世界を驚かせた奇怪、猟奇的な殺人事件の数々、そしてその犯人。科学では解決できないミステリー現象。それらを紹介していくブログです。

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欺瞞に満ちた男 悪夢のリリントン・プレイス10番街

本名ジョン・レジナルド・ハリディ・クリスティ 通称ジョン・クリスティ

「最初の殺人にはゾクゾクしたよ。私自身が望んでいた道に、ついに足を踏み入れたのだから───。そう、殺人者への道だ」(ジョン・クリスティ)

ジョン・クリスティ
現在ヨーロッパの各国は、欧州人権条約などにより、死刑の撤廃が加速している。
銃殺刑があったロシアですら、1995年から死刑を廃止している。
大抵は上記の欧州人権条約からの「人道に反する」というものや、宗教上の理由であるが───
1953年にイギリスの首都ロンドンのリリントン・プレイス10番街で発覚したこの事件は、凄まじい議論を国中に呼び、やがて死刑を廃止させる原因となった。
果たして、リリントン・プレイス10番街の殺人鬼は一体何人いたのか?

発端:壁の裏の何か
1953年3月24日、ロンドンのリリントン・プレイス10番街のテラスハウス(長屋とアパートの中間のような共同住宅)。
ここの最上階に住むジャマイカ人、ベレズフォード・ブラウンは上機嫌だった。
このテラスハウスでは3年前にティモシー・エバンスという男が陰惨な殺人事件が起こした場所として有名だが、今や当時を覚えている唯一の住民であった、
前借用人だったジョン・クリスティという男は3日前に「急遽バーミンガムに転勤になった」と引越した為、1階に移り住む事を大家から許可されたのだ。
しかも、ペンキが色あせ荒れ果てた共同キッチンを改装してくれたら「今後は優先して使っていい」という承諾も得た。
鼻歌まじりに前借用人のクリスティの残していったガラクタを庭に運び出し、1階の部屋の大掃除を終えたブラウンは、いよいよキッチンの改修に着手した。
結婚して妻もいるブラウンだったが、独身貴族時代によく自炊していた彼は、今も妻の代わりに自分が料理を受け持つこともあった。
「よし、料理の際のBGM代わりのラジオを置く棚を取り付けるか」しかし、板を取り付けようとしたブラウンは、奇妙な事に気づいた。
壁を叩くと、向う側が空洞のような音がするのだ。どうやらアルコーブ(冷蔵庫や食器棚を置くための凹部分)に壁紙を貼っただけらしい。
不可解に思って壁紙を破ったブラウンはアルコーブを懐中電灯で照らしてみた。
彼の目には信じられない光景が映った。ミイラ化した人間の背中が見えたのだ。
驚いたブラウンは懐中電灯を投げ出し、他の住民を呼びにいった。そして駆けつけた住民の1人、アイバン・ウィリアムズと共に、もう一度中を覗いてみた。
ガラクタの山の上に腰掛けるようなポーズの、間違いなく女性の遺体だった。ブラウンとウィリアムズは、すぐに警察に連絡した。
遺体が発見されたアルコーブ

現場に駆けつけた警察は、キッチンの壁紙の裏のアルコーブから、毛布にくるめられた合計3体の遺体を発見した。いずれも女性だった。
1階をくまなく捜索した警察は、応接間の床下からも、1体の女性の遺体を発見した。クリスティの妻、エセルの遺体だった。
さらに翌日、裏庭を掘り返してみると、そこからも2体の白骨化した女性の遺体を発見した。合計6人である。
検死の結果、庭の遺体は約10年前に埋められたもので、フランシス・キャンプス博士は「2体とも絞殺されたものだ」と断定した。
帝都ロンドンの片隅で連続殺人が密かに行われていたことに捜査官たちは愕然とした。
マスコミに対し「ロンドン史上最もショッキングな大量殺人事件」が行われていたとの発表がされ、1階の前借用人だったジョン・レジナルド・ハリディ・クリスティは、
重要参考人としてただちに指名手配された。
ホテル、映画館、サッカースタジアムにも「大量殺人の重要参考人ジョン・クリスティを見かけた方はすぐにご一報を」と記されたクリスティの人相書きが貼られたが、
その行方はようとしてとして知れなかった。

3月29日の23時20分、『 News of the World 』の犯罪担当デスクであるノーマン・レイに、電話がかかってきた。
「私が誰だかわかるかね?」レイにはそのガラガラ声が誰なのか、すぐに分かった。新聞記者、中でも犯罪担当記者の記憶力は、非常に優れているのである。
レイはティモシー・エバンスの事件で、クリスティにインタビューを申し込んだ事があったのだ。「もう耐えられないんだ」クリスティは続けた。

「奴らは犬のように私を追い回してくる。もうクタクタだ。寒いしびしょ濡れだというのに、着替える服もない」

クリスティはレイに、食事とタバコと、腰を下ろして休める暖かい場所を提供してくれたら、自分の話を『 News of the World 』に提供する、と申し出た。
レイは「申し訳ないが、その後は警察に通報しない訳にはいかない」と告げるとクリスティも理解を示した。
2人は午前1時30分にロンドン北部のウッド・グリーン・タワーホール前で落ち合う事になった。
レイを待って茂みに身を潜めていたクリスティだったが、そこにたまたまパトロール中の2人の警官が現れた。
両警官はもちろんレイとクリスティの約束など知らなかったが、レイに裏切られたと思ったクリスティは、そこを逃げ出してしまった。

3月31日、パトニー橋付近を巡回パトロールしていた若き巡査トーマス・レジャーは、堤防に寄りかかりテムズ川を眺めるみすぼらしい男に眼を止めた。

「こんなところで何しているんです? 仕事でも探しているんですか?」
「失業者カードが発行されるのを待っているんです」
「名前と住所を教えてくれませんか?」
「ジョン…ウォディントンです。住所は……ウェストボーングローブ35番地です」


苗字も住所も少し間を置いてからたどたどしく答えた男を見て、レジャー巡査はすぐに不審に思った。
自分にやましい事が何もない人間は、普通は自分の名前も住所もスラスラと答える。こんなに間を空けてたどたどしく答えたりはしない。
レジャー巡査は男の顔をまじまじと見つめてから、帽子を取るように命じた。禿げ上がったその頭を見て巡査は確信した。
指名手配中の大量殺人犯、ジョン・クリスティだ。
逮捕され連行されるパトカーの中で、クリスティはポケットの中のものを全て出すように命じられた。
細々とした物の中に、1950年に行われたティモシー・エバンスの裁判の切り抜き記事が含まれていた。
 
過去:威厳ぶったろくでなし
1898年4月8日、イングランド北部のハリフォクスのブラックボーイ・ハウスで、ジョン・レジナルド・ハリディ・クリスティはこの世に生を受けた。
アーネストはカーペット会社のデザイナーで、ハリフォクスの保守党設立メンバーの1人だった。
また、「労働者階級に清廉さを広める」プリムローズ・リーグ(桜草連盟)という組織のリーダー的存在でもあった。
母のメアリー・ハンナは演劇の世界では「麗人ハリディ」として有名な存在で、メアリーはジョンを溺愛した。
ジョンは厳格な父を酷く恐れ「話しかけるときですらいちいち許可を得なくてはいけなかった」と回想している。
父は厳しく接し母は溺愛し甘やかす、という多くの連続殺人鬼のテンプレの状況で、ジョンも育っていった。
少年時代のクリスティは成績優秀で、特に算数・数学は常に学年トップだった。
「一旦興味を持った科目はとことんマスターしないと気がすまない主義だった」という。しかし「一旦マスターするとすぐに飽きてしまった」そうである。
しかし小学校時代のジョンは父譲りの短気さと、変に威厳ぶった態度のおかげで、友達はほとんど出来なかった。

8歳の時のクリスティ
ジョンは少年時代、その後の人生を決定付ける2つの出来事に遭遇している。
まず8歳の時に母メアリーの父が死亡し、その亡骸を見た事である。この時ジョンは喜びでうっとりとしたという。

「死体には生きている肉体には決して持ち得ない美と尊厳が備わっている………。死には私を和ませる平穏がある」

死体に対する、ジョンの後年の言葉である。
さらに10代のころ、初体験の失敗している。男女グループで遊んだあと、それぞれペアになって別れたのだが、経験豊富な女子といざ体験という時に役に立たなかった。
少女はジョンを「息子のないレジー」「アレが役に立たないレジー」と散々言いふらし、この屈辱ゆえに、彼は本格的なインポテンツになってしまった。
この辺りの経緯と、無抵抗な女性に対して性的不能から開放されるというのは、アンドレイ・チカティロと非常に良く似ている。
そして17歳の時、地元の警察で事務員として働いていたジョンは、些細な盗みを見つかってクビになり、さらに激怒した父親に家から叩き出された。
仕事を転々とし、時には父親の家庭菜園の小屋で寝泊りし、母親が食事を差し入れる事もあったという。

やがて第一次世界大戦が起き、召集された18歳のジョンはフランスに送り込まれ、戦地で負傷し帰国する。
ティモシー・エバンスの裁判では毒ガス攻撃にあったと力説するが、実際はどうなのかは不明である。
とはいえ帰国後は障害年金を受け取り細々と暮らしていた。1920年5月20日、エセル・ウォディントンは不幸にもジョンと結婚する。
しかし結婚から1年後、郵便局に勤務していたジョンは仕事中に封書から金を抜き取ったところを捕まり、9ヶ月間服役する。
2年後には詐欺事件を起こし、これは「判事の寛大な裁量」のおかげで保護観察処分で済むが、1年後にはまたしても窃盗で逮捕され、今度は9ヶ月服役する事になる。
妻エセルはジョンに完全に愛想を尽かし、実家に帰ってしまう。1929年、ジョンは今度は同棲していた売春婦に暴行を働いたとして6ヶ月間服役する。
1933年には親しくしていた教会の神父の自動車を盗んだのがバレて、またもや刑務所に入る。
この間にジョンは「ヨリを戻してほしい」とエセルに手紙を書き、2人は元の鞘に納まる。
そして1938年、40歳になったジョンはエセルと共に、のちに英国犯罪史上にその名を残す事になるリリントン・プレイス10番地に移り住むのである。
10年後の1948年3月、問題のティモシー・エバンスとその妻ベリルが、リリントン・プレイス10番地に引っ越して来た。
第二次大戦の勃発が時間の問題だった1939年には、ジョンは戦時予備警察官に応募し採用される。
今までの悪事を忘れ、生まれ変わったかのように仕事に打ち込んだジョンだったが、持って生まれた卑しい性格は隠し切れず、すぐに権力を笠に傍若無人に振る舞い始め、
もう1人の同僚と共に「ネズミとイタチのコンビ」として知られるようになる。
そして1943年8月、いよいよ最初の殺人に手を染めるのである。

誤審:嘘の自供
1948年11月30日、ウェールズのマーサー・ベール警察署に1人の男が出頭し、そこにいた巡査に「妻を処分しました」と告げた。
男はティモシー・エバンスと名乗った。「どういう意味なのか?」と巡査が尋ねると、エバンスは供述を始めた。
11月10日、仕事を終えて帰宅すると、妻のベリルが死んでいた。トラック運転手用の食堂で偶然知り合った男からもらった堕胎用の薬を飲んだ事が原因だ、という。
動揺した彼は、遺体を階下に運び下水道に棄てた。そして故郷のウェールズに逃げたが、良心の呵責からこうして出頭した…というのだ。
エバンスの話を聞いた警官は狐に化かされた心境だった。
ティモシー・エバンス

「帰宅したら妻が死んでいたからといって、それを下水道に遺棄して逃げたりするものか? その時点で警察に通報すればいい話だろう」
とはいえ、イタズラの類として片付ける訳にもいかない。
念のために死体遺棄の容疑でエバンスの身柄を拘束し、その場にいた巡査と刑事がそのまま取り調べを担当する事になった。
ロンドン警察に連絡して下水道を調べさせたが、遺体はどこにもなかった。
「おい、ロンドン警察からは遺体など無い、という報告が来ているぞ」エバンスは驚き「そんなバカな」という表情をし、供述を変えた。
「妻は下の階に住むジョン・クリスティという男の堕胎手術を受けて死んだんです。このままでは私も共犯になると言われて、それで妻の遺体を処分しました」
まだ1歳の娘はクリスティに預けている、という。当日夜、共犯としてクリスティも警察に身柄を拘束された。
供述に基づき、彼が住むリリントン・プレイス10番地のテラスハウスを捜索した警察は、裏庭の洗濯場に隠されていた2人の遺体を発見した。
妻のベリルと娘のジェラルディンだった。2人とも絞殺されていた。
エバンスはすぐにロンドンのノッティングヒル警察署に移送され、本格的な尋問が始まった。

刑事は彼に1本のネクタイを見せて訊ねた。「これに見覚えはあるかね?」
それはジェラルディンの首に巻きつけられていたネクタイだった。エバンスは思わず呟いた。

「俺のネクタイだ…俺は自分のネクタイで自分の赤ん坊を絞め殺してしまったんだ……」

「2人ともお前が殺ったんだな?」エバンスは、小さく頷いた。
別の自供では、ベリルはロープを使って絞殺し、遺体を洗濯場に隠すまでを語った。
エバンスは裁判前の拘置所にてドナルド・ヒューム(のち紹介予定)という殺人犯と知り合った。
コロコロと二転三転するエバンスの話を聞いていたヒュームは顔をしかめて、「主張すべき事を一つに決めて、それを押し通した方がいい」と助言した。

ベリルとジュラルディン
娘のジェラルディン殺害の件で1950年1月11日からオールド・ベイリー中央刑事裁判所にてエバンスの裁判が始まった。
(筆者注:妻ベリル殺害の件では罪には問われなかった)
公判前は妻子の殺害を認めていたエバンスだったが、審理が始まると供述を一転させ、妻子はクリスティに殺されたのだと主張した。
しかし陪審団は、以前から虚言癖があり、また妻との喧嘩が絶えずその深夜の怒鳴り合いが近所でも有名だったエバンスには、最初から懐疑的だった。
裁判でも二転三転するエバンスの証言も、陪審団の印象を悪くしてしまった。
一方、身だしなみのいい格好で証人台に立ったクリスティは、「自分は2人の死には一切無関係である」と主張し、メリハリのある誠実な紳士であることを印象づけた。
反対尋問でクリスティは弁護団に過去の数々の犯罪を暴かれたにも関わらず、陪審団はたった35分間の協議でエバンスの有罪を評決した。
ウィルドレド・ルイス判事はエバンスに死刑判決を下し、1950年3月9日、エバンスは絞首刑に処された。

殺人:紅茶は死の香り
逮捕されたクリスティは良心の呵責を感じている様子もなく、むしろ「殺すギリギリまで被害者に自分の意図を悟らせなかった」事を自慢するかのように、
被害者を自宅におびき寄せ、殺害した様子を語りはじめた。
1943年8月、妻エセルがシェフィールドにいる姉妹の家に遊びにいっている間、クリスティは自分の管轄で商売をしていた17歳の売春婦、ルース・フュアストを、
リリントン・プレイス10番地に招待した。
以前もルースはクリスティに「10シリングほど貸してほしい」と頼み、そしてクリスティも金を貸す条件にルースを10番地の下宿に連れ込んでおり、
ルースをここに呼ぶのはこれが2回目である。

「モーゼの十戒の一つ、『汝、殺すことなかれ』に私は魅せられていた───いつの日か、自分がそれに逆らうのが分かっていたからだ」
「妻を殺した事で、10年間私を押さえつけていた障害を取り除く事が出来た。妻が死んで、自分の運命を達成するための道を阻むのもは何一つ無くなった」
「何年もの間、『10人の女を殺すまで自分の仕事は終わらない』と考えていた」


取調べでこのような異常な発言を平然とするクリスティを、弁護人のデレク・カーティス=ベネットは精神異常だとを主張したが、陪審団を納得させる事は出来なかった。
「クリスティは人格異常、性格異常であっても精神異常ではない」というのが陪審団の結論だったが、これは正しい判断だと思う。
それはルースの殺害が、ベッドの横に絞殺するための紐をあらかじめ用意していた点でも分かる。
おそらくルースは特別警察官だったクリスティに、半分脅されて10番外の下宿に来たのだ。クリスティから金を受け取るつもりすらなかった筈だ。
8歳の時に祖父の遺体を見て「震える程の衝撃を受けた」クリスティは、最初から計画的にルースを殺害し、その遺体を屍姦し何度も楽しむつもりだったのだろう。
しかし、妻から予定を早めて帰るとの電報が届いたため、慌ててルースの遺体を一旦床下に隠し、妻の隙を見て裏庭に埋めた。

1943年の暮れに特別警察官を御役御免となったクリスティは、ロンドン西部のラジオ工場の事務職に就き、そこで2人目の犠牲者となるミュリアル・イーディーと出会う。
鼻カタルに悩んでいた彼女にクリスティは「いい治療法がある」と持ちかけ、1944年の10月のある日、リリントン・プレイス10番街に招いた。
クリスティは前回以上に用意周到だった。耳鼻科にある治療用の吸引機をわざわざ拵えていたのだ。2本の管の1本はガス管に繋がれていた。
2人で紅茶を楽しんだ後、これを吸引して意識朦朧となったミュリアルと「愛を交わし」絞殺したのである。

「2番目の殺人は、実に巧妙なものだった。最初の殺人よりも、ずっと巧妙だった。綿密に計画を立てておいたんだ」

死刑囚監房から、クリスティが知人に宛てた手紙の一文である。ミュリアルの遺体は、ルースと同様に裏庭に埋められた。

1948年3月、問題のティモシー・エバンスとその妻ベリルがリリントン・プレイス10番街に引っ越して来た。
10月にはジュラルディンが生まれて夫婦仲は円満だったが、翌年の夏に妻ベリルが再び妊娠してからは、険悪になって行った。
先天的な知的障害があり、字も読めないエバンスは、収入の高い仕事に就くことが出来ず、家賃も滞納し、ベリルとは連日大声で怒鳴り合うようになっていた。
そんなエバンス夫妻の相談相手が、10番街の「ヌシ」と化していたクリスティだった。「元警官」という肩書きも、2人を信用させた。
経済的に困窮したエバンスは、クリスティにベリルの中絶手術を依頼した。しかし、結果的には妻子を殺害され、自らも絞首刑に処せられる羽目になるのである。
(筆者注:但しクリスティはベリル殺害は認めたが、娘ジュラルディンの殺害は最後まで否定した)

クリスティと妻エセル
1952年12月12日に庭で洗濯物を干している姿を最後に、妻エセルは2日後に夫に殺害されている。
クリスティに自身の供述によると、妻のエセルが「関節炎にもがき、夜も寝れないくらい苦しんでいた妻に安息を与えるために」殺害したという。
しかし、エセルは死亡する数週間前から何らかの不安を抱えていたのは誰の目にも明らかで、不眠症のため、かかりつけの医者に睡眠薬を処方してもらっている。
エセルがクリスティの何らかの秘密を知っている、もしくは疑っているために、そんな精神状態に駆られたエセルが秘密を暴露する事を恐れたクリスティが、
口封じで殺害した可能性は大いにある。
彼女の遺体は床下から発見された。

裁判:絞首刑台への道
本人が「妻を殺してからは自分の道を行く障害が無くなった」と語っているように、クリスティがかろうじて付けていた「真人間の仮面」は完全に外れた。
狂乱したように殺人のペースが速くなり、1953年1月から3月にかけて3人も殺した。
26歳のサウサンプトンの売春婦、キャスリーン・マロニーはロンドンのパブでクリスティと知り合い、10番街でガスを吸わされ絞殺された。
ベルファスト出身の25歳の売春婦、リタ・ネルソンもカフェで知り合ったクリスティに10番街に招待され、ガスを吸わされ絞殺された。
26歳のヘクトリナ・マクレナンは恋人と一緒に宿を探していたところをクリスティと知り合い、恋人が職業安定所にいる時に10番街に誘われ、絞殺された。
治療用吸引機を不審に思ったヘクトリナはクリスティともみ合いになったが、女の力ではさすがに男には勝てなかった。
3人の遺体はいずれもキッチンのアルコーブに隠された。
経済的に逼迫していたクリスティは、数少ない財産である家具を処分したが、それでも家賃を滞納し、完全に行き詰っていた。
クリスティにとっては「殺し納め」的な意味もあったのだろう。
そして3月21日、アパートの部屋を無断で又貸ししたかどで追い出され、大量殺人が発覚するのだ。
連行されるクリスティ

1953年の6月22日よりオールド・ベイリー中央刑事裁判所にて、フィネモア判事を裁判長として、クリスティの裁判は始まった。
25日まで4日続いた裁判では、上記の通りベネット弁護士が精神異常を主張したが、これは認められなかった。
検察側の証人であるセント・ジョージ病院のデズモンド・カラン医師「被告は非常に思い上がりの強い人間だが」いかなるヒステリー、
混乱状態にも侵されてはいない、と弁護側の主張を切って捨てた。
陪審団は4日目の16時5分に席を立ち、約1時間の協議でクリスティの有罪を評決し、フィネモア判事は死刑を宣告した。判決に対し、クリスティは押し黙ったままだった。

「一つの建物に絞殺魔が2人も同時期に存在したりするのか?」しかもクリスティは、ベリル殺害を正式に自白しているのだ。
「エバンスは無実の罪で絞首刑台に送られたのでは?」この事件に関心を持った国民はほとんどこう思った。
内務省はただちにエバンスの事件の再調査を命じたが、たった7日間で「ベリルとジュエラルディンを殺害したのはエバンスで間違いない」という報告書が提出された。
しかし、この事がさらに国民の疑惑を深める事になり、イギリス各地でエバンスの恩赦を求めるキャンペーンが起った。
1953年7月15日午前9時5分ペントンピル刑務所内にてクリスティは絞首刑に処された。54歳だった。

1965年から労働党政権下において、死刑が試験的に5年間停止する事が決まり、そしてその後、イギリスでは2度と死刑が復活する事はなかった。
エバンスの亡骸は1965年11月、遺族に返還され、エセックス州のセント・パトリック墓地に改めて埋葬された。
そして1966年、ダニエル・ブライビン判事の指揮の元、エバンス事件の再調査が行われ、「ジュエラルディンはクリスティが殺害した」という結論が発表された。
彼は娘を殺害した容疑で死刑になったのだから、事実上無罪を証明されたという事になる。
同年10月、エバンスはエリザベス2世女王陛下から恩赦を与えられた。
現在リリントン・プレイスは住所名をラストン・クローズからさらにバートル・ロードと変え、9番地の次は11番地となっており、10番地は無くなった。
しかし、リリントン・プレイス10番街は犯罪史にいつまでもその名を轟かす事だろう。

参考文献
週刊マーダーケース・ブックNo.12 礼儀正しい殺人鬼 (デアコスティーニ)
愛欲と殺人 (扶桑社)
恐怖の都・ロンドン (筑摩書房)
参考サイト
殺人博物館

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コメント

いつもながら、読み応えのある文章をありがとうございます。

恐るべきは、実話だという事ですね・・・。

  • 2014/12/12(金) 22:42:08 |
  • URL |
  • 名無しの小鳥 #yl2HcnkM
  • [ 編集 ]

待ってました!!
非常に楽しく読ませていただきました。
とあるプロファイラーさんの記事は非常に読み応えがあって素晴らしいです。

これからも楽しみにしています。
途中でデータが消えてしまったなか本当にお疲れ様でした!

  • 2014/12/16(火) 00:11:22 |
  • URL |
  • #-
  • [ 編集 ]

Re: タイトルなし

> いつもながら、読み応えのある文章をありがとうございます。
>
> 恐るべきは、実話だという事ですね・・・。

今回は、以前書いたチカティロの記事を思い出して、似たような性質のクリスティを取り上げてみました。
途中で記事が消滅してかなり萎えましたが、無事アップできて良かったです。
今後とも、当ブログをよろしくお願いいたします。

  • 2014/12/17(水) 12:15:46 |
  • URL |
  • とあるプロファイラー #-
  • [ 編集 ]

Re: タイトルなし

> 待ってました!!
> 非常に楽しく読ませていただきました。
> とあるプロファイラーさんの記事は非常に読み応えがあって素晴らしいです。
>
> これからも楽しみにしています。
> 途中でデータが消えてしまったなか本当にお疲れ様でした!

ありがとうございます。
記事が消えた時は非常にモチベーションが下がりましたが、何とか完成できて良かったです。
今回はチカティロ同様、無抵抗、もしくは死体となった女性に興奮を覚える「礼儀正しい殺人鬼」
ジョン・クリスティを取り上げてみました。

  • 2014/12/17(水) 12:19:07 |
  • URL |
  • とあるプロファイラー #-
  • [ 編集 ]

おかえりなさい、そしてお疲れ様

帰りを待っていました。
相変わらずの丁寧なまとめと画像資料ともども整理なさって、お疲れ様でした。
死刑されたのに恩赦という意味がわからなかったのですが、死体が遺族の元に帰ったということですね。
クリスティはチカチーロやゲイシーとも似た生育歴という点でも興味深かったです。本当は時代潤からいえば逆なんですけどね。
死刑という問題の厄介さを知らせる事件としても、ここには書かれてませんがアルバート・フィッシュとともに興味深い事件です。

  • 2014/12/17(水) 21:46:43 |
  • URL |
  • ななし #-
  • [ 編集 ]

Re: おかえりなさい、そしてお疲れ様

> 帰りを待っていました。
> 相変わらずの丁寧なまとめと画像資料ともども整理なさって、お疲れ様でした。
> 死刑されたのに恩赦という意味がわからなかったのですが、死体が遺族の元に帰ったということですね。
> クリスティはチカチーロやゲイシーとも似た生育歴という点でも興味深かったです。本当は時代潤からいえば逆なんですけどね。
> 死刑という問題の厄介さを知らせる事件としても、ここには書かれてませんがアルバート・フィッシュとともに興味深い事件です。

残虐行為こそありませんが、抵抗不可能な女性でないと性的不能から開放されないというところは、
チカティロの先輩ともいえますね、クリスティは。
私自身は死刑廃止反対派ですが、この事件のような事があっては仕方ないかもです。
いつになるかは分かりませんが、アルバート・フィッシュもいずれは紹介予定です。

  • 2014/12/22(月) 01:07:18 |
  • URL |
  • とあるプロファイラー #-
  • [ 編集 ]

初めまして

先日、こちらを発見して楽しく読ませていただいております

マーダーケースブックを始め、書籍を集めている者です

更新楽しみにしておりますので、頑張ってください

  • 2014/12/30(火) 10:27:22 |
  • URL |
  • 芦毛の怪物 #j9g3P57.
  • [ 編集 ]

Re: 初めまして

> 先日、こちらを発見して楽しく読ませていただいております
>
> マーダーケースブックを始め、書籍を集めている者です
>
> 更新楽しみにしておりますので、頑張ってください

はじめまして、管理人のとあるプロファイラーです。
私もこのブログを始めたキッカケの一つが古本屋でたまたま見かけたマーダーケース・ブックでした。
更新は気まぐれですが、今後も気長にお待ちいただければ幸いです。

  • 2015/01/05(月) 09:39:43 |
  • URL |
  • とあるプロファイラー #VN09YeUk
  • [ 編集 ]

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