人を止めたい、捕まりたい」という心理が働いていたのかも知れない。
(リサ・リービーのお尻に残した歯型が、バンディにとっての致命傷となり、有罪となっている)
白いバンを盗んだクリス・ヘイゲンことバンディは、ジャクソン・ビル方面に向かった。
バンディの最後の公式な被害者は12歳の少女キムことキンバリー・リーチである。2月9日、学校から行方不明となった。
その6日後、バンディは盗難車のナンバーから足がつき逮捕された。
キムは2ヶ月後、スワニー・リバー州立公園近くの古びた小屋から変わり果てた姿で発見された。
遺体は激しい性的暴行を受けた事を物語っていた。直接の死因は「頚部に加えられた致死的な激しい力」だそうである。
12歳の少女をも手にかけたバンディに、警察官の1人は怒りにかられ、記者に向かってこう言っている。「警察は必ずバンディを電気椅子に送ります!」

終結:下された審判
女性弁護士とバンディ
マイアミでのバンディの公判は、世界中の注目を集めた。
ここいら辺は犯罪ドキュメンタリー映画「アメリカン・バイオレンス」にも収録されているので、機会があればご覧いただきたい。
弁護士チームはバンディに対し、リサ・リービー、マーガレット・ボーマン、キム・リーチの3件の殺人を認める代わりに死刑を求刑しない、
いわゆる司法取引を受け入れるようにバンディに強要していた。
これに腹を立てた彼は弁護士チームを解任し、なんと自らの弁護をかって出たのである。彼は被告であり、弁護士であり、弁護側証人でもあった。
(しかし、バンディはこの『イチかバチか賭け』に見事に敗れる羽目になる)
公判のたび「テッド・グルーピー」と呼ばれた彼のファンの女性たちが裁判所に詰めかけた。
バンディは傍聴席の彼女たちに笑顔で手を振る余裕まで見せ、あげくかつての同僚キャロル・ブーンと婚約を交わすというパフォーマンスまでやってのけた。
しかし、前述の被害者リサ・リービーの遺体に残された歯型が決定的な決め手となった。
こればかりはいくらバンディが天性の話術の才能を発揮しても、公選弁護人のマーガレット・グット女史が見事な弁論を展開しても、言い逃れはできなかった。
「米国のデス・ベルト」と呼ばれる地帯がある。死刑宣告が他の州より頻繁に出ることからそう呼ばれているのが、フロリダもその州の一つだった。
バンディ裁判で裁判長を務めたエドワード・D・カワード判事は、死刑宣告をバンディに言い渡した後、こう付けくわえた。
この時期に出版されたバンディ関連の書籍は、大抵カワード判事のこの言葉で締めくくられている。
カワード判事
「私は君に対し、何の敵意も持っていません。この事は信じてほしい。
これほどの人間性、才能の無駄な浪費は、本裁判においても悲劇でした。君は優秀な青年です。立派な法律家になれたかもしれない。
君が殺人犯としてでなく、弁護士としてこの裁判にいたら、どれほど幸福だったでしょうか。しかし、君は道を誤った……。
自分の過ちは自分で償うように。今後(電気椅子に座るまで)、体に気をつけなさい……」


バンディはカワード判事のこの言葉を、どんな思いで聞いていただろうか。
再審請求も棄却され、死刑が確定。それでもバンディは「死刑を延期してくれるなら、まだ発見されてない遺体の捜索に協力する」と最後まで足掻いた。
のちに彼はこのような感情に突き動かされていた事も、カミングアウトしている。

「僕は人間の生死を支配したかったんだ。地上から1人2人消えたからって、それが一体何だっていうんだい?」 

フロリダでの3件の殺人で死刑となったバンディだが、死刑執行の数日前、彼はシアトルやソルトレイク・シティでの殺人を含めて他に27件、
合計30件の殺人を犯したことを告白している。
しかしバンディが暗躍していた時期、バンディの好みの「真ん中で髪を分けたロングヘアの女学生」が……100人以上行方不明になっているのだ。
本当の犠牲者数は、一体何人だったのか。シリアル・キラー(連続殺人鬼)という言葉を生み出すきっかけにもなった稀代の殺人犯は、真実を墓場まで持っていった。
誰にも「本当の殺害数」を明かすことなく、1989年1月24日午前7時7分。テッド・バンディの命は、電気椅子の露と消えた。
そしてその遺体は、笑みを浮かべていた。

参考文献
週刊マーダーケース・ブックNo.4 アメリカ横断女子大生連続人 (デアコスティーニ)
連続殺人者 (タイムライフ)
テッド・バンディ 「アメリカの模範青年」の血塗られた闇 (上) (原書房)
テッド・バンディ 「アメリカの模範青年」の血塗られた闇 (下) (原書房)
参考サイト
+ M O N S T E R S +
殺人博物館

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