世界を驚かせた奇怪、猟奇的な殺人事件の数々、そしてその犯人。科学では解決できないミステリー現象。それらを紹介していくブログです。

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愛に飢えた孤独な首狩り巨人

本名エドマンド・エミール・ケンパーⅢ世 通称エド・ケンパー

「彼女達は死に、僕は生きていた…僕が勝ったんだ…」(エド・ケンパー)

父、そして母にも見放された孤独な巨人。それがエド・ケンパーだった。
米犯罪史上最も話題を呼んだ殺人鬼エド・ケンパー
2m6cmの長身と、人並み外れた高い知能指数。しかし、ケンパーはそれを連続殺人以外に活かす事が出来なかった。
ケンパーは今で言う「社会の負け組」だった。その巨体に似合わず本質的に臆病で、負け組である事に打ちひしがれて暮らしていた。
やがて彼は、自分を爪弾きにする社会に対し、復讐を計画するようになる。
遺体切断、屍姦、人肉食。ケンパーは米国犯罪史上最も話題を呼んだ殺人鬼として、その名を残す事となった。

発覚:ビッグ・エドの自首
1973年4月24日、午前5時。サンタ・クルーズ警察に電話がかかって来た。電話に出たコナー巡査に電話主は「女子大生殺しだ」と告げた。
その日は電話の接続状況は悪く、それは電話主にも分かったらしい。彼はもう一度声を張り上げた。

「いいか、もう一度言うぞ。これはイタズラ電話ではない。俺が女子大生殺しの犯人だ」

電話主はエド・ケンパーと名乗った。
現在コロラド州のブエブロの町の公衆電話から電話をかけている事と車のナンバーを教え、そしてこれまで実の母を含め8人の女性を殺害した事を告げた。
コナー巡査がそこに警官を向かわせる、というと、ケンパーはヒステリックに叫んだ。

「嘘じゃないだろうな!? トランクには弾が200発以上と銃が3丁入ってるんだ。俺ですら近寄りたくないくらいだ」

どうやらこのケンパーという男のいう女子大生殺しとは、ここ一年ほどサンタ・クルーズで起きている女子大生連続バラバラ殺人事件、らしい。
ケンパーは母親の家の住所を教え、自分が殺した母とその友人の遺体があるのでマイク・アルフィ巡査部長を調べに行かせてほしい、と頼んだ。
アルフィ巡査部長は数週間前、ケンパーの銃の購入申込書について所定の質問を行う為に母親の家を訪ねてきた警官だった。
ケンパーの話がイタズラ電話の類ではない事、彼の異常に興奮した精神状態からしてトランクの銃を使ってさらなる凶悪犯罪をしでかす可能性のある事は明白だ。
「コロラド警察は一体何をモタモタしているんだっ!?」コナー巡査はハラハラしながらケンパーに極力しゃべらせ、彼との話を引き伸ばしていた。
犠牲者の遺体の隠し場所について話していたケンパーは、出し抜けに叫んだ。「やっと来やがった。おっと、こっちに向かって銃を構えてるぜ!」

ケンパーが自首したその日の内に、サンタ・クルーズからコロラドに捜査関係者一団が流れ込んできた。
その中にはアプトスのケンパーの家で母親の遺体を発見したアルフィ巡査部長、ケンパーの飲み仲間で「親父のような存在」と慕っていたシェラー警部補
ピーター・チャン地区検事も含まれていた。
彼は法的権利の全てを放棄し、テープに向かって話し始めた。言い淀んだり、躊躇したり、言葉を濁すような事は一度も無かった。
一方、ケンパーがいつもたむろっていたバー『ジェリー・ルーム』や他の飲み屋での飲み仲間は、ケンパーが女子大生殺しの犯人だとは信じられなかった。
彼は暴力を嫌がる理性的で心優しき大男というイメージがあり、ビック・エドの愛称で親しまれていたのだ。
尚、カリフォルニアからではなく、コロラドから自首の電話をした理由について、ケンパーはこう語っている。

「カリフォルニアの警察なら問答無用で俺を射殺するだろう、その暴力が俺には怖かったんだ」

刑事に手錠を直してもらうケンパー。憎き母を殺して嬉しそうな表情
サンタ・クルーズに戻ると、ケンパーは細部に関する自分の観察力と記憶力を誇示するかのように、さらに長時間かけて自白した。

過去:心をコントロール出来なくなった15歳の少年
エド・ケンパーことエドマンド・エミール・ケンパーⅢ世は1948年12月18日、カリフォルニア州バーバンクに生まれた。
父のエドモンド・エミール・ケンパー・ジュニアは身長2mを越す大男、母のクラーネル・ケンパーも180cmを越す大女だった。
父ケンパー・ジュニアは第二次世界大戦で数々の武功を上げたが、軍退役後は電気技師をしていた。
ケンパー・ジュニアは巨漢にもかかわらず気が弱く、いつもガミガミと口喧しい母に押され気味だった。
クラーネルは「アンタは大学を出てないから稼ぎが悪い」といつもケンパー・ジュニアを罵った。
ケンパー・ジュニアも大声でこれに対抗し、ケンパー家はいつも夫婦喧嘩が絶えない険悪な家庭環境だった。
クラーネルに遂に我慢ならなくなったケンパー・ジュニアは、エドが7歳の時に離婚、妻子を捨てて家を出た。
幼いながらもどちらが悪いか判っていたエドは、心の中での母への憎悪を募らせて行った。この直後からエドに、次第に奇行が目立つようになる。
猫を殺して首を切断し、その首に向かって「どうか母を殺してください」と頼み込んだり、5歳年上の姉の人形をバラバラに切り刻んだこともあった。
また、8歳の時にエドは担任の女性教師に恋を感じ、「僕、先生にキスしたいんだ」と姉に打ち明けた。
「すればいいじゃない」姉が返答すると、エドはこう答えたそうである

「でも、そのためには先生を殺さなきゃならないんだ」

人形や猫をバラバラにしたり、キスをする為に女性を殺すという発想。後年の殺人の下地が、もう8歳の時点で出来上がっていた。

エドの異常性は、母クラーネルも感じていた。早熟なエドの過剰な性欲も心配の種だった。
姉や妹と間違いを起こさないように、そして「根性を叩き直す」と称し、エドの部屋を二階から地下室へと移した。
エドは泣きながら「それだけは勘弁してほしい」と頼んだが、母はエドが夜地下室に入ると、キッチン・テーブルを重石にして、はね上げ戸を開けられないようにした。
8ヶ月続いたこの『隔離』は噂を聞いた父ケンパー・ジュニアが「止めないなら児童虐待相談所に訴え出る」と警告した事でようやく収まったが、
この「地下室の闇の中で過ごした日々」がのちのエドの狂気、そして復讐心をさらに増大させたことは間違いないだろう。
1963年11月、父に預けられ、一週間でまた母の元に送り返されたエドは家を飛び出し、また父ケンパー・ジュニアのもとを訪ね「一緒に住ませてほしい」と頼んだ。
父も渋々承諾するものの既に再婚しており、明らかにエドは邪魔者だった。
クリスマス休暇にエドを連れてノース・フォークにある祖父母の農場を訪ねた父は、エドを置いて1人でさっさと帰ってしまう。
彼はまたしても父に捨てられたのだ。父はさらに、エドの電話番号を電話帳から消した。息子に関わりたくなかったのは明らかだった。
翌年6月、エドは母クラーネルの元に戻るが、母もエドを祖父母の元に送り返した。
両親からは完全に見捨てられた形のエドは、何の面白みもない田舎の祖父母の家で、完全に打ちのめされていた。
絵本作家だった祖母は母クラーネル以上の毒舌家で、やれ「穀潰し、お前みたいなのがいると金がかかって仕方がない」だの、
やれ「何だいその気持ち悪い目つきは。父親に言いつけるよ」だの、口を開けばエドを罵った。

8月27日、もう夏も終わりに近かったが、その日は朝から暑かった。
エドは突然立ち上がり、祖父からプレゼントされた22口径のライフルを持って、「ウサギを撃ちにいってくる」と祖母に告げた。
書き物をしていた祖母は顔も上げずに「鳥は撃っちゃ駄目だよ」とエドに念を押した。
その瞬間、エドに「自分でもどうする事も出来ない、怒りに近い衝動」が込み上げ、その場で祖母に発砲した。
そして倒れた祖母を怒りに任せて何度も包丁でメッタ刺しにした。そして戻ってきた祖父も同じようにライフルで射殺した。
エドは母に電話で「お婆ちゃんが死んだ、お爺ちゃんも死んだ」と告げた。
最初は事故だと言い張ったが、すぐにエドの仕業と看破した母は「保安官に連絡するように」とエドを諭した。
エドはやがて来た保安官に逮捕されたが、殺害理由を聞かれてこう答えた。

「お婆ちゃんを撃ったらどんな気がするだろうと思っただけです」

祖父を撃ったのは「祖母の死体をみたら祖父が悲しむだろうから」だという。
精神科医から妄想型分裂症と診断されたエドは、犯罪者用の精神病院であるカリフォルニア州立アタスカデロ精神病院に収監された。
15歳で逮捕されたケンパー

殺人:家にも社会にも順応出来なかった身長2m6cmの大男
運び出される母クラーネルの遺体
ケンパーはここで5年を過ごす事になるが、元々130台後半という非常に高い知能指数を持っていた彼は、模範患者を「演じて」たちまち信用されるようになる。
医師やセラピストの質問に対し、どういう答えを言えば「治療が効果を上げている」と思わせるかも熟知し、その通りに答えた。
身長が15歳ですでに190cmを越えていたケンパーは、この手の施設特有のイジメに合う事もなく、レイプ犯罪者達との会話でその手の知識を吸収していった。
あるレイプ犯は「『絶対に警察には言わないから』なんて被害者の9割は約束を反故(ホゴ)にし、警察にタレこむ」という経験をケンパーに教え、
「犯行がバレないようにするには、被害者を生かしておいちゃ駄目だな」と彼は思った。
ケンパーは医師達を欺きながら、荒々しい性的空想に耽り、自由になれる日を待った。そして5年後の1969年12月、仮釈放委員会はついに釈放の断を下した。
彼をずっと見てきた医師達は、彼を母親のもとに返すべきではないと勧告した。ケンパーの心の闇に対する母親を存在がどんなものか知っていたからである。
しかし仮釈放委員会は、この勧告を無視したのかそれとも届いてなかったのか、ケンパーを母の庇護下においた。
この時ケンパーは身長2m6cm、体重127kgという、見上げるような大男に成長している。
それと同時に、彼の心の中の魔物も、彼自身がコントロール出来ないまでに禍々しく成長していたのだった。
精神病院から釈放されたケンパーは、サンタ・クルーズの母のもとへ落ち着いたが、「完治」と認められたケンパーは、以後一切の治療を受けていない。
彼は警官になりたかったが、身長制限があって無理だった。
高い知能指数をもつケンパーは地元のカレッジでも成績はオールAだったが、缶詰工場やガソリンスタンドの店員、その他日払いの半端仕事で働いた。
意思の弱い男を徹底的に軽蔑する母には、ケンパーの生活態度が我慢ならなかった。ケンパーと母の間には口論が多くなっていく。
母は近所をはばかって声のボリュームを下げる事もなく「お前みたいな人殺しの息子がいるから、私はもう5年も男と寝られないんだ」とケンパーを怒鳴る事さえあった。
ケンパーは母についてのちに精神科医にこう語っている。

「お袋は男以上にデカイキンタマを持った女だった。俺はお袋に少しづつ去勢されたようなもんだ」
「お袋は何でも支配したがる牝犬だ。一度俺の歯を治療する、しない、の事で口論になった事もあった」
「他の誰ともあんな凄まじい口論なんてした事はなかった。男だったらマジでブン殴ってる。でも相手はお袋なんだ」


悩みを打ち明けられる友達も出来ず、社会にも順応出来ない。家に帰れば待っているのは母親との口論。ケンパーの『居場所』はどこにも無かった。
内心はいつも怯えて暮らし、孤独と無力感に打ちひしがれる日々。
ケンパーは徐々に「自分をのけ者にする社会に対する復讐」を計画するようになる。
18ヶ月の母親の保護監督期限が切れるやいなや、ケンパーは一人暮らしを始める。彼は地元の道路局に勤め、抜け道に精通し、ナイフの収集を始めた。
その間にケンパーは父と会っている。ケンパーはまだ、父と和解し親子らしい関係を築く夢を捨てきれていなかったのだ。
彼はレストランで父と食事を共にし、いざ支払いの段階になると父は白々しく「スマン、財布を忘れてきた」と薄笑いを浮かべて言った。
ケンパーも「親父の方が食事の量が少ないし」と父の分まで勘定を済ませた。父とのこの会食について後年ケンパーは
「懸案は綺麗に決着を見た。親父は全て許してくれた。祖父母の事も、一切合切だ」と皮肉を込めて振り返っている。
どの時間帯のどのルートが人目につかないかを徹底的に調べ上げ、どう振舞えば女性が安心出来る「愛嬌のある大男」を演じられるか、も身につけた。
そうした約1年間の「予行演習」の末……1972年5月7日。彼はついに行動を起こした。

決別:奈落へ転がり落ちる岩
ケンパーはヒッチハイクをしていたカリフォルニア州立大学の学生、メアリー・アン・ペスチェアニータ・ルチェッサを拾った。
ケンパーは1年間の訓練の間に身に付けたセリフで、2人がこの地域の地理に疎い事を聞き出した。
車を人気のないところに停めると、2人に仕事仲間から借りた銃を突きつけた。
恐怖で抵抗する気の無くなったアニータをトランクに押し込み、メアリーを手錠をかけシートベルトに繋いだ。
ところが、メアリーは動じず、ケンパーにこういった。「なにか悩みがあるのなら打ち明けなさい。聞いてあげるわ」
ケンパーはメアリーの落ち着き払った態度に感服し、手錠を外してやろうか、とも考えた。
しかし、アタスカデロ精神病院でのレイプ犯から「こういう場合は被害者は犯人を落ち着かせ、その間に逃げるケースが多い」と教えられたのを思い出し、
手錠を外すのは思い直した。
メアリーを黙らそうと二重にしたビニール袋を被せたが、メアリーも必死の抵抗を見せ、苛立ったケンパーは気がついたら彼女の背中を2度ナイフで刺していた。
ナイフで喉を切り裂いたら、メアリーはその後ピクリとも動かなくなった。仕方がないので、トランクの中のアニータもナイフで何度も突き刺し殺した。
そして遺体をアラメダのアパートまで運ぶと、まず首を切り落とし、首の無いメアリーの遺体を心ゆくまで陵辱した。
バラバラ死体をポラロイドカメラで写真に収め、太ももの一部を切り取って冷凍保存した後、山に捨てた。
2人の首は記念品として持っていたが、これも数日後、近くの谷へ放り捨てたという。
尚、ケンパーは切り取った太ももの肉を「後にキャセロール(グラタンみたいな料理)にして食した」と告白している。
(これは逮捕後精神科医が、いわゆる自白剤を使って聞き出したものである)

ケンパーが「記念」に持っていた犠牲者の遺留品
前回のジェラルド・スタノの記事でも「多くの連続殺人鬼が1回目の殺人から2回目の殺人まで間隔が空く」と書いたが、ケンパーも例に漏れず、
2度目の犯行まで4ヶ月の間隔が空いている。
その間ケンパーはメアリーとアニータを殺害した時の一部始終や、遺体を切断したり、首無し死体と性交した時のことを思い出し、空想に耽って過ごしていた。
そして次の犠牲者にはパークリーに住む15歳の韓国系女性アイコ・コーを選んだ。
アイコに手錠をかけ自由を奪ったあと、首を絞めて気絶させ強姦し、彼女のスカーフでそのまま絞殺した。
遺体を持ち帰ったケンパーは、首と腕を切断し、サンタ・クルーズの山中に捨てた。
アイコ殺害後、バイク事故で骨折して仕事を長期休んでいたケンパーは、少年時代の前科の記録の封印を申請し、11月受理された。
これで彼は自分で銃を購入出来るようになり、ますます「狩り」がしやすい状況になった。
ただ、仕事を休んだせいでアパートの家賃が払えなくなったケンパーは、仕方なく母クラーネルの元に戻った。例によってまた母との口論の日々が始まった。
年が開けての73年1月8日、家族や友人からシンディと呼ばれていた18歳の美少女ベビーシッター、シンシア・ショールがケンパーの犠牲になった。
シンシアはケンパーの銃での最初の犠牲者で、至近距離から頭部を撃たれての即死だった。
その時間帯、母が外出しているのを分かっていたケンパーは、シンシアの遺体を家に持ち込み、バスルームで遺体の首と腕を切断。
またも首無し遺体を存分に犯すと、首以外の部分はモントレイの高さ90mを越す断崖からビニール袋に詰めて捨てた。
首だけは取っておき自分の部屋の戸棚にしまい、時々話しかけたという。シンシアの遺体が発見されると、母の寝室の窓の下に首を埋めた。
2月5日、またも母と口論になり家を飛び出したケンパーは、23歳のロザリンド・ソープと20歳のアリス・リューを車の中で射殺。
翌日、頭部に打ち込んだ弾丸を抉り出し、遺体を切断し遺棄したが、ケンパーはこの遺体切断作業にもうスリルを感じなくなっていた。

「汚らしい、頭の悪いヒッピーギャルを殺したところで、社会はちっとも困らない。
でも、将来社会の重要なメンバーになるであろう上流階級、中流階級の娘を殺せば、社会の損失は大きい。
それに、家族に深刻な絶望感を味あわせる事が出来る」


こんな理由から始めた女子大生ヒッチハイカー狩りだが、彼は自分の犯罪人生にクライマックスが近づいている事を悟っていた。
しかし、どうしてもやらなければならいない事があった。

「あの女は殺すしかない。あの女がこの世から消えない限り、罪もない女がこれからも死ぬことになる…
選ぶのは前者しかなかった」


リンク先の+ M O N S T E R S +様のケンパーの項目にも書いているが、正しく冷静な自己分析、自己認識である。
多くの連続殺人犯が「本当に殺したい相手の代役として、多数の犠牲者を選ぶ」ように、ケンパーも母の代役として女子大生達の命を奪っていたのを、
自分でうっすらと気づいていたのだ。
4月20日の聖金曜日、ケンパーは母の自宅を訪ねた。翌朝4時になり母は戻り、ケンパーが寝室に様子を見に行くと、母はベッドに潜り込むところだった。

「どうしたの?何か話したい事でもあるの?」
「いや、別に。お袋が戻ったかどうか見にきただけさ」
「話があるなら、私が起きてからにしましょう」

クラーネルは眠りに入り、ケンパーは安堵した。母とは嫌な気分で別れたくなかったからだ。
1時間ほどして、ケンパーはハンマーとナイフを手にして再び寝室に入った。そして母のこめかみ目がけ、ハンマーを打ち下ろした。
続いてナイフで喉を切り裂き、今まで彼を苦しめ続けた根源である母の声帯を抉り出し、ディスポーザーに放り込んだ。
「ガキの頃からお袋の罵声と金切り声にはどれだけ苦しめられたか分からない。声帯がなければもう俺に罵声を浴びせる事はない」
しかし、スイッチを入れたら機械が詰まり、ディスポーザーは血塊を吐き出した。「あの女、死んでまでも俺に悪態を突きやがった」

「とうとう最後まで、お袋を黙らす事は出来なかった───」

この後ケンパーは母の首を切断。母ではなくただの肉の塊と化した遺体を陵辱。そして母の首をサンドバッグのように殴りながら、涙ながらに罵詈雑言を浴びせた。

「俺はずっとお前と対話をしたかったんだ。でもお前はいつも悪態を突くだけで一度として応じてはくれなかった。
それなのにお前はさっき何といった?『何か話したい事でもあるの?』だと?冗談じゃない、それが出来てればこんな事にはならなかった」


ケンパーの母クラーネル
その後、母は旅行で出かけた事にする偽装工作を思いついた。
「2人連れで旅行に出かけた」という事にして、母の同僚であるサラことサリー・ハレット夫人を呼び出し絞殺。
しかし思い直し、4日後にコロラドから自首の電話をするのである。
前述の通りその日は電話回線の状況が悪く、イタズラ電話でないと分からせるため、ケンパーは数回電話をし(電話に出たコナー巡査に)「やっと信じてもらえた」という。
逮捕されたケンパーの顔は、吹っ切れたかのように晴れ晴れとしていた。

審判:最後の「聖戦」
連行されるケンパー
ケンパーは拘置場に拘置されている間、サンタ・クルーズでケンパーより数ヶ月遅れで連続殺人を始めたハーバード・マリン(のち紹介予定)と隣同士になった。
精神分裂症で「震災からカリフォルニアを救う為に生贄を捧げた」という理由で13人を殺害したマリンをケンパーは「下品な低脳、ただのキチ○イ」と罵り、
実の母の首無し死体を犯したケンパーをマリンは「不道徳なケダモノ」と壁一枚を隔てて罵り返した。(どちらの見解も正しいと思う)

捜査官、ジャーナリスト、精神科医が巨体に似合わぬ明晰な頭脳、話術といったケンパーのキャラクターに魅了された。
ケンパーも持ち前の分析力、記憶力、観察力を持ってこれに応じた。調書作成にも全面的に協力的な姿勢を見せた。これは彼にとって最後の聖戦だった。
淀みなく、冷静で客観的、整然としたケンパーの自白は、そのまま調書に丸写ししても問題ない程だった。ある検察官は苦笑いを浮かべて言った。

「長い事この仕事をやってるが、あんなヤツは初めてだよ。もう2度と御目にはかかれないだろうね」

ケンパーは8件の第一級殺人罪で起訴され、10月25日からハリー・F・ブラウアー判事を裁判長として、全米が注目する中ケンパーの裁判は行われた。
ケンパーは公判中、万年筆のカートリッジで手首を切ったり、未遂に終わったが4度も自殺を企てている。
彼は数々の異常行為を淡々と認めたが、父にも母にも愛されなかった幼少期の頃の話になると、さめざめと泣いた。
最終弁論ではジェームス・ジャクソン弁護士が精神異常による無罪を熱弁したが、それも実らず陪審員達はわずか5時間の協議で、
8件の殺人全てに有罪の判決を下した。
当時のカリフォルニア州は実験的に死刑を禁止していた為、ブラウアー判事は11月8日、終身刑を言い渡した。
「被告は生涯釈放されるべきではない」との勧告に対し、ケンパーは静かに答えた。「貴方の仰る通りです、判事」

有罪判決を受け退廷するケンパー
ケンパーは上訴せず、現在もバカビルにあるカリフォルニア州立医療刑務所にて、終身刑に服している。
1978年以降、2年毎に仮釈放の申請をしているが、その度に却下されているそうである。今後も仮釈放される見込みはないだろう。
しかし、アメリカでは囚人1人あたりを養う費用は年間約3万8000ドル、と言われる。
2012年4月現在、38年間を獄中で過ごしたケンパーには、すでに約144万4000ドルの税金が投入されている事になる。
もしケンパーが仮に73歳まで生きるとすると、合計約182万ドルの経費が必要になるのだ。
ケンパーは社会に損害を与えるという復讐を、今も続けている事になる。

余談だが、犠牲者の何人かの肉を口にした事について、どうしてそんな事をしたのかと裁判で尋ねられたケンパーは、こう答えている。

「彼女達と本当の意味で一つになりたかった。彼女達を自分だけのものにしたかった。そして現実にそうなった。
今はもう…俺だけのものだ」

参考文献
週刊マーダーケース・ブックNo.62 愛に飢えた殺人鬼 ヒッチハイカー連続殺人事件 (デアコスティーニ)
快楽殺人者の異常心理 (KKベストセラーズ)
続・連続殺人者 (タイムライフ)
現代殺人百科 (青土社)
参考サイト
+ M O N S T E R S +
殺人博物館

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テーマ:衝撃 - ジャンル:サブカル

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  • 2015/03/23(月) 20:50:07 |
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