世界を驚かせた奇怪、猟奇的な殺人事件の数々、そしてその犯人。科学では解決できないミステリー現象。それらを紹介していくブログです。

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ブラック・パンサー 人間の心を失った殺人マシン

「もし強盗に襲われたら『お金は二の次、命だけは大切にしよう』と私達はいつも話していました。でも犯人はそのチャンスすら与えてはくれませんでした」
(ブラック・パンサーの犠牲者シドニー・グレイランドの妻マーガレット)

全身黒装束で夜の闇に紛れ、簡易郵便局を次々に襲撃した冷酷無比な強盗殺人犯。
イングランド国民がブラック・パンサーと呼んで恐怖したその男は、1975年、レスリー・ホイットルという17歳の少女を誘拐。
事件は最悪の結果を迎え、11ヶ月後、ついにブラック・パンサーは捜査網に追い詰められた。
ブラック・パンサーことドナルド・ニールソン
ここまで紹介しているシリアル・キラーは、いわゆる快楽殺人犯、セックス殺人犯に分類されるものであったが、このブラック・パンサーことドナルド・ニールソンは、
金の為にいくつもの殺人を犯した、強盗及び誘拐殺人犯である。
しかし犯行理由が異常性欲でないとはいえ、その深層に根ざしていたのは、明らかに精神病質者(サイコパス)特有のものだった。

誘拐:闇に紛れてきた黒豹
誘拐されたレスリー・ホイットル嬢
1975年1月14日未明、イングランドの中西部シュロップシャーに住む17歳の女学生レスリー・ホイットルは、何者かに荒々しく体を揺すぶられ、目を覚ました。
黒覆面の黒装束の男がベッドの横に立っており、レスリーの眉間に切り詰めショットガンを押し当てた。
男は事前に用意した3本のダイモ・テープを残し、そのままレスリーを誘拐。レスリーに盗難してきたグリーンのモーリス1300のトランクに入るように指示した。
そのまま100kmほど車を走らせ、今回『隠れ家』に選んだキッズグローブに近いバスプール公園に辿り着いた。
そして下水道の中央管に繋がるマンホールの蓋を開け、点検用はしごを使って下まで降りるように命じた。
2人はやっとの事で3つあるプラットフォーム(踊り場)の一番下まで降りると、そこにはスポンジのマットレスと寝袋が置いてあった。
誘拐犯はレスリーに服を脱いで全裸になるように命じ、はしごに縛ってあった1.5mのワイヤーの先端を首輪状にし、レスリーの首にくくりつけた。
事前にその前に保護のために首には医療用テープが巻かれたが、男は金属製のワイヤークリップをスパナで締めつけ首輪を固定し、レスリーが逃げられないようにした。
レスリーが捕らえられていた下水道の見取り図

14日朝、母のドロシー・ホイットルは娘がいない事に気づき、家中の探したがどこにも見当たらない。
ドロシー夫人は息子でレスリーの兄のロナルド・ホイットルと、ロナウドの嫁であるゲイナーに確認したが、2人ともレスリーには会っていない、という。
そして3本のダイモ・テープを見つけ、ドロシー夫人は娘が誘拐された事を知るのである。テープには以下のメッセージが残されていた。

警察 呼ぶな 身代金 50,000ポンド 用意して スワン・ショッピング・センターの 
電話ボックスで 午後6時から 午前1時までの間 待て もし 電話 なければ 次の夜 もう一度 来い 
電話を取ったら 名前だけを名乗って よく聞け 文句を言わず 指示通りにしろ 
電話を 受けた時から 秒読みは 始まっている 警察や 小細工は 死につながる


スワン・ショッピング・センター キダーミンスター 白い スーツケースに 50,000ポンド 用意しろ

50,000ポンドは 全部 古い札 1ポンド札で 25,000ポンド 5ポンド札で 25,000ポンド 
人質は 引き換えには 帰さない 50,000ポンドを 受け取って その後に 解放する


レスリー・ホイットルは3年ほど前に父を亡くし、その遺産82,500ポンド余りを相続し、それが大々的に新聞『DailyExpress』で報道されたことがあった。
誘拐犯はこの記事を読み、おそらくかなり前からレスリー誘拐を計画していたのだろう。
(さらにこの記事が掲載された月にアメリカでは同じく巨額の遺産を相続した少女バーバラ・マックルが誘拐されている。ニールソンは明らかにモデルにしている)

父から英国中部最大のバス会社を譲り受け、それを経営する兄のロナルドは警察に通報。そして自分の会社の取引銀行に、50,000ポンドを用意するよう手配した。
知らせを受けたボブ・ブース警視正は、身代金要求のテープが用意されていた事と、ホイッスル邸の電話線が切断されていたと聞き、直ちに現場に向かった。

過去:イジメられっ子は社会への復讐を誓った
ドナルド・ニールソンは1936年8月1日、ウェスト・ヨークシャーのリーズ南郊に生まれた。
父親はしがない工場労働者で、家族は食うか食わずかのギリギリの生活を強いられていた。
彼の本名はドナルド・ナッペイといい、発音がナッピイ(おむつ)に似ているところから、虐められ、馬鹿にされて育った。
この事はドナルドの心に深い屈辱を刻み込む事になる。
1955年、ダンス・パーティーで知り合った2歳年上のアイリーン・テイトと結婚する。
アイリーン・テイトとの結婚式
その直前にニールソンはヨークショーの近衛連隊に入隊。軍隊生活はドナルドの水に合っていたようで、のちに「人生で一番幸せな時期だった」と答えている。
ドナルドはジャングル戦闘訓練のために6週間ケニアで過ごした。
この時ドナルドに与えられたのは33口径のジャングルライフルで、外見が銃身を切り詰めたショットガンに酷似し、のちに起こる何かを暗示しているようにも思える。
その後ドナルドは中東のアデンで約2ヶ月を過ごし、さらにキプロスでの兵役に赴任した。
陸軍時代のニールソン
上等兵で兵役を終えたドナルドは、妻アイリーンの待つウェスト・ヨークシャーに帰郷した。
ドナルドは軍隊生活で大きな自信をつけ、虐めに怯えていた登校拒否児だった彼が社会への復讐を考え始めたのはこの頃である。
自信をつけたドナルドはタクシー会社や警備会社を興そうとするが、どれも上手くいかなかった。
彼はまたも社会に対する恨み、つらみを募らせていった。

暗礁:度重なる捜査ミス
スコットランド・ヤードから誘拐事件の専門捜査官12名も応援に駆けつけ、ブース警視正はホイッスル邸の電話と指定された公衆電話に盗聴器を取りつけた。
だが、ここで重大なトラブルが発生してしまう。この事件を嗅ぎつけたフリーのジャーナリストが、夜のニュースでスッパ抜いてしまったのだ。
「ホイットル家の人間が通報したとバレたも同然」と判断した警察は、なんと21時30分にロナルドを引き揚げさせてしまう。
これは明らかに警察の早急すぎる判断であり、のちに誘拐犯は午前0時にちゃんと電話をかけていたことが判明している。
警察の盗聴担当者も電話が来たのが分かったが、当然電話ボックスにはその電話を受ける相手はいなかった。
レスリーが囚われていた踊り場

翌日15日の夜も、ホイットル邸にかかってきたイタズラ電話を誘拐犯からの指示を思った警察は、ロナルドを電話ボックスに待機させなかったのだ。
そのためにロナルドはデタラメの身代金受け渡し場所を求めて、一晩中ドライブすることとなるのである。
一方で誘拐犯はというと、身代金受け渡し場所として予定していたダンドリーの貨物ターミナルの下見をしていた。
そこを警備員のジェラルド・スミスに見つかってしまい、6発も発砲すると一目散に逃げ出した。
(撃たれたスミスは瀕死の重症を負い、14ヶ月後の翌年3月に死亡してしまう。もっともこの件でニールソンが殺人に問われる事はなかった)
その翌日、誘拐発生からは3日後となる16日の23時45分、ロナルドが経営するバス会社の輸送部長レナード・ラッドが誘拐犯からの電話を受け取った。
録音されたレスリーの声で、身代金を持ってキッズグローブの電話ボックスで待機しているよう指示された。
ロナルドはブリッジノーズ警察に出向き指示を仰いだ。が、ここで警察はまたもミスを犯してしまう。
捜査員達は身代金の紙幣すべての番号をマイクロ写真に収めるのに手間取り、ロナルドが出発したのは午前1時30分を過ぎてからだった。
(このナンバー控えはブース警視正には知らされておらず、のちに警視正は『この遅れがなければ少女は助かったかも知れないのに…』と強く批判している)
しかも、ロナルドは途中で道を2度も間違えたために、指定の電話ボックスに到着した頃には午前3時を回っていた。
更に彼は隠されたメッセージを見つけるのに手間取ってしまい、ここでも30分が浪費された。ようやく見つけたテープにはこのように書かれていた。

エスカーズ・ヌックの 標識まで 道に 沿って 進め 
ボートホース・ロードを 進み 遊歩道の 突き当たりを 右折しろ
進入禁止の サービスエリアに 入って 堀を 通り過ぎ ヘッドライトを 点滅させて 懐中電灯の 光を 探せ 
懐中電灯の 所に 指示がある 家に 戻り 電話を 待て


誘拐犯が移動に擁する時間を事前に調べていた事などもちろん知らないロナルドは、指示のままにヘッドライトを点滅させたが、懐中電灯の光は遂に見つからなかった。
そう、遅すぎたのだ。電話があってから4時間以上も経過していたのだ。
実は午前2時30分頃、事件とは何の関係もないカップルの乗った車が待機場所に止まったのだ。犯人は必死で懐中電灯を振るが、当然何の返答もない。
警察は頑なに否定しているが、このカップルは「公園内で警察のパトカーを見た」と証言している。
さらに上空には警察のヘリが飛び回っており、双眼鏡でこの様子をずっと監視していた誘拐犯は、「ホイットル家の人間は警察に通報した」
そして「自分を逮捕する為に警察が罠を張っている」、と確信した。
激怒した誘拐犯はバスプール公園の下水道に戻り、レスリーをプラットフォームから突き落とし、その場を立ち去った。

逮捕:最悪の結果に
誘拐犯からの連絡がピタリと止まった7日後の23日になって、犯人が乗り捨てたと思われるグリーンのモーリスが現場付近から見つかり、
中からレスリーのスリッパをはじめ、誘拐犯のものと思われる遺留品が大量に出てきた。
このモーリスは盗難車と判明し、さらに弾道検査の結果警備員スミスを撃った銃が、警察やマスコミがブラック・パンサーと命名していた、
強盗殺人犯のものであることが判明した。
ブラック・パンサーの名は黒覆面に黒い作業つなぎと全身黒装束で犯行に及ぶ事から由来しており、コンビニや新聞店と併合したいわゆる簡易郵便局を19件襲撃し、
その内郵便局長を含む3名を殺害している。被害総額は20,000ポンド以上に及んでいた。
レスリー誘拐犯とブラック・パンサーが同一犯と分かり、イングランドのみならずスコットランド、ウェールズ、アイルランド、旧大英帝国圏の各国が騒然となった。
警察が着て再現して見せたパンサーの『仕事姿』

事件発生から40日が過ぎようとしていた3月6日、最後の身代金受け渡しに指定された場所の付近で遊んでいた近所の小学生が、懐中電灯を見つけた。
それには「スーツケースを 穴に 落とせ」と打たれたダイモテープが貼られていた。
翌日に付近一帯と件の下水道の大捜索が行われ、下水道の中で宙吊りになったレスリーの全裸遺体が発見された。
懐中電灯の光の中に浮かび上がったレスリーの変わり果てた姿は捜査陣の希望の全てを打ち砕く、衝撃の、そして最悪の結末だった。

「未成年の女の子にあんな真似をするなんて、思ってもみなかった」

とブース警視正は後日語っている。
検視医によるとレスリーには迷走神経の抑制が生じており、死因は「極度の恐怖によるショック死」と説明がされた。
スコットランド・ヤードからまた応援が駆けつけたが、しかしブラック・パンサーの行方は依然として不明だった。
レスリーを捕らえていたワイヤー

事件から11ヶ月経った12月11日、金曜日のことである。
23時すぎ、ノッティンガムシャーのマンスフィールド・ウッドハウスで、パトカーで巡回していたスチュワート・マッケンジー巡査トニー・ホワイト巡査は、
「フォー・ウェスト・パブ」の前で、大きなカバンを持ってウロウロしている不審者を見つけた。
ドナルド・ニールソンだった。両巡査は不審な男にパトカーの助手席に乗るように指示し、職務質問を始めた。
男は最初親しげに応じていたが、書類に名前と住所を記入するように命じられると、突然、手提げ袋の中から柄のないショットガンを取り出した。
そして運転席のマッケンジー巡査に車を走らせるように命じたが、後部座席に座っていたホワイト巡査が、自分から視線をずらした隙にショットガンを掴んだ。
暴発し、ホワイト巡査が怪我を負ったが、パトカーはチップ&フィッシュ店の前で止まり、その音で野次馬が群がってきた。
ニールソンは警官2人を相手に凄まじい抵抗を見せてたものの、その日夕食をとろうとたまたまチップ&フィッシュ店にいた2人の客、
ロイ・モーリスキース・ウッドも捕り物に加わり、ニールソンは最終的には寄ってたかってフルボッコにされ、近くの手すりに手錠で繋がれた。
(特に空手の達人でもあったキース・ウッドには空手チョップを首筋に食らい動けなくなるなど散々やられたそうである)
110kmほど離れたキッズグローブに護送されたニールソンは、最初は殺人博物館様の項目にも書いてあるように黒人かカリブ訛りのようなたどたどしい口調で
「わたし、やってないよ?」などとシラを切り続けていた。
しかし、12時間にも及ぶ取調べの末ついに観念し、自身がブラック・パンサーである事を白状したのである。
連行されるニールソン

裁判:殺人マシン
ニールソンの恐るべき『商売道具』の一部
裁判の前に行われた精神鑑定で、ニールソンは「精神病質者(サイコパス)の特長をほとんど持っている」と診断されている。
軍隊仕込みの計画的で合理的な行動をとれるが、一旦パニックになると前後の見境がつかなくなるのは、その代表例だそうである。
あと、「他人が幸せそうにしているのが我慢ならない、足を引っ張って不幸な目に陥れてやりたい」と願う、いわゆる他人の不幸でメシウマタイプで、
これはジェラルド・スタノエド・ケンパーあたりの快楽殺人鬼とも共通する、サイコパスにありがちなパターンである。

1976年からマース・ジョーンズ判事を裁判官として行われた裁判において、ニールソンはレスリーの死は偶発的なものだと主張した。
縛りつけておいた下水道のプラットフォームから、彼女が過って落ちたために死んだのだ、と言うのだ。
しかし陪審員を納得させることは出来ず、この期に及んで反省した表情も見せず、自身の行為の正当性を淡々と主張するニールソンの態度は、
逆に陪審員の神経を逆撫でした結果となった。

「良心の呵責を感じず簡単に人を殺せる殺人マシン」

ブラック・パンサーに対し、陪審員たちが持った印象だった。
ニールソンは「レスリーを最初から開放するつもりだった」と主張したが検察は

「君はダイモ・テープのメッセージに『警察や 小細工は 死に繋がる』と脅しを書いてるじゃないか。
誘拐が失敗したら、いや、たとえ成功しようと最初から口封じにミス・レスリーの命を奪う気だったのだろう?」

「君は犯行が失敗し怒りとパニックに駆られ、それで衝動的にミス・レスリーを突き落としたのだろう?」

とバッサリ切って捨てた。
陪審員達も検察のこの意見には全面的に賛成した。裁判中は淡々と無表情だったニールソンだが、この時は取り乱す寸前になっている。
同様に簡易郵便局での3件の殺人においても、陪審員を納得させる事は出来なかった。
裁判中のニールソンのスケッチ
ブラック・パンサーは4件の殺人と1件の殺人未遂、1件の暴行で有罪になり、終身刑を云い渡された。
ジョーンズ判事は、仮釈放権が発生する最低収容期間を設置しなかった。これは死刑のないイギリスでは最大の量刑となる。
(筆者注:この7年後に逮捕される『英国史上最悪の連続殺人鬼』と言われるデニス・ニルセンの終身刑ですら、25年の最低収容期間がついている)

ジョーンズ判事は終身刑を宣告する際、ニールセンにこのように言い渡した。

「被告の終身刑に保釈権は永久に発生しない。すなわちもう一生塀の外には出られない、と理解していただきたい。
もし被告が万が一釈放される事があるとしても、それは高齢か疫病により服役に耐えられなくなった場合に限られる」


裁判中もほとんど無表情だったニールソンは、この判決を聞いても顔色一つ変えなかった。
被告席で回れ右をし、英国犯罪史上もっとも残虐な殺人犯の1人として、ぎこちなく法廷を後にした─────
新聞の見出し。『パンサー生涯禁固刑』

2008年からニールソンは呼吸困難の症状を訴えるようになった。運動ニューロン疾患と診断され、その後状態が一気に悪化。
ノリッジ刑務所からノーウィッチ大学病院に移送された次の日の2011年12月17日、早朝に死亡が確認された。 
恐るべし殺人マシン『ブラック・パンサー』の精神構造はついに解明されないまま、75歳でニールソンはその生を終えた。

参考文献
週刊マーダーケース・ブックNo.13 殺人マシン ブラック・パンサー (デアコスティーニ)
連続殺人紳士録 (中央アート出版社)
現代殺人百科 (青土社)
参考サイト
殺人博物館

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