世界を驚かせた奇怪、猟奇的な殺人事件の数々、そしてその犯人。科学では解決できないミステリー現象。それらを紹介していくブログです。

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67人もの命を奪ったフリーウェイ・キラー 人間狩猟ドライブ旅行

本名ランドルフ・スティーブン・クラフト 通称ランディ・クラフト

「彼がフリーウェイ・キラーだったのは他の人には晴天の霹靂だったかも知れません。けど、私はそれほど驚きませんでした」
(クラフトが同性愛者でSM趣味を持っているのを知っていた学生時代の友人スティーブン・マンリー)

1970年代、コンピューター産業の目覚しい発展。
プログラマーだったランディ・クラフトは、エグゼクティブ・チーフという役職にまで出世し、年収5万ドル以上(当時のレートで1800万円以上)もの高給を得ていた。
中古車とはいえ毎年のように車を買い替え、やはり中古とはいえ庭付きの一戸建てを現金一括で購入したりと、まったく生活に困る事はなかった。
しかし、クラフトはそんな自分の地位・収入を決して鼻に掛けたりせず、部下思い、仲間思い、友人思いで知られ、物静かで礼儀正しくウソを付かない誠実な男と評判で、
(クラフトがゲイである事は知っていたが)職場の同僚も、そしてゲイ仲間も「ランディは典型的なアメリカン・ボーイだ」と認めていた。
フリーウェイ・キラーことランディ・クラフト
だが、典型的なアメリカン・ボーイの正体は、米国犯罪史上でも最悪級の同性愛連続殺人鬼「フリーウェイ・キラー」だった。

発覚:助手席に死体を乗せてドライブする男
「13日の金曜日」から日付が変わった1983年5月14日土曜日、午前1時。
サンディエゴ・フリーウェイの通称で知られるインターステート・ハイウェイ5号線をパトロールに当っていたマイケル・ハワード巡査と相棒のマイケル・スターリング巡査は、
蛇行運転している茶色い79年型トヨタ・セリカを見つけ「やれやれ、またか」とため息をついた。
本日2人目の飲酒運転者を捕まえるべく、パトカーの赤色灯のスイッチをいれ、件のセリカを追跡。セリカは70kmから50kmくらいに減速したが、停止する気配はない。
スターリング巡査がヘッドライトを点滅させ、サーチライトでセリカを照らすと、運転手は後部席からジャケットを掴み、助手席に放り投げるのが見えた。
堪忍袋の緒が切れたスターリング巡査が拡声器で停止を命じると、セリカはようやく停止した。
セリカから降りてキビキビと近づいてきた薄茶色の髪でヒゲを生やした眼光鋭き男を見て、2人の巡査はピンと来た。
普通こういう場合停止を命じられたドライバーは見つかるとマズイものでも車内にない限り、まず自分から降りたりはしない。
きっと飲みかけのビールか何か車内にあるのだろう。案の定、男は車から降りる時、半分中身の入ったビール瓶を路上に捨てていた。
もっともこの時路上で割れたビールの瓶など、あとから出てくる凄まじい『重要な証拠物件の数々』に比べたら、まったく大したものではない事を、
両巡査はのちに思い知る事になるのだが。
男はランドルフ・スティーブン・クラフトと名乗った。38歳で、コンピューターのプログラマーだという。
クラフトはビールを3、4本飲んだのは認めたが、自分は酔っていない、シラフだ、と言い張った。
それならばとスターリング巡査はクラフトにフィールド・ソプライアティ・テスト(縁石を真っ直ぐ歩けるかのテスト)を命じた。
クラフトは真っ直ぐ歩く事が出来ず、スターリング巡査は規約通りにクラフトに手錠をかけた。
そしてクラフトに身柄を拘束した事を告げている間に、セリカの助手席に同乗者がいるに気づいたハワード巡査は、何度も窓ガラスをコンコンと叩いた。
(アメリカの警察はレッカー車を呼ぶ経費と時間を節約するため、同乗者が酒に酔っていなくて車の免許がある場合同乗者に運転させて帰すのが大部分である)
まるで反応がなく、イライラしたハワード巡査は大声で怒鳴り、窓ガラスを強く叩いたが、それでも反応はない。
助手席でぐったりしている若者は膝にジャケットをかけ、眠っているようだった。
クラフトに同乗者の名を聞いても、途中で拾ったヒッチハイカーなので知らないという。助手席のドアはロックされていたため、ハワード巡査は運転席側から車内を見渡した。
床には何かの錠剤の瓶が2本、ビールの空き瓶が数本落ちていた。運転席には刃渡り13cmくらいの、折り畳み式の狩猟用ナイフが置いてあった。
逮捕時のセリカの内部
おそらく助手席の男は寝ているのではなく、薬とビールのチャンポンで酔いつぶれているのだろう。
ハワード巡査はうんざりして「ちょっとキミ…」と若者の腕を掴んだが、その瞬間思わず後ずさった。腕はダラリとして冷たく、体温がまるで感じられない。
「この若者は生きているとは思えない」ハワード巡査は薬瓶とナイフを車のルーフに置き、運転席側から手を伸ばして助手席のロックを解除した。
若者の脈をとり、瞳孔を確認した。間違いない、この若者は死んでいる。
膝のジャケットを取り除くと、ジーンズのチャックは下ろされて、性器が完全に露出していた。死んだ時に尿が漏れたらしく膝は濡れ、両手首は靴紐で縛られていた。
首には若者自身のベルトで絞めた跡が鮮明に残っていた。
その若者はテリー・リー・ギャンブレルという25歳の海兵隊員だったが、サドルバック・コミュニティ病院に搬送され、当直医が生命徴候を検査。
5分もしない内にギャンブレルの死亡が宣告された。
逮捕直後に保安事務所が発表したクラフトの顔写真
午前3時45分、ジム・サイドボトム捜査官の自宅の電話が鳴った。
サイドボトム捜査官がオレンジ郡保安官事務所に勤務してから25年、殺人事件で真夜中の電話で起こされるなど日常茶飯事だった。
電話の主は「身長178cm、体重73kgくらいの同性愛者と思われる不審な男の身柄を拘束しています」と告げた。
さらに「男は車の助手席に若い海兵隊員の死体を乗せていました」との言葉に、サイドボトム捜査官の眠気は完全に吹き飛んだ。
捜査官はついに、長年探し続けていたフリーウェイ・キラーが『御用』になったと確信した。

過去:アメリカン・ボーイの仮面
ランディ・クラフトことランドルフ・スティーブン・クラフトは1945年3月19日、カリフォルニア州のロングビーチで生まれた。
幼少時代はおとなしい子供で、3人の姉に可愛がられて育てられた。
ランディは1960年にウエストミンスター高校に入学。
明るく活発で話術も巧みな人気者、勉強もテニスも優秀な文武両道少年で、秀才の誉れも高かった。1963年に390人中10位という素晴らしい成績で高校を卒業する。
高校卒業後、クレアモント男子大学(現クレアモント・マッケナ・カレッジ=CMC)に入学。ROTC(部隊を訓練している予備役将校)に加わっている。
ランディは大学でも相変わらず典型的アメリカン・ボーイを演じ、経済学で学士号も得るが、高校時代から隠していた同性愛嗜好を押さえきれなくなり、
この頃からオレンジ郡にある同性愛者の溜まり場として知られる「ザ・マグ」という店でバーテンのアルバイトを始める。
キャンパスには「ランディはゲイだ」「ゲイのSMパーティーに出入りしている」という噂が流れ始め、1967年、ついにランディは自分が同性愛者である事を公表した。
1968年、ランディは米空軍に入隊し、カーン郡のエドワーズ空軍基地に配属された。知能テストでIQ129を持つことが判明し「非常にインテリジェンス」と評価されている。
だが1年後、ランディは「医学的理由」で空軍を退役した。
空軍時代のクラフト
軍隊から戻ったランディはバーテン業を再開しながら、カリフォルニア州立ロング・ビーチ大学の社会人育成コースで、夜間聴講生としてコンピューター・プログラムを学び、
やがて高収入の仕事を手にいれる事になる。
1975年には見習いパン職人のジェフ・シーリグと知り合い、2人は1976年初めには同棲を始めていた。

そしてランディが空軍を退役してプログラムを学び始めた1970年代初頭から、カリフォルニア州のフリーウェイ(高速道路)の脇から、
若い男性の絞殺死体が次々に発見されるようになった。
死体はいずれも狂人の所業かと思うようなむごたらしい拷問の痕があり、正体不明の殺人鬼を付近の住民はフリーウェイ・キラーと呼んで恐怖した。
1977年7月、パトリック・カーニーという男が自首をする。
パトリック・カーニー
カーニーは同性愛者を射殺し、死体をバラバラにして黒いゴミ袋に詰めフリーウェイの脇に捨てたのは認めたが、

「自分の殺害方法はいつもピストルでの射殺だ。サディストではないから、被害者を拷問した事はない」

と絞殺死体、拷問されている死体に関しては自分は無関係だ、と主張した。
カーニーは司法取引に応じ終身刑となった。最終的に73年から77年の自首までに32人の命を奪ったのをカミングアウトしている。
1980年6月、ウィリアム・ボーニンという男が逮捕され、自身がフリーウェイ・キラーである事を認めた。
ウィリアム・ボーニン
最終的に41件の殺害を自供し、10件の第一級殺人で死刑判決を受けた。
しかし、カーニー、ボーニン逮捕後も、フリーウェイの脇や砂漠の茂み、荒地から発見される若い男性の変死体が、後を絶たなかった。

捜査:史上最悪の連続殺人鬼
サイドボトム捜査官は、ただちに行動を開始した。
まずはランディ・クラフトの自宅と車を捜査するための令状を取るため、州最高裁判所判事のリチャード・ビーコムを叩き起こした。
令状無しでも捜査は出来たが、違法な手段で証拠を集めたら裁判ではその点を必ず弁護側に突かれる。捜査官としては、その手の失策は極力避けたかった。
(筆者注:クラフトは1970年3月、当時13歳のジョゼフ・ファンチャーを自宅に監禁し、アルコールと薬で意識朦朧にしてから何度も強姦している。
隙を見てファンチャーは逃げ出しクラフトは警察に逮捕されたが、捜査令状がないまま家宅捜査したため『違法な証拠』として、結局クラフトはこの件では無罪となっている。
ファンチャーはのちにクラフトの裁判で検察側の重要証人として証言することになった)
サイドボトム捜査官とビーコム判事は「殺人事件のエキスパート」の異名をとるブライアン・ブラウン副地区検事を交えて、朝イチで捜査会議を開いた。
すぐに捜査令状が発行され、午後からジェイムス・ホワイト鑑識官と数人の係官が、クラフトのトヨタ・セリカの車内の調査を開始した。
運転席の後ろからは、ギャンブレルの皮のベルトが発見された。このベルトの幅は、ギャンブレルの首に残っていた絞殺痕と一致した。
後部座席のクーラーボックスには、開栓していないビールが数本入っていた。前夜ハワード巡査が車内で発見した空のビール瓶の他に、薬瓶が何本か見つかった。
精神安定剤のバリウム、抗うつ剤のプラプロノロール、狭心症や偏頭痛の治療に使うインデラルという鎮静剤など、合計9種類の処方箋だった。
さらに何度も読み返したらしい、ヨレヨレになったペーパー・ブックも見つかった。
タイトルは『処方薬の必須知識:安全に薬を使用する為に』で、クラフトが薬とアルコールを一度に摂取した際の副作用について、知識を得ていたのは明らかだ。
ホワイト鑑識官が運転席側のフロアマットを上げてみると、若い男性の写真が47枚入った封筒が出てきた。着衣の写真もあれば、裸の写真もある。
例外なく意識が朦朧としているような表情で、中には死んでいるとしか思えない写真もあった。多くが髪を軍隊式の短かい刈り込みにしていた。
さらにショッキングな事に、助手席に血液が染み込んでいる事が分かった。ギャンブレルの死体には外傷はなかったので、この血は彼のものではない。
車のトランクを開ける頃には、捜査員達も鑑識官達も猛烈に嫌な予感に襲われていた。
トランクから発見されたブリーフケースの中身を見て、全員悪い予感が的中した事を思い知らされる。
ブリーフケースから出てきた木目柄の表紙のリングバインダーには意味不明な単語が表記してあったが、サイドボトム捜査官をはじめ捜査員達はピンと来た。
どうやら犯行の状況を思い出すための暗号のようだ。
2 IN 1 HITCH2 IN 1 BEACH という記載は、「一度に2人を殺した」という意味らしい。
単語は全部で61あり、この2 IN 1という表現は4つあり、このスコアが本当に殺人を意味するとすれば犠牲者は65名、さらにギャンブレルと、
つい最近フリーウェイ・キラーの犠牲になったと思われるエリック・ハーバード・チャーチの2名を合わせると合計67名にも及び、
クラフトは近年最悪の連続殺人鬼という事になる。
(3番目の EDM とは20歳の海兵隊員エド・ダニエル・ムーアの事のようで、ムーアはクラフトが起訴された16件の殺人の最初の犠牲者とされた)
クラフトの殺人スコア
午後5時すぎ、サイドボトム捜査官は厳しい表情で、捜査令状を片手にクラフトの自宅に向かった。しかし彼の飼い犬のマックスが吠えるだけで、ノックをしても誰も出てこない。
警察はKEEPOUTと印刷された目隠しの幕を家の外側に張り出し、証拠の押収にあたった。やがて、未解決殺人事件とクラフトを結びつける有力な証拠が次々と見つかった。
クラフトは殺人のスコアと被害者の写真の他に、被害者の遺留品を『記念』として持っていた。
バスルームからは、つい最近遺体で見つかったエリック・チャーチの電気ヒゲ剃り機と、同じくクラフトの犠牲者と見られるマイケル・ショーン・オファロンのカメラが、
この他にもランス・タッグスのショルダー・バッグとゴムぞうり、グレッグ・ジョリーのスケッチ・ブックなど次々と発見された。
夜遅く、クラフトと同棲している愛人のジェフ・シーリグが家に戻った頃には、家中がごった返し状態だった。
続々と見つかる未解決殺人事件の被害者の遺留品に、捜査員の1人がつぶやいた。

「我々はテッド・バンディジョン・ゲイシーをも凌ぐ、史上最悪の連続殺人鬼を逮捕したのかも知れない」
(筆者注:実際クラフトは殺害数ばかりでなく、残虐性、異常性においてもバンディ、ゲイシーのさらに上を行っていると思う)

写真に写っていた花柄の長椅子、そして壁の一部も、証拠として押収された。その後の調べで壁には血痕が染み込んでいるのが分かった。
日付が変わって日曜となった15日の午前2時15分。
未解決殺人事件の被害者達の大量の遺留品を含む証拠品を引越し用トラックに満載して、捜査陣はクラフトの自宅を後にした。

クラフトの愛人のジェフ・シーリグも、ただちに身柄を拘束された。
最初は捜査陣もシーリグも共犯でないかと疑っていたが(後述の理由による)、調査を進める内にシーリグはクラフトの「裏の顔」に気づかず、
何年も一緒に同棲していたようである。
シーリグは取調べに対し「ランディにはSM趣味があったが、自分の知る限りそれ以外の悪癖はなかった」と語った。
シーリグやゲイ仲間、さらにクラフトの会社の同僚への事情聴取と並行して、クラフトの自宅はすでに3度家宅捜査が行われていた。
翌週木曜にはオレゴン州、ミシガン州、ワシントン州の殺人課の捜査官達が、自分の州の未解決殺人事件の捜査に協力するため、次々にカリフォルニア入りした。
おびただしい証拠物件にはチェーン、ベルト、靴ヒモも何本もあった。
ガレージには着古したシャツが山のように積まれていたが、その内の一着はフリーウェイ・キラーにレイプされてから体中をナイフで切り刻まれて殺害された、
クリス・シェーンボーンという若者のシャツである事が分かった。
同様にフリーウェイ・キラーの犠牲者と見られる海兵隊員エド・ダニエル・ムーアのハーモニカも、クラフトの自宅から発見された。
クラフトが持っていた犠牲者の不気味な“記念写真”

殺戮:人間狩猟ドライブ旅行
1971年10月5日、警察はオルテガ・ハイウェイの脇の峡谷の底で、30歳の同性愛者でバーテンダーのウェイン・デュケッティの、バラバラ死体を発見している。
死後2週間以上経過しており死因は急性アルコール中毒で、デュケッティの衣類と所有物はまったく見つからなかった。
クラフトの殺人リストの最初の STABLE という単語は馬小屋、厩舎の意味で、デュケッティはサンセットビーチの厩舎の中のバーで働いていた事から、
デュケッティ殺害の事を指していると思われる。
(さらに当時クラフトは、デュケッティが勤めていた店の隣のゲイバーでバーテンをしており、デュケッティの店の常連客でもあった)
警察もデュケッティがクラフトの最初の犠牲者ではないか、と考えているようだ。
1975年5月8日、ロングビーチ・マリーナでロッククライミングをしていた3人の少年が、岩の割れ目に「奇妙な物体」を発見した。
まだ肉のついた人間の頭蓋骨と分かり、少年らは肝を潰した。
歯科カルテから、数週間前から行方不明になっていた19歳のキース・クロットウェルという若者のものと判明した。
クロットウェルの首から下は左腕が切断された状態で10月8日に発見された。もっとも警察がそれをクロットウェルの胴体と分かるのは1983年のクラフトの逮捕後であるが。
1975年3月29日の未明、クロットウェルはビリアードの帰りに海岸近くの駐車場で、彼女に振られて落ち込んでいた弟分のケント・メイと偶然会った。
すると2人は駐車場にいた「デニムのジャケットを着て水平帽をかぶった男」から
「何か落ち込むような事でもあったのかい、兄ちゃん? 車のクーラーボックスにビールが入っているから一緒に飲まないか?」と誘われ、
数分もせずに白黒のツートンカラーのフォード・マスタングに乗り込んだという。
メイによると、車が走り出してから2人でビールを数本空けると、例のデニムのジャケットに水平帽の男から錠剤やカプセルを手渡され、言われるままに自分は7錠、
クロットウェルは10錠ほど飲み干した、という。
その後は記憶がまったくなく、メイは気が付いたら自宅のベッドで寝ていた、というのだ。
メイの証言と目撃情報から、クラフトは何度も事情聴取を受けるが「その若者を車に乗せたのは確かだが、スーパーの前で降ろしてその後は知らない」と言い張った。
警察は重要参考人としてクラフトを逮捕するつもりだったが、検察が証拠不十分から逮捕状を発行せず、結局逮捕は見送られた。
この件がクラフトを用心深くしたらしく、また、ジェフ・シーリグと所帯をもって落ち着いたのか、クラフトは約1年間殺人のペースを緩めている。

フリーウェイ・キラーの犠牲者
冒頭に書いた通りクラフトは、1979年にはエグゼクティブ・チーフという役職にまで出世し、また「フリーランスのコンサルタント」という肩書きも持ち、
ニューヨーク、オレゴン、ミシガンなどのコンピューター会社に「技術協力のため」出張することも多く、ちょっとしたプロ・スポーツ選手並みの収入を得るようになる。
金銭的余裕が出来たクラフトは、趣味の「週末のドライブ旅行」にも出かけられるようになった。
生涯を誓い合ったシーリグとはその内喧嘩が絶えなくなり、シーリグは週末は実家に帰る事が多くなり、欲求不満を持て余すようになる。
クラフトもゲイ仲間に「週末1人残った俺はドライブ旅行に出かけて、ナンパした若者を家に連れ帰ってホモセックスを楽しむのさ」などと嘯いてた。
しかし、そのささやかなドライブ旅行こそ、まさに人間狩猟ドライブ旅行と言ってもいいものだったのである。
また、クラフトは前述の通りニューヨーク、オレゴン、ミシガンなどのコンピューター会社にドライブ旅行がてら出張したが、彼の行動範囲には海兵隊基地がいくつかあり、
クラフトの「獲物」の大部分は若い、マッチョな海兵隊員だった。
彼らの大部分も週末は実家に戻ることが多く、その手段にはもっぱらヒッチハイクを利用するのが大半である。
不幸にもフリーウェイ・キラーが運転する車に同乗した隊員たちは、例外なく無残な死を遂げた。
クラフトは車にビールを入れたクーラーボックスを置いてあり、ヒッチハイクで拾った若者にはいつも

「ずっと立ちっ放しで喉が渇いただろ。後ろのクーラーボックスにビールが入ってるから、好きなだけ飲んでいいぜ?」

とビールを勧めるのが手口だった。
若者は「車に乗せてくれるだけじゃなくビールまでご馳走してくれるなんて気前のいい人だ」と感激し、ついつい2本3本とビール瓶を空にしていく。
若者がすっかり出来上がったところで、今度は薬を飲むように勧めるのである。
酔いが回りいい気分になった若者は「お、今度は麻薬か幻覚剤か何かかい?」と言われるままに錠剤、カプセル薬を飲み干す。
そして副作用が出て意識朦朧としたところで若者の靴のヒモを奪い両手首を縛り上げ、レイプし、拷問し、そして最後に絞殺するのである。
拷問の方法も両目、両乳首をシガレット・ライターで焼く、眼球を抜き取る、狩猟用ナイフで体中を切り刻む、針金で耳の中をメッタ突きにするなど身の毛もよだつようなもので、
中には気官に土が押し込まれていた遺体もあったという。
また多くの被害者の性器は噛み千切られるか、切り落とされていた。いずれも被害者がまだ生きている内に行われたものであるのを、付け加えておく。

裁判:一切を黙秘
米国犯罪史上最悪の連続殺人鬼の公選弁護人というありがたくない役目を負う事になったのは、オレンジ郡で検事を務めた事もあるタグ・オットー弁護士だった。
オットー弁護士はこの裁判が予審から長期戦になるのを予想していた。検察が67件の殺人容疑の一括審理に出ることはありえないからである。
一括審理では無罪になる恐れがあり、必ず有罪に出来る確率の高い件から小出ししていくはずだ、と。
クラフトは裁判に備えて髪を整えヒゲも剃り落とし、自分が主人公の法廷ドラマを楽しんでいるような感じだった。
予審での検察側の証人喚問中には、薄ら笑いすら浮かべる事もあった。
しかし、クラフトは自分の事がメディアの一大イベントになっている事を、内心は非常に辛く思っていた。
恋人だったジェフ・シーリグは8年間連れ添った相手が怪物さながらの殺人鬼だった事にショックを受け、すでにクラフトの元を去っていた。
逮捕直後は元気付けようと面会に訪れた友人・ゲイ仲間も、次第に来なくなった。
フリーウェイ・キラーの67件の殺人の内、22人は身元が判明しておらず、証拠不十分で無罪にしてしまうような失態を避けたい検察は、身元が判明している45人の中から、
まず確実に有罪に持ち込める可能性のある16件の殺人容疑について、クラフトを起訴する事にした。
クラフトが留置されてから5年後の1988年9月26日、ようやく公判が始まった。クラフトと弁護側は、検察側が上げた証拠は全て状況証拠に過ぎないと無罪を主張した。
公判中の不安げなクラフト
そしてクラフトは、アメリカ合衆国憲法修正第5条「自己に不利益となる供述を強要されない権利・他4つ」を盾に、一切の証言を拒否した。
1989年8月3日、陪審員は死刑を勧告、11月29日、裁判長のドナルド・A・マッカーティン判事も死刑判決を言い渡した。
判決を言い渡す際マッカーティン判事は「被告は合衆国始まって以来5本の指に入る凶悪連続殺人犯だ」とクラフトを評した。
判決の瞬間、フリーウェイ・キラーは苦々しい表情を浮かべた。

死刑囚達が収監されるカリフォルニア州のサン・クエンティン刑務所で、クラフトは他の3人の死刑囚と、朝のトランプゲーム(ブリッジ)を楽しんでいた。
5件の強姦殺人を犯し、被害者の首に針金を巻きつけプライヤーで締めて絞殺していた事から「ザ・プライヤー」の異名をとったローレンス・ビッテイカー(のち紹介予定)、
「サンセット通りの殺人鬼」ことダグ・クラーク、「もう1人のフリーウェイ・キラー」ウィリアム・ボーニンである。
他の3人の被害者数の合計を上回る命を1人で葬ったクラフトは、ブリッジでも圧倒的な強さを誇ったという。
2度の再審請求も棄却され、2000年8月11日、クラフトは死刑が確定。
2007年6月時点でのクラフト

尚、警察が当初ジェフ・シーリグを共犯者として疑った理由として

・いくつかの死体の周りにあった足跡が、クラフトと被害者以外のものもあった
・被害者の海兵隊員の何人かは200ポンド(90kg)前後の体重の者もおり、誰にも見つからずクラフト1人で死体を遺棄するのは困難ではないか?
・クラフトの家には暗室もないし、彼自身も写真の現像知識はない。
よってあの47枚の不気味な『記念写真』はクラフトではなく別の人間が現像したという事になるが、もし写真屋なら不審に思って警察に届けるのではないか?
・1988年からDNA鑑定が導入されたが、死体に残っていた精液からクラフト以外のDNAも検出された

以上の点であり、何件かはクラフトの単独犯ではなく『写真現像の技術がある共犯者がいたのでは?』という説が、かなり有力になってきているようだ。
検察側もクラフトを有罪にするのが最優先だったため「共犯者がいた可能性のある殺人の起訴は見送った」と認めている。
(1986年7月にエイズで死亡したため起訴される事はなかったが、かつてクラフトが2年間同棲した事があるジェフ・グレイヴスも共犯の疑いが持たれている)

2012年3月20日、1974年にロングビーチで発見された身元不明死体155号が海兵隊員オーレル・アルフレッド・スチュアート・ジュニアと判明。
当時18歳だったスチュアート・ジュニアはペンドルトンでのキャンプからデューティに戻る途中に行方不明となり、以後海兵隊は37年間脱走兵としていた。
海兵隊は脱走兵扱いを取り消し「ミスター・スチュアート・ジュニアを名誉除隊とし、彼の葬儀を執り行う」と発表した。
兄のカール・スチュアートは「弟はランディ・クラフトの餌食になったのではないか」と指摘し、警察もこの意見には同調している。
しかし、クラフトは未だに「司法のミスによって無実の人間が死刑になろうとしている」「メディアは何一つ真実を報道していない」という主張を続けている。
そして、この記事を書いている時点で─────フリーウェイ・キラーの死刑が執行されたという話は、まだ聞かない。

参考文献
週刊マーダーケース・ブックNo.61 地獄のフリーウェイ・キラー 人間狩りドライブ (デアコスティーニ)
快楽殺人者の異常心理 (KKベストセラーズ)
参考サイト
殺人博物館
LosAngeles Times 『ランディ・クラフトのスコアカード?』 

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