世界を驚かせた奇怪、猟奇的な殺人事件の数々、そしてその犯人。科学では解決できないミステリー現象。それらを紹介していくブログです。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

33人の少年を殺害した「死の道化師」

本名ジョン・ウェイン・ゲイシー 通称ジョン・ゲイシー

「砂金堀りをしてるみたいだったよ。土を掘ってはふるいにかけ、何かが出るのを待つ作業さ。出てくるのは人骨なんだけどね」
(ゲイシーの家の床から死体発掘作業にあたった捜査員)

政治活動にも積極的に参加、青年商工会議所ではNo.2の地位を務め、地元では名士的存在だったジョン・ゲイシー
道化師(ピエロ)に扮しボランティア活動にも熱心で、「道化師のポゴ」は子供達の人気者だった。
道化師のポゴ
しかし、道化師のポゴのそのペイントメイクの下に隠されていたのは、恐るべしサディストの素顔だった。
彼は少年を拷問、レイプ、殺害しては、遺体の多くを自宅の床下に埋葬していた「死の道化師」ともいうべき、同性愛連続殺人犯だったのだ。

疑惑:消えた少年
1978年12月11日。
エリザベス・ピーストはドラッグストアのカウンター席に腰掛け、15歳の息子ロバート・ピーストを待っていた。
ロバートは姉と一緒にこのドラッグストアでアルバイトをしていたが、

「今日はある建設会社に来年の夏休みのバイトの登録にいくので、ママはドラッグストアで待ってて」

と母に伝言していたのだ。しかし、まったく姿を見せる気配がない。
真冬のシカゴは米国で一番寒い都市といってよく、しかもその夜は0度を下回る凍てつくような寒さだった。
エリザベス夫人は息子を徒歩で家に帰させる気にはとてもなれず、辛抱強くまっていた。
しかし、ついに待ちきれなくなった夫人は、その店で働いている娘に「ロバートが戻ったら電話をするように伝えて」と伝言し、ストアを後にした。
車を運転しながら夫人は腑に落ちなかった。家族を待たせて外をいつまでもうろつくなど、とてもロバートらしくない行動である。
しかもこの日は夫人の46回目の誕生日で、父も兄も姉もロバートが戻ってからバースデー・パーティーをはじめるのを知っていた筈だ。
帰宅した夫人は夫のハロルドに「ロバートに何かあったに違いないわ。私はそんな気がするの」と告げている。
21時45分、ロバートはまだ戻らず、夫人はドラッグストアの店主に電話で「息子がどこの会社に面接にいったかご存知ですか?」と尋ねた。
店主は答えた。「ええ、知ってますよ。ジョン・ゲイシーという男の建設会社です」
23時30分、ピースト夫妻はついにデス・プレーンズ警察に捜索願を出す。その日は夫人にとって人生最悪の誕生日となってしまった。

翌日8時30分、デス・プレーンズ警察はロバート・ピースト少年の捜索に着手。
ジェームズ・ピックウェル刑事は、早速シカゴ警察にジョン・ゲイシーという男の人物照会を行った。
回答は数分で戻ってきたが、ピックウェル刑事は内容を聞いて不吉な胸騒ぎを覚えた。
かつて未成年男性への同性愛行為で服役した事があり、しかも「非常に暴力傾向が強い」というのだ。
1975年7月にこの男が経営している建設会社PDMコントラクターズの従業員だった若者ジョン・ブツコビッチが行方不明になった件では、
警察から100回以上の事情聴取を受けている事も判明した。
9時30分、ジョセフ・コゼンクザック警部補はゲイシー宅に向かった。中から背が低く丸顔で太った家主、ジョン・ゲイシーが現れた。
ゲイシーは最初「そんな少年は知らない」と言い張った。
ジョン・ゲイシー
だがゲイシーはロバート少年のバイト先のドラッグストアで、ロバート少年に声をかけているのを、店主や店員達に目撃されていたのだ。
「ああ、あの少年のことですか」ゲイシーは二言三言言葉を交わしたのは事実だが、アルバイトの話などを持ちかけてはおらず、
面接の約束もしていない、との事だった。
コゼンクザック警部補はゲイシーに任意での出頭を丁寧に求めたが、ゲイシーは叔父が死んだばかりで、今は母からの電話を待っているから、と拒否した。
結局押し問答の末、母からの電話があり次第すぐに出頭するという約束を取り付けたが、コゼンクザック警部補は
「家出はない。絶対にこのゲイシーという男が少年の行方不明に関係している」と直感した。
警部補はこの時点で、ゲイシーの捜査令状を取る事に決めていた。

過去:父の不吉な予言
ジョン・ウェイン・ゲイシーは1942年3月17日、イリノイ州シカゴに生まれた。
高圧的な父、ジョン・スタンリー・ゲイシーは息子を決して愛する事はなかった。ゲイシー・シニアはジョンの姉と妹を可愛がったが、病弱なジョンは虐待し続けた。
それどころかジョンの病弱を同情を誘おうとしている演技だと決め付け「女々しいガキ」「このままだと、将来はホモになる」と罵った。
彼は成人するまで父から謂れなき非難を浴び続け、その云い逃れをしながら生きてきたのである。
ジョンは父に認められる為、父の為に傷つけられた自尊心を取り戻すために一生を捧げた、といっても言い過ぎではないだろう。
しかし、ゲイシー・シニアは彼のことを決して認めようとはしなかった。

ジョンはハイスクール卒業後、一時家を出てラスベガスで働き、その後実家に戻りノースウェスタン・ビジネス短期大学に入学、無事卒業する。
卒業後はナン・ブッシュ・シューカンパニーに入社、マネージャー見習いとして働き始めた。
話好きで仕事熱心なジョンはたちまち出世し、大きな紳士用品店の店長を任されるようになる。
ジョンは「自分の仕事に対する熱意の前には小太りでチビという肉体的欠陥など何の障害にもならない」とすっかり自信をつけ、
1964年9月、同僚の美人社員マリリン・マイヤーズにプロポーズし、ゴールイン。マリリンの父親は地元ではかなり成功した実業家である。
この一帯のケンタッキー・フライドチキンのフランチャイズを買収した際、やる気に満ち溢れたこの義理の息子に店の経営を任せたのは当然だった。
青年商工会議所でも積極的に活動し、息子、娘にも恵まれ、名士への道を着々と歩みはじめていた。
あんなにジョンを罵っていたゲイシー・シニアも、ジョンの事を認め始めていた。
若き日のゲイシー
ところが、そんな或る日のこと、彼は少年に性行為を強要したかどで逮捕されてしまう。
ジョンを尊敬していた同僚達や地元の人間達は驚いたが、彼はこれまでも同性愛嗜好があるのを隠そうとしてはいなかった。
マネージャー見習い時代に酔った勢いで同僚と男色関係を結び、以来そっちの世界にのめり込んでいたのだ。
ケンタッキー・フライドチキンの店長になってからは、アルバイトの少年達にも常習的に手を出すようになっていた。
ジョンは懲役10年の禁固刑の判決を受ける。判決が出た次の日妻マリリンは離婚訴訟を起こした。
ジョンは全てを失い、彼を認めつつあったゲイシー・シニアも、失意のうちに死亡した。
しかし、男性矯正施設内では極めて礼儀正しく模範囚人として過ごしたジョンは、わずか一年半で保釈される。
(施設内では『自分は同性愛者ではない』と強調していた為『ジョンは仕事のライバルの罠にかかりデッチ上げで有罪にされた』と信じる者も大勢いたという)
1970年、出所したジョンは地元シカゴに戻り、デス・プレーンズでPDMコントラクターズという建設・リフォーム業の会社を始めた。
かつてのやり手ビジネスマンの腕前は健在で、会社は順調に売り上げを伸ばして行った。
そして1972年6月1日、高校時代のクラスメイト、キャロル・ホッフと再婚したが、またしても離婚。
(実はキャロルと結婚する7ヶ月前にすでに最初の殺人を犯し、死体を床下に埋めている)

発覚:悪夢の床下
その日はゲイシーは出頭せず、結局コゼンクザック警部補は丸一日待ちぼうけを食らせられた。
警部補が翌日署に出勤すると「ゲイシーが泥だらけの服で午前3時30分に出頭してきましたよ。警部補が帰ったあとだったので、ゲイシーも帰りましたが」と聞かされた。
翌々日再出頭したゲイシーは「雪に車が埋まってしまい行くのが遅れた」と詫びた。しかしロバート少年については相変わらず知らぬ存ぜぬ、の態度を貫いていた。
ゲイシーは別に急ぐ様子もなく「自分の会社は200万ドル以上(当時のレートで7億2000万円以上)の年収がある」「民主党の有力議員に懇意にさせてもらっている」
などと身振り手振りで自慢話を始めた。
ピックウェル刑事がゲイシーの会社の繁栄ぶりやボランティア活動などおだてて話を聞いている間に、コゼンクザック警部補はゲイシーの家の捜査令状を手にいれた。
15時30分、ゲイシーに捜査令状が出た事を告げ、自宅の鍵の提出を求めた。
動揺した様子もなく落ち着き払った態度で鍵を渡すゲイシーに、警部補は「ロバート少年の遺体はコイツの家にはないな」と感じた。
確かにゲイシーの家に少年の遺体はなかった。しかし踏み込んだ捜査陣はゲイシーの家中を見て、疑惑が完全に確信に変わった事を実感した。
家中のあらゆるところにゲイのSM関連の写真集やポルノ雑誌やロープ、手錠、巨大な張型が散乱していたのだ。
ゲイシーの部屋に、例のドラッグストアのレシートがあった。捜査陣はこれを証拠として押収した。
これはロバート少年のガールフレンド、キムことキンバリー・ベイカーズがフィルムの現像を頼んだもので、キンバリーは
「そのレシートはロバートから借りたジャケットのポケットに入れておいたものに間違いありません」と断言した。
彼女はレシートの上にふられる2桁の番号までも記憶していたのである。
これで少年がゲイシーの家を訪れた事は立証され、同時に少年の生存の可能性は非常に厳しいものになった。
おそらく、警部補が尋ねた時はまだ少年の遺体は家にあったのだろう。「自分が引き返した後、どこかに遺棄したに違いない。いつ?」
日中に死体を遺棄するなんて危険な真似をするとは思えない。夜になってからどこかに運んで捨てたのだろう。
だとしたら約束をすっぽかし、午前3時になって泥だらけで出頭したのもうなずける。
ヘリコプター、警察犬を使って山狩りが行われたが、少年の遺体は発見されなかった。ひょっとして、デス・プレーンズ川に捨てられたのだろうか?
一方、自分が重要参考人としてマークされていると分かったゲイシーは、次第にイラつきを見せ始める。
会社の共同経営者である友人ドナルド・クザーナに「麻薬の不法所持を疑われている、警察が自宅前で張り込んでないか見てくれないか」と頼むこともあった。
捜査を進める内、ゲイシーはシカゴ界隈の同性愛者を相手にする、いわゆる「男娼」達の間では、非常に評判が悪い事も判明した。
手錠をかけて殴りつけられたり、レイプまがいのプレイをするなど、相手に苦痛を与える事で快感を得るタイプだというのである。

一週間ほどして、ゲイシーはあてもなく長距離ドライブに出かけ、帰ってくると尾行していた警官2人を自宅に招きいれた。
ゲイシーにとって、この行動は完全に命取りになった。ロバート・シュルツ巡査は暖房の効いた部屋に入った瞬間、異様な甘酸っぱい臭いに気がついた。
明らかに死体の臭いである。
前回の家宅捜査では暖房が入っていなかった為に、捜査陣はこの臭いに気づかなかったのだ。
報告を受けた警部補は、今こそゲイシー逮捕の時だと確信した。異臭は暖房ダクトから出ており、死体が家の地下に隠されているのは間違いない。
12月21日、警察はゲイシーの車を囲んで包囲し、マリファナ所持の容疑で身柄を拘束した。
尾行している警官の前で、駐車場の係員にマリファナを手渡すところを目撃されたのだ。
(ゲイシーは何故こんな自殺にも等しい事をしたのか。前回のテッド・バンディ同様殺人を止めたい、捕まりたいという無自覚な願望が、ゲイシーにもあったのだろうか?)
自宅に連れてこられたゲイシーは「今から床板をめくって床下を捜索する予定だ」と聞かされ、「そんな事をする必要はない!」と血相を変えた。
捜査チームをガレージに案内し「以前正当防衛で男を殺してしまい、床下に埋めコンクリートを打った床に十字架を書いた」と告白したのである。
しかしゲイシーの言葉を真に受ける程警察は甘くなく、技官の到着と同時に床下の捜査を開始した。
(実際はガレージの床のコンクリートの下からも死体は発見されたが。しかも前述のジョン・ブツコビッチの遺体を含め1体ではなく3体も)
床下から凄まじい異臭のする黒い水をポンプで吸い出し、掘削機で泥をかき回した。やがて人間の腕の部分と思われる骨が掘削機の先端に引っかかった。
掘削に当たった技官ダニエル・ジュンティはコぜンクザック警部補を呼び、こう告げた。
「これでゲイシーに殺人容疑を追加出来ますよ」
死体置き場と化していた床下

捜査:増え続ける犠牲者
ゲイシー宅に次々と到着するパトカーに、近所の住民は大騒ぎとなった。
ゲイシーが警察から嫌疑を掛けられているのは本人も語っていたが、それはあくまで麻薬所持の疑いであり、ゲイシーも「一切身に覚えがない」と憤慨していたからだ。
だが、PDMコントラクターズの共同経営者のドナルド・クザーナは、ゲイシーが少なくとも麻薬所持よりも重罪を犯したのは分かっていた。
逮捕される直前にクザーナを尋ね

「もうお終いだ、男を30人くらい殺してしまった…でも仕方なかったんだ。全員死んで当然の奴らだったんだ…」

とクザーナの肩を抱いて泣き出したからである。
遺体からでる有毒ガスと汲み上げても汲み上げても湧き出てくる地下水、シカゴの冬の寒さのせいで、遺体の採掘作業は凄惨を極めた。
採掘チームにはガスマスクと使い捨ての作業着が渡されたが、それでも気分が悪くなったり、倒れたりする作業員があとを絶たなかった。
傷口から有毒ガス、細菌が入って感染するのを防ぐため、電気ヒゲ剃り機を持っていない作業員は、ヒゲは作業を終えてから夜に剃るように厳命された。
(夜だとウッカリ切っても朝には切り傷が治っているからである)
作業終了後は、消毒薬で体を清めるのが義務付けられた。
しかしそれでもデス・プレーンズ警察は「遺体が見つからなくなるまで堀り続ける」との声明を発表した。
5年前、テキサス州ヒューストンで、やはり同性愛者のディーン・コールという男のボート小屋から、次々に少年の遺体が発見され最終的に27人に及んだが、
ゲイシーの殺害記録はコールを上回る勢いだった。
10体の遺体が発見され、次の日には6体、という具合である。
前述の通りゲイシーはキャロル・ホッフと結婚する7ヶ月前にすでに最初の殺人を犯していたが、キャロルと離婚してからは殺人のペースが異様な勢いで早くなっている。
ゲイシーは被害者の多くの身分証明や運転免許書をそのまま持っていた為、大部分の犠牲者の身元を確認する事が出来た。
おかげで11月にデス・プレーンズ川から全裸遺体で発見され、指紋を頼りに身元が判明したヒゲの若者フランク・ランデンギンも、ゲイシーの犠牲者である事が判明した。
ゲイシー宅の床下、ガレージ、庭から計29名の遺体。そしてデス・プレーンズ川からは事件発覚のきっかけとなったロバート少年を含む計4名の遺体。
(ロバート少年の遺体は翌年1979年の4月末、イリノイ川のドレステン・ダムで発見された)
合計33人にも及ぶ、前代未聞の殺人が明るみになった。
被害者の少年たち
ゲイシーによると、最初の犠牲者は彼が「グレイハンド・バス・ターミナルの少年」と呼んでいた、18歳くらいの身元不明の少年だそうである。
この少年と「ロマンチックな夜」を過ごした翌朝、目を覚ますとその少年がナイフを持って立っていた。驚いたゲイシーは乱闘になり、その少年を逆に刺してしまう。
台所にいったゲイシーは、サンドウィッチが作られていたのを見て愕然とした。
少年はゲイシーの為にサンドウィッチを作ったあと、たまたまナイフを持ったままゲイシーを起こしにいった為、
恐るべき誤解を生んでしまった─────というものらしい。
死体を床下に隠したのは、性犯罪の前科があったので偶発的な事故だといっても警察は信じてくれないだろうと思ったから、だという。

裁判:精神異常か、性格異常か
アメリカ中が注目する中、米国屈指の裁判官として知られるルイス・B・ギャリッポ判事を裁判長として、1980年2月6日にゲイシーの裁判は始まった。
ゲイシーは多くの殺人は正当防衛だ、少年達は望んで性行為をしたと言い張ったが、弁護側は「そんな主張は陪審員の神経を逆撫でするだけだ」として、
精神異常を訴える作戦に出た。
ゲイシーが刑務所内で書いたピエロに扮した自分の自画像
ゲイシーは2人目からは全て絞殺しているが、多くの殺害方法は「少年達が首にかけていたロザリオにボールペンをいれゆっくりねじって窒息させていく」というもので、
証人喚問での捜査員の説明を聞いて、気分が悪くなり退廷する陪審員もいた。
一ヶ月間、検察はゲイシーは悪人、弁護団は精神異常という主張をずっと続けたが、ゲイシーが精神異常という弁護団の主張には、精神科医ですら同意出来なかった。
陪審団はわずか2時間の協議で検察の主張を支持し、ゲイシーに有罪の評決を下した。
3月12日、ギャリッポ判事はゲイシーに死刑を言い渡し、法廷内は拍手喝さいに包まれたという。
ゲイシーも必死に抵抗を見せ「事件は自分の成功を妬む人間と警察のでっち上げ」として何度も再審請求をしたが棄却され、死刑が確定した。
1994年5月10日、ゲイシーは薬物注射にて処刑された。
その際薬物の分量に手違いが生じたのか、ゲイシーは窒息するまで意識を失わず、約18分間苦しみ抜いてから絶命したのである。
14年前の裁判で検察側のリーダーを務めたウィリアム・カンクル検察官はこの事について

「被害者の多くはもっと苦しんで死んだのだ。それに比べたらゲイシーの苦しみなんてまだ足りないね」

と冷淡にコメントした。
尚、ゲイシーが最後の晩餐として希望した食事はケンタッキーフライドチキン、フライドポテト、イチゴ、コーラと、若き日の成功を象徴するものばかりだった。

後で明らかになったが、いかなる事においても常に自分を正当化したがるゲイシーは、弁護団が無罪に繋がる弁護をせず精神異常で切り抜けようとした戦法に、
いたく憤慨していたそうである。
再審請求が却下され死刑が確定した後、彼はこんな台詞を吐いている。

「俺はとんでもなく恐ろしい事をやったけど、いい事だってたくさんやっているんだぜ」 

参考文献
週刊マーダーケース・ブックNo.3 シカゴ連続少年殺人事件 (デアコスティーニ)
連続殺人者 (タイムライフ)
快楽殺人者の異常心理 (KKベストセラーズ)
参考サイト
+ M O N S T E R S +
殺人博物館

スポンサーサイト

テーマ:衝撃 - ジャンル:サブカル

コメント

承認待ちコメント

このコメントは管理者の承認待ちです

  • 2015/06/02(火) 23:57:51 |
  • |
  • #
  • [ 編集 ]

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://bizarremurdercase.blog.fc2.com/tb.php/4-2f52b618
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

FC2Ad

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。